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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

「天」太陽の投稿記事

『終末と太陽の検証』

その他の予言情報 NO 440024


MFコメント 2007/10/02

ルース・モントゴメリー女史の事を含め詳しくチェックする必要性を感じたので現状は この「来るべき世界」の翻訳本を手に入れようとしていたが、ようやく手に入れることができた。
分析は 後ほど実施するとして、翻訳本の原本の記述をファイル化しているので、{翻訳本「来るべき世界」の第三章 神の計画内容}を案内する。
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第三章 神の計画内容

創世記の最初の一行、「初めに、神は天地を創造された」をほとんどの人が知っていることでしょう。
しかし、このきわめて重大な出来事の前には何が起こったのでしょうか?
そしてそれらの出来事はどのように起こったのか?ガイドたちはこう書きました。

最初の永い永い間、そこには〈空〉、〈無宇〉すべてが、そして〈すべて〉が存在した。
存在したのはそれだけ〈無の海〉だけだった。
この無から〈大いなる存在〉が現れ、その存在は己の強い力を使って無に〈成長〉するよう命令した。
無の〈構成物〉が徐々にその力強い命令に反応することを学ぶにつれ、それら構成物は分離・回転しはじめ、無から存在の集合体へと進化しはじめた


さらに気が遠くなるほどの歳月が過ぎ、集合体が自己の運動によって分かれはじめ、大いす存在は徐々に進化して回転する球になり、次に他の集合体を周回する軌道にのった。
このようにして恒星が形づくられ、その他は塊から遠心力で分離し、恒星を周る惑星を形づくった。
さらにその他が次々と命令にしたがい、惑星を周回する衛星となった。
さらに永い歳月が経ち、惑星は自ら分かれ海と陸になり、さらに永い歳月の後、地球が生まれ、成長と進化をとげた。生命が微生物として生を営みはじめ、徐々に高次の存在、すなわち泳ぐもの、這うもの、飛ぶもの、そしてついに四つ足で歩くものへと進化した

別の日、ガイドたちは次のように説明を続けました。

全人類が一つのエネルギー、換言すれば、我々の多くが〈神〉と呼ぶものと一つだった時があった。
我々はみな一つだ。
それから強大なエネルギーが閃光を発しはじめ、バラバラになった。
すべての存在がその一体感を経験したが、同時に分離した一つの存在として〈探究〉することを強く願った。
そして前に述べた低次の種が地球上に広がり、それらの〈閃光〉が動物や鳥、魚、植物など、生きるものすべてのなかに住むようになった。
その様子は神秘的で、見るものをわくわくさせた。それ
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から永い間、これらの閃光ーあるいは〈神性〉の断片は探究を続け、生命形態の珍しさを体験するため、さまざまな生命の体を出たり入ったりした。
体に入った閃光のなかには、それらの生命の形とあまりに深く関わりあったためにそこを去ることを拒むものもあれば、体から体へといつまでも探究を続け、経験を重ねるものもあった。
多くは物質的な顕現は避け、そのなかには君の世界で天使と呼ばれるもの、すなわち物質的形式に制限されず、自由に他者を観察したりサポートする存在になるものもいた。
天使は無垢な魂で、進化により、精神的・霊的に他者よりも高次の存在になるものもいた」


そうした進化をとげた者から人間という形式が生まれるが、なかには、依然として動物などの形式に宿っている者と交わる存在がおり、こうした交配は霊的成長を遅らせた。
というのも、〈神〉は、人間の生命の火が宿るための特別の形式を創造されたからだ。
さらに我々が『以前の世界』で教えた通り、それらの不釣り合いな組み合わせによって生まれた子供には、尻尾があったり脚が曲がっていたりなど、雑種であることを示すものが見られる。
したがって今日でさえ、遠い昔に生じたものと同じ先祖返りがたまに起こることがある

この対話のなかでガイドたちが天使についてふれたので、天使についてもっと詳しく教えて欲しいと頼みました。

前にも教えた通り、天使とは肉体のなかに宿らなかった霊のことだ。
天使は慈愛にあふれ、困っている者を助けることを切に願っている。
神の意志を信じている者なら誰でも守護天使を引きつけることができるだろう。
天使も人間と同じくさまざまな進化レベルの者が存在する

わたしは、ガイドたちには天使が見えるのかを尋ねました。
ガイドたちはこう続けました。

もちろん我々には天使が見える。
だがその姿を言葉で表現することはできない。
天使は人間の姿ではなく燦然と輝く存在で、慈悲や愛のこもった手助けに忙しい。
天使は人間の姿になることもできる。
それは、警告や行動で助けるに値する人間が突如生命の危機に襲われた場合などだ。
しかし天使はふつう、目に見える姿ではいない。
天使は地球人の肉体内に宿って生まれるよりも霊的領域に留まることを選び、それによって、肉体を持つ人間が犯す過ちを避けようとする。
いや、天使は翼もハープも持っていない。
天使は思考するだけで移動できる。
ちょうど霊的存在である我々がそうするようにだ

「〈空〉、〈無〉、そして〈すべて〉」からの万物の創造についてのガイドたちの描写には好奇心
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がそそられました。
しかしそれなら「神」とはどんな存在なのでしょう?
神とは「力」あるいは「個としての存在」で、祈りを捧げることによって人間は神からの手助けを得られるのでしょうか?
これらの質問を紙に書くと、ガイドたちはこう返事をしました。

神は全知全能だ。
神は創造的な力そのものであり、大いなる宇宙を一つにまとめている。
また、神は人問一人ひとりの相談相手でもある。
というのも、神の一部が君を含めたすべての生命のなかにあるがらだ。
神はすべてである!
自分自身の良心からの真の指図-聖なるきらめきにしたがえば、我々は過ちを犯さずにいられる。
祈りは神に届く。
霊界にいる我々に祈りを捧げる者の声も神に届くのだ。
決して疑ってはいけない、
ルース。神について我々が教えたことは、我々全員を導く本質的な真理だ

まだ好奇心がそそられ、次のセッションで、神を見たガイドはいるかと尋ねました。
答はこうでした。

我々がいる霊界では神と呼ばれる存在は見られないが、神の〈存在〉が空問のありとあらゆるところに〈染み渡って〉いることには気づいている。
我々は神の創造物であり、神はあらゆるもののなかに見られる。
事を簡単にするために我々は〈彼〉という代名詞を満たす人間、四足獣、鳥類、植物などのあらゆる創造物のためのものだ。
だが神は全体である。
神は男でも女でもない。
神はすベてなのだ。
我々は神が存在するという証拠を探そうとは思わない。
なぜなら我々は万物のなかに神の姿を見、神の霊的存在の荘厳さを常に感じているからだ。
神は善である。
神は光であり闇であり、雨であり太陽の輝きであり、全知で創造物すべてを思いやる万物の創造主である。
サタン(悪魔)のことを君は考えているだろう。
確かに、サタンもまた、神の善によって創造された。
しかし、すべての創造物が自由意志を与えられた後に堕落した者がサタンとなった。
ちょうど、〈悪役〉が光から地上に降り立つようにだ

当然ながら、この最後の説明がわたしの好奇心をかきたて、次のセッションで、サタンについて詳しく教えて欲しいとガイドたちに頼みました。
返事はこうでした。

サタンは、人類が地球で生まれるずっと昔に創造された天使の位階制に属していた。
我々は、サタンがかつて燦然と輝く存在で、他者と同じく神の近くにいたと教えられた。
まばゆいばかりの光が人間になったような姿の天使たちは、自由意志を授かり、神と親しく交わることが許された。

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のなかでサタンは、自分の創造主を独占したいと考えるようになった。
サタンは自分以外の光の存在も同じように神の愛を受けていることに憤慨し、嫉妬した。
嫉妬心とともに邪悪な感情が他者の思考に浸透し、ついに神はサタンを追放せざるを得なくなった。
なぜなら、サタンは天国のく住居を汚していたからだ。
神がようやく地球上に人間の肉体を創造された時、サタンは復讐のチャンス・あるいは少なくとも自分のパワーを証明するチャンスをうかがい、人間を誘惑するようになった。
サタンの誘惑は、永遠に人問を悩ますものとなったのだ

この交信の途中に親友のベティ・ミルズから電話がかかってきました。
ベティはやや混乱しているようで、こう尋ねました。
「ルース、あなたは神とイエスとが同一だと、イエスが実は神であるという話を信じる?」
この質問には驚かされましたが、わたしは、イエスは「神の息子」であって神そのものではないと考えている、と答えました。
ベティはこう続けました。

わたしもずっとそう考えてきたの。
でも今朝の〈聖書研究会〉で、神とイエスが同じ存在だと教わったの

ベティが毎週、長老派の教会の「聖書研究会」に出席していることを思いだし、どのようにして、長老派が毎週日曜日の礼拝で「使徒信条」について説明出来たのか、わたしは不思議に思いました。
そもそも礼拝の言葉は次のようにはじまります。

わたしは天地の創造主、全能の父なる神を信じ、またそのひとり子、わたしたちの主イエス・キリスト、すなわち聖霊によって宿り、処女マリアから生まれ……

ガイドたちとの次のセッションで、わたしはベティの質問に対する答を求めました。

イエスは神のイメージによって創られた存在だ1過去と現在において我々全員がそうであるように。
イエスは非常に高次の魂であり、数多くの過去生を通じてその真価を証明された。
そしてイエスが洗礼を受けた時、イエスのなかに「キリストの霊(選ばれし魂に宿る霊)

が降り、イエスはキリストとなられた。
このキリストの霊ははじまりから存在し、次世紀(訳注一本書は世紀の変わる前に書かれた。本書での次世紀とは二一世紀をさす)には別の〈完全な存在〉として戻ってくる。
しかし、<人イエス>は我々と同じく神ではない。
〈父なる神〉と呼ばれる存在にとって絶対必要な一部がキリストの霊である。
一般に〈聖霊〉と呼ばれる存在は創造主として発動する絶対最高の力であり、それは、神の本質に帰ることを切に願っている者すべて
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の心の奥底に存在する。神の存在は各人の内なる自覚だ。
その自覚は我々の良心以上の、キリストの霊の本質である。
神を信じる心は〈神性〉との永遠のつながりであり、我々を創造主の本質i我々のなかの神聖な部分ーにつなぐ〈神の声〉なのだ」
イエスがかつて何度もいわれた言葉、「わたしと神は一体である」を思い出しながら、次のセッションで、神とイエスが同一の存在でないなら、なぜそのようなことがいわれているのかを質問しました。
答はこうでした。

ベティのような件は、単なる聖書の解釈の間違いである。
我々が〈聖書〉と呼んでいるものにわかりやすく書かれている通り、イエスは自分自身を〈神の息子〉と呼んでいる。
そして我々はみな神の創造物であることから、神の子供なのだ。
イエスは洗礼者ヨハネによって洗礼を受けた時にキリストの霊を授けられ、神性の絶対的に必要な一部となった。
そのようなキリストの霊を授かった者はごくわずかしかいないが、世界中でたった一人というわけではない。
キリストの霊を授かる者は永遠なる最高次のレベルに上がった者で、神から〈一体性〉を与えられる。
しかし彼らは、大いなる宇宙の創造主である神とは異なる。
我々が今説明できることはこれだけだ」


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