本文へスキップ

フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

「天」太陽の投稿記事

『終末と太陽の検証』より

宗教_キリスト教情報 NO n460008

−−−−コメント 2012/04/11−−−−

{新46_キリスト教_ファチマの予言_ルシアの手紙_01}
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
0543・世界の終わりをのぞき見したい:明らかにされたフアチマの秘密:黙示録によれば結構酷いとになりそう!?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 「新46_ キリスト教_最後のローマ法王ペテロ_01」で、終末の様子と最後のローマ法王ペテの最後に関する情報を調べた
その結果は 思いがけず、ファチマの第三予言の内容と関係があることがわかった
わかってみれば当然のことで、第三予言が終末の予言でなければ、第四の予言がなければならないが、それは無い
と言うことは 終末とは第三予言で打ち止めということを意味している
この時の検討と情報では 宇宙の戦いの結果、私の説明するところの閉空間、ルシアが幻視して言うところの「地獄」に神サタンと配下たちは ルシアの地獄に閉じ込められる・投げ落とされる
地上では 宗教場破壊され、最後の法王いかキリスト教徒たちが兵士たちによって殺され、キリスト教は 滅亡・消滅する
以上のことが、ルシアの手記の回顧録からわかった
もう少し、内容がわかると予言の検証がうまくいきそうなので、可能な限り追跡したいと考えた

地上に住む我々人類には 宇宙での出来事を見聞きすることは難しい
しかし、地上の出来事であれば、かなりの部分を見聞きするだけでなく、それらの出来事のエキストラとして強制的に参加させられる

説明をすっきりとするために、我々の使う語彙とルシアの使う幻視した語彙は 「・」をつけて列記することにする

閉空間・地獄界へ神サタン・悪魔を幽閉・落とす
それだけでなく、無数の人々の魂も同様に、閉空間・地獄界の神サタン・悪魔とともにを幽閉・落とす
一度落とされると、戻ってこれないだけでなく、かなり酷い待遇をうけそうである

生前の地上界も、どちらかと言えば黙示録の8章の「・・・一羽(わ)のわしが中空を飛び、大きな声でこう言うのを聞いた・・・ああ、わざわいだ、わざわいだ、地に住む人々は、わざわいだ」と言うくらい酷い待遇の結果、命を落とし、ほとんどのものたちが閉空間・地獄界の神サタン・悪魔へ送り込まれ、酷い待遇をダブルで受けることにりそうである
宗教的には 「我々の宗教を破壊し棄教させる」の目的は 何もしなくてもほとんど勝手に進行して成就しそうで、短い25行くらいのファチマの第三予言であるから、全てが書かれているかはわかりませんが、結論的に言えば我々の予言の検証課題の多くが一致しそうな雰囲気を称えているようである

それはともかくとして、ファチマの第三予言関係の内容をルシアの回想録や発言についてまとめてみることにする
問題は 宗教人が記載しているので、私としては デ−タが欲しいだけであるが宗教的な記述から弁別するのに手こずることになり、間違いがあるかもしれないので気づいた方がいたら指摘をお願いしたい
何とかルシアの発言や記述から、第三の予言の内容を推測したいと考えるのは 私だけでなく、6_<明らかにされたファチマの秘密:The Fatima Crusader Issue より:第三の秘密の実体::>において、海外で実施した方が居るらしく、これを翻訳された方が居た
この情報は大いに参考になった
が、しかし、さすがに最後の法王とキリスト教の信徒たちが、兵士たちによって撃ち殺され累々と死体を並べて、キリスト教が消滅していくことを記述していない
まして、「無数の人々の魂も同様に、閉空間・地獄界の神サタン・悪魔とともにを幽閉・落とす」の無数の人々が、キリスト教徒も法王も含むことを語ることをできてない
この件は 立場上やむを得ないことと受け取っている


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
まずファチマの予言を再度まとめてみることにした
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
★は 私、☆はルシアである

1. ファチマの予言は 恐らく20行から25行くらいの長さのものである

★ 思いの外短いので、多くの内容を語っていないか、要点のみの予言かもしれない

−−−
☆ 「彼はその正確な大きさを測った一枚の紙片が封筒の中にあるのを見ることができた
われわれはこのようにして第三の秘密がそれほど長いものではない、恐らく20行から25行くらいの長さのものであるということを知るのである
すなわち、それは第二の秘密と同じ位の長さである」

2. それが悲しいものであるということである

★ これは至言で事実を指摘していると思う

−−−
☆ カレイェイラ枢機卿はまさに正当にもこう言っている
「もしそれが楽しいものであったなら、われわれはそう告げられていたであろう
われわれは何事も告げられなかったのであるから、事実はそれが悲しいものであるということである」
その通りである
それは明らかに重大で悲劇的なものである

3. その予言は 1960年より明確に始まっている

★ 第一予言は 第一次大戦、第二予言は 第二次大戦であるから、第二予言の開始は 第一予言が終了・成就したときといえる
そうであるのなら、第三予言がどの時点で本格的に開始するかが問題になる
普通であれば第二次大戦が終了した1946年であるから、開始は 1966年頃となるが、第三予言の公開指定は 1960年で、大凡15年の間、保留期間を持って始まることを意味いる
ここが、ポイントで、2012年の現在も含めて進行中ということである
政治・経済・軍事など諸々の出来事がである

−−−
☆ 「1960年には公表されるべきことを要求なさった」のに対してバチカンは隠すことにした
そのことを、ルシアはこう言っている
「聖母は非常に悲しんでおられます
なぜなら、聖母のメッセージに対して誰も何の注意も払わないからです
...よい人たちも悪い人たちも...

4. 1960年には公表されるべきと要求したのに対して、バチカンは 隠蔽と言う手段で逆らったので罰が始まった
★ 罰がどの範囲かがわかりがたいのですが、第三次大戦・終末戦争だれでなく、異常気象から宇宙での神サタン・悪魔との戦いが開始され、神サタン・悪魔だけでなく、地上の神サタン・悪魔らの配下の政治家・宗教家・経済人・官僚・評論家・御用学者などなども当然含んでいる

−−−
☆ 聖母は秘密は1960年には公表されるべきことを要求なさった
というのはルシアはオッタヴィアーニ枢機卿に「1960年にはメッセージはより明瞭に現れるでしょう」と語ったからである
ところで、一つの預言を何の疑いもなしにある特別の日付以後からより明らかにするようになる唯一の理由はその実現の始まりである
そしてわれわれは「第三の秘密において聖母によって予言された罰はすでに始まりました」と言っているルシアからのもう一つ別の言明を持っている

5. 多くの諸国民が地の表から消えるでしょうし、その大本はロシアにある
★ どうやら、プ−チン・ロシア大統領の御代に起きそうである

−−−
☆ シスター・ルシアはフエンテス神父にこう打ち明けた
「祝せられたおとめは私たちに多くの諸国民が地の表から消えるでしょう、ロシアは、もしわれわれがあの不幸な国民の回心を前もって獲得していないならば、全世界を(その罪のゆえに)罰するために天によって選ばれた懲罰の道具となるでしょう」(注13)
それが、「絶滅させられる」という言葉がその明白な意味において:
すなわち、絶滅させられる、完全に破滅させられる、と文字通り受け取られることが恐れられる理由である

6. 第三の予言は 黙示録の第8章と第13章にある

★ 参考のために、黙示録の第8章と第13章を参考資料として添付してあります
この黙示録の内容は 第三次大戦だけでなく広範囲を意味している

要は 「私たちが世の最後の時代にいる」ということを明瞭にルシアに幻視させた
−−−
☆ 第三の秘密の内容に関して彼女に質問したある人に対して、シスター・ルシアはある日次のように答えた
「それは福音書の中に、そして黙示録の中にあります
それらを読みなさい」と
彼女は同様にまたフエンテス神父に、聖母が「私たちが世の最後の時代にいる」ということを明瞭に彼女にお見せになったということを打ち明けた
このことは、世の終わりの時、そして最後の審判の時を意味するのではないということを、われわれは強調しなければならない
というのは、マリアの汚れなき御心の勝利が最初に来なければならないからである

この著者は 「私たちが世の最後の時代にいる」と言う意味を、全人類と受け取っている節があり、「私たちがキリスト教の世の最後の時代にいる」と受け取るのを拒否・抵抗しているようです

第三の秘密の内容を慎重にほのめかしているラッツィンガー枢機卿自身次の三つの重要な要素に言及した
すなわち、「信仰を脅かす諸々の危険」、「最後の時代の重要性」そして「この第三の秘密に含まれている」預言は「聖書に告知されてきたものと一致している」という事実である
われわれは、ある日ルシアが黙示録の第8章と第13章を指摘したということさえ知っている

7. 死・殺戮だけでなく、死後の霊的な懲罰をも意味している

★ この内容は 死後の世界・霊魂の世界を認めるか否かで分かれる
ルシアは 認める側というだけでなく、閉空間・地獄を幻視させられ、その様子を理解している
我々も、死後の世界・霊魂の世界の存在を認めていて、その前提で多くの予言を検討している
−−−
☆ 「疑いもなく、第三の秘密は一つの霊的な懲罰に主として言及しているのである
飢饉、戦争、迫害よりもそれはもっと悪く、もっと恐ろしいものである
なぜなら、それは霊魂、その救い、あるいはその永遠の破滅に関わっているからである」

8. ある大陸の信仰の喪失はある民族の絶滅よりも悪い

★ 信仰の喪失と棄教とは一連のものである
信仰と生命を秤にかけて、宗教人とすれば信仰で、ある民族を殲滅してでも守ることとしているが、そのような認識が根本的に問題で、宗教を破壊しなければらいと結論するに至った所以でもある
−−−
☆ ここに最も重要なことがある
1984年9月10日にレイリア・ファチマの現在の司教コスメ・ド・アマラル司教はウィーンの技術大学の大講堂(アウラ・マグナ)において、質疑の中で次のように述べた
「ファチマの第三の秘密は原爆や核弾頭あるいはSS20ミサイルについて語っているのではない
その内容はただわれわれの信仰にのみ関わるものである
この秘密を破局の告知あるいは核によるホロコーストと同一視することはこのメッセージの意味をゆがめるものである
ある大陸の信仰の喪失はある民族の絶滅よりも悪い
そして信仰がヨーロッパにおいて常に減退しつつあるということは真実である」(注15)

9. それは棄教である

★ 要は 我々は宗教を破壊しなければならいと説明している分けですが、それらの宗教の幹部たちにとっては 自らが破壊消滅の道を歩いていることには 抵抗もしょうというものである

−−−
☆ ラッツィンガー枢機卿自身この意味において、第三の秘密は「信仰とキリスト者の生活を脅かす危険」に関わると言いながら、ヴィットリオ・メッソーリに対して語ったということを付け加えよう
最後に、われわれが言ったように、ファチマの現在の司教はそれ以上になお明白である
彼はそれが数カ国の国民と全大陸のスケールにおける信仰の危機であるということを理解させた
そのような喪失は聖書の中にその名前を持っている
すなわち、それは棄教である
この言葉は秘密のテキストのうちに見出される可能性がある

10. 教会内部の信仰の危機と司牧者自身の怠慢、そして高位聖職者による重大な司牧的怠慢を具体的に示している

★ −−−
☆ 他の章において(注18)、私はそれ以上のことがあるということを示している
すなわち、第三の秘密は確かに25年間教会に打撃を与えてきた前例のない信仰の危機における聖職に任じられた霊魂、司祭、そして司教自身でさえの重い責任を強調している
私はそれらのいくつかの証明、いくつかの非常に明瞭な指摘を提供する
私はここであなたたちにアロンゾ神父を引用することで満足しなければならない
「それゆえに、第三の秘密のテキストは教会内部の信仰の危機と司牧者自身の怠慢、そして高位聖職者による重大な司牧的怠慢を具体的に示しているということは完全にありそうなことである」

11. 悪魔は キリスト教ないに浸透して浸食をしている

★ バチカンは 疑似ユダヤ人「偽ユダヤ教徒」によって、約100年以前から浸食され、実質的にキリスト教のバチカンではくて、疑似ユダヤ人たちの偽ユダヤ教徒に支配されている
ただ、ほとんどのキリスト教徒とその指導者たちがそのことを知らないだけであるし、バチカンの司教や法王が1960年と指定されているのに公開を拒否している
公開すれば、その悪魔たちの姿が白日のものとるのであるから、する分けないのである
このことを外部ののものたちも内部の者たちも理解する必要があるし、我々は 理解させようとしていることである
−−−
☆ すでに1957年に、彼女はフエンテス神父にこう打ち明けた

「いとも聖なるおとめは私に、聖母に対する一つの決定的な戦いにまさに参加しようとしている...そして悪魔は何が最も神に反することであるか、そして何が最も多くの霊魂を可能な限り最も短い時間で悪魔に獲得させるか、を知っている、言われました
悪魔は神へ聖別された霊魂を獲得するためにはあらゆることをします
なぜなら、このやり方で、悪魔はその指導者に見放された信者の霊魂を離れさせることに成功するでしょうし、そのことによってますます容易に悪魔は彼らを捉えるでしょうから」

12. 悪魔は非常に狡猾で、私たちを攻撃するために私たちの弱点を探しています

★ 残念ながら、ルシアの時代からも無意味な歳月が過ぎ、最近一部の人々が騒ぎ出しているが、徹底的にマインドCONTROLされている現実があることに気がつく必要がある

−−−
☆ 彼女はある司祭に次のように書いている

「私はあなたの手紙によって、あなたがわれわれの時代の方向逸脱によって心を奪われているのが分かります
実際、非常に多くの人々が世界に吹き荒れている悪魔的な波によって支配されるままにわが身を委せているということ、そして彼らが誤りを見ることができない点まで盲目になっているということを悲しく思います!
主たる誤りは彼らが祈りを放棄したということ、彼らがこのようにして神から疎遠になったということです
そして神なしにはすべては欠けたものです」

「悪魔は非常に狡猾で、私たちを攻撃するために私たちの弱点を探しています」
「もし私たちが神から強さを得るために勤勉で注意深くないならば、私たちは倒れるでしょう
なぜなら、私たちの時代は非常に邪悪であり、そして私たちは弱いからです
ただ神の強さだけが私たちをしっかりと立たせることができるのです」

12. 『悪魔』に対して立ち上がることが必要です

★ 神サタン・悪魔との戦いは 太古から続けられているとの認識ですが、現代のルシアなどはその認識がないので下記のようになるのかもしれせん
−−−
☆ 「人々に毎日ロザリオを唱えるようにさせてください
聖母は、私たちが誤った教義によって欺かれないように、悪魔的な方向逸脱のこれらの時代にわれわれを強めるかのように、御出現の度に必ずそのことを繰り返しておられます
...不幸にも、宗教的な事柄において人々はその大部分が無知であり、そして導かれるところへはどこへでも連れて行かれることを許しています
それゆえ、彼らを導く義務を持っている者の大きな責任は...」

「世界を襲い、霊魂を欺いているのは一つの悪魔的な方向逸脱です
『悪魔』に対して立ち上がることが必要です」

13. われわれは教会における悪魔の徒党に対して抵抗しなければならない

★ ルシアは キリスト教と教会の現実を理解しているようでかなりがんばっているようです

−−−
☆ 1970年9月16日に、彼女はある宗教的な友人にこう書いています:
「私たちのお可哀想な主よ、主はそのように大きな愛でもって私たちを救われました
そして主はそのようにわずかしか理解されていないのです!
そのようにわずかしか愛されていないのです!
そのように悪しくしか仕えられていないのです!
そのように大きな混乱を見ること、そして責任ある地位を占めているそのように多くの人々のうちにそれを見ることは苦痛なものです!
...私たちにとって、私たちにとって可能な限りたくさん、私たちは一つのなおより親密な主との一致を通じて償いをしなければなりません
...あなたが言っていることがらを見ることは私を苦しめます
しかし今はそのことがここでもまた同じように起こっています!
...事実は悪魔が善の見せかけの下に悪へ導くことに成功しているということ、そして盲目になった人々が他の人々を導き始めているということです
...これは主が福音書において私たちに語られたことに似ています
そして多くの霊魂はその中へ連れて行かれることを自らに許しています
私は、神の教会における平和のために、司祭たちやすべての聖別された霊魂たちのために、特にそのように欺かれそして間違った方向へ導かれている人々のために、喜んで私自身を犠牲にし、私の命を神に捧げます!」

−−−
☆ われわれは教会における悪魔の徒党に対して抵抗しなければならない

おとめマリアに信頼する者にとって、悪は「堕落のうちにある」、「不道徳と驕りの誤謬の闇の中に沈んでいる」われわれの世界の中だけにあるのではない
悪はまた教会それ自身の中にも存在する
そこでは、悪魔は、常に「大胆な厚かましさで先頭を切っている」彼の「追従者たち」と彼の「徒党」を持っているのである
彼らに直面して、抵抗する勇気を持たない非常に多くの「臆病な人々」が存在する
そして、シスター・ルシアは多くの司教たちが彼らの中に数えられる、と述べることを恐れない
さらに、それは単に生ぬるさあるいは司牧的な怠慢の問題ばかりではなくて、攻撃されているのは信仰それ自身であるということをシスター・ルシアは明らかに理解させようとしている
彼女は「誤った教義」そして「悪魔的な混乱」「盲目」について語っており、そしてこのことは教会においてまさに「大きな責任を持っている」人々の間に見られるのである
彼女は非常に多くの司牧者たちが「世界に吹き荒れている悪魔的な波によって支配されるままにわが身を委せている」という事実を深く悲しんでいるのである
誰が、サタンがその主人公である世界
...へと自らを明け渡した教会の危機をこれ以上によく記述することができるであろうか?


14. 「最後の時代」に教会の中で起こるであろう大棄教である

★ なんと言ったら良いかわからないが、「大棄教」は このときキリスト教に限らず地上の全ての宗教が棄教するのであるから、超大棄教と言うべきかもしれない

−−−
☆ それが、私が今日そのように無視されたわが主の、聖パウロの、そして聖ヨハネの偉大な教えを、私の書物の最後の二つの章で取り上げる理由である!
すなわち、諸困難の告知、異端、そして最後に「最後の時代」に教会の中で起こるであろう大棄教である
そして聖書の、−特に黙示録の−諸預言と、二十世紀の初頭のファチマの聖母の偉大な預言との客観的な比較は実際非常に多くのそしてまったく驚くべき平行を示している

 ファチマの牧童の一人ルシアはこう書いている
「秘密は3つの別々の部分からなっています
私はそのうちの2つをあらわにしましょう
最初の秘密は地獄のヴィジョンでした。・・・第二の秘密はマリアの汚れ無き御心への信心に関するものです」
(第三の手記[回顧録])

15. 「最後の時代」に教会の中で起こるであろう大棄教だけでなく、教会の大崩壊を意味する


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
★ 最後の法王から司教や教徒が、銃殺され、キリスト教が崩壊・消滅してしまう一連の流れが、フアチマの第三予言の宗教的な面からの予言であることがわかった
これ故に、この第三予言が隠蔽されて公開されないこともわかった
その内容の多くが、黙示録の8章と13章の記述の指摘したところであることもわかったし、その政治的・軍事的・社会的などだけでなく、天地異変なども含む、終末の総合的な内容の予言であるようだということもわかった
そして、第三予言が明確に始動したのは 1960年ろからということもわかった
未確認なところは 神サタン・悪魔の存在と姿を現しているが、それは 閉空間・地獄にに封印・落とされた後の出来事の幻視であった
法王とアメリカ・ケネデイ大統領とが緊急に打ち合わせをして、月へ確認の軍隊・アポロを送り込むこととなったことから、現段階では 神サタン・悪魔は 今は放し飼いの状態でまだ檻の閉空間・地獄に居ない
というより、その住処が月で、内部に多くは住んでいることも指摘していそうである
その捕獲して封印・落とすタイミング・時期が現段階では 予言近傍の情報からはわからないことである
が、多分、我々が説明している大方の手順と同様な内容と思われることである
結論として、ルシアは死んで居ないので、どうしても隠しておきたければ隠していても良いと思う
ほとんどの内容は 推測・見積もれたようだからである
後は 黙示録も含めて関連しそうな内容を再検討して、より精度を高めることである


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
我々の説明する閉空間・ルシアの説明する地獄の様子をもう少し見てみよう
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

またもう一度ルシアが回顧録(手記)の中で語るその内容を聞いてみよう

「・・・これらの最後の言葉を聖母が話されると、以前2ヶ月の間なさったように、もう一度両手を開かれました
光線が大地を貫いたように見えました
そして私たちはあたかも火の海の様なものを見ました

この火の中に浸かり込んでいるのは悪魔たちと人間の形をした霊魂たちでした
霊魂たちは透き通った燃える炭火のようで、皆真っ黒か褐色のようでした
彼らは雲のような煙と共に自分自身からわき出る炎によって持ち上げられ、この大火事の中に漂っていました
彼らは、恐ろしくまた恐怖のあまり震いおののかせる苦悩と絶望の叫びとうめきのまっただ中で重さも平衡感覚もなく、大火災の火の粉のようにあちこちにまた下に落ちていました
(私が「キャ!」という叫びをあげたと私の周りの人が聞いたといいますが、それはこの光景を見たときのことに違いありません)
 悪魔は燃えさかる黒い炭のように透き通ってはいましたが、汚らしい見たこともない動物の恐ろしい厭な形をしていたので地獄に落ちた霊魂たちとは区別されました

この光景は一瞬間しか続きませんでした
私達の天の良きお母様が、最初の御出現の時に私達を天国に連れていくと約束されたおかげでです
もしそれがなかったら、おののきと恐れのために死んでいたことでしょう」

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
多くの霊魂でいっぱいの地獄

しかも三人の子どもたちをびっくりさせたのはこの火の海がからではなかったことだ
いや火の海は呪われた者でいっぱいだった
シスター・ルシアは回顧録の中でそのことを強調する
ルシアはヤシンタがいつもよくこう言っていたことを書いている
「あそこに落ちる人は、あんなにも沢山!あんなにも沢山いる!」とか、さらに「地獄に落ちる人ってあんなにも大勢、あんなにも大勢!」と(第三回顧録)
シスター・ルシア自身も地獄にもの凄い数の人が落ちていくことをよく口にしている
ちょうど火災報知器が鳴り渡るようにシスター・ルシアはそれをくり返す
「自らを破滅に向かわせる人々は無数です」「多くが滅んでいきます」「霊魂たちが地獄に落ちていくのはちょうど渦巻きのようです」

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
シスター・ルシアは、こう続けている
かれらは「重さも平衡感覚もなく、大火災の火の粉のようにあちこちにまた下に落ちていました」

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
実際シスター・ルシアは聖母が地獄の光景を長い間秘密にしておくようにと要求されたので聖母に感謝した
なぜなら、まだ子どもだったルシアは、自分の見た現実を正確に描写することが出来なかったからだ
シスター・ルシアは1941年にこう書いている
「沈黙を守ることは私にとって本当に大きなお恵みでした
もし地獄について話さなければならなかったとしたら、私に何が起こっていたでしょうか?現実をそのまま表す正確な言葉を見つけられず、・・・なぜなら私がここに地獄について書いたことは何でもないし、地獄についての弱々しい考えを与えてくれるだけです」
シスター・ルシアの言おうとすることは明白だ
現実の地獄は、もっともっと恐ろしく、人間の言葉ではとても表現できないものだ、と言うことだ

 ルシアはこういう
「私達の天の良きお母様が、最初の御出現の時に私達を天国に連れていくと約束されたおかげでです
もしそれがなかったら、おののきと恐れのために死んでいたことでしょう」
地獄のビジョンはそれほど恐ろしいものだったのだ


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
★ シスター・ルシアの手記とファチマの第三予言

-−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
シスター・ルシアの手記

それでは、シスター・ルシアがレイリアの司教コレイラ・ダ・シルヴァに要請されて1935年から41年にかけて書いた4篇の手記はいったい何であったのでしょうか?

1935年に第1の手記がジャシンタについて書かれます
第2の手記は1937年にルシアについて、
第3の手記は1941年8月に再びジャシンタについて書かれました
第4の手記は同じ年1941年12月8日に書き上げられました

その内容は聖母の御出現とフランシスコ、ジャシンタのその後の生活、ポンテ・ヴェドラの御出現のメッセージなどです

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
最終的にファチマの聖母に聴き従うことが緊急である「聖母がそれを望まれているからである」

われわれは教会のすべての信徒たちにマリアの秘密の完全なそして全部のテキストを、その明快な真理性、その預言的な豊かさそしてその神的な透明性において、遅滞することなく知らせることよりも重要で必要でそして緊急なことはないということを理解するために十分に述べた
ここで、この公開の緊急性の基礎となっている多くのそして堅固な諸理由を引用することが適切であろう



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
第三の秘密はなぜ明らかにされるべきであるか
「聖母がそれを望まれているからである」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
第三の秘密はなぜ明らかにされるべきであるか

1.「聖母がそれを望まれているからである」

実際、われわれは聖母の意志は、聖母がそれを三人の羊飼いたちに明らかにされた1917年7月13日の恩恵の瞬間以来少しも変化していないし、また聖母がトィイの修道院においてシスター・ルシアに御出現になり、彼女にそれのテキストを書き下ろすように求められた1944年1月2日以来変化しなかったということを知っている
聖母はこの預言的な神命が明らかにされること、それが知られることを望んでおられるのである
そして聖母のメッセージを伝える者であるシスター・ルシアはこの公開を望み続けたし、彼女が許された限り、彼女は権威のうちにある人々からそれを緊急に要求した、ということをわれわれは知っている

2. 諸々の霊魂の善のためである

なぜなら、非常にしばしば繰り返された誤りとは反対に、秘密はもっぱら教皇にだけ向けられたものではないからである
二人の先行者たちと同様に、それはすべての信徒にむけられたものである
教会の子として、われわれはすべてマリアの子どもである
われわれはすべてわれわれの天の御母がこの非常に危険な時期に、われわれ−われわれ自身とわれわれの子どもたち、われわれにとって大切であるすべての人々−を救うために、われわれの祖先から受け取った真のカトリックの信仰をわれわれの心のうちに損なわずに生き生きと保つために、われわれに宛てられた救いの警告を知る権利を持っている

3. この秘密が明らかにされない限り、世界の平和は悲劇的に脅威にさらされたままであり続けるであろう!

私はそのことをこう解釈する
われわれは、神がそうであるようにとそれを要求されたように、ロシアがマリアの汚れなき御心に奉献されない限り、ロシアは回心させられないであろうと固く信じる
そしてロシアが回心させられない限り、その無神論的そして迫害的なボルシェヴィズムからそしてロシアを奴隷化している悪魔的な諸力の支配から解放されない限り、核の黙示録の危険は世界に対する一つの恐るべき脅威として残るであろう

神は世界の平和がわれわれの世紀においては、ファチマに御出現になった神のいと聖なる御母の命令に対する教皇および司教たちの熱心な子としての従順に依存しているということを望まれた
ところで、無原罪の仲介者に対する信仰の、信頼する従順のこの行為−それを通じてわれわれの司牧者たちはロシアの奉献を遂行するであろう−は同様にまた、−私はとりわけ、とさえ言いたいが−秘密の受容と公開を前提とする
それは一つの歴史の教訓である:
1960年以来、聖母の秘密の意図的な、無礼な秘匿は聖母の他の諸要求をまさに正確に遂行することの拒否と手に手を携えてきた
他方において、第三の秘密の公開は教会がファチマ・メッセージの神的な確実性と重要性を公式に承認したという明白なしるしであろう
ロシアの奉献に対する主要な障碍の一つはその場合には取り除かれるであろう!

4. 最後にそして特に、教会の善のためである

疑いもなく、教会がその歴史において最も重大な危機を経つつある間に、あらゆる種類の異端が教えられ、広められ、神の民を至る所で毒しつつある間に、1960年以来、パウロ六世の表現を用いるならば、教会の「自己破壊」が続いている間に、そして「悪魔の煙」(注20)が聖なる場所の中に浸透したときに、われわれが経験しつつあるまさにこの「信仰の危機」に関して−おとめマリアの救いに役立つ言葉を無視し、軽視し、軽蔑し続けることは非常に残念なことであり、そして確かに犯罪的でさえあろう
天の元后が1917年という早い時期にその危険を予言されたのであるから、そして聖母が確かにそれの真の原因を指摘されたのであるから、そしてさらに、聖母が効果的な救済策を提示されたのであるから、1960年に公に知らされるように意図されたこれらの救済策がなおわれわれに明らかにされなければならないということは一つの恐るべき恥ではないだろうか?
25年間にわたって数百万の霊魂がこの「悪魔的な方向逸脱」において苦しみ、そして天が彼らに提供している例外的な援助をかたじけなく受けようとする教会の司牧者なしに永遠に失われるという危険に曝されてきたということはけしからぬことではないだろうか?

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

===NO n460008:参考文献の目次===

001:ファチマの秘密(1) :ルシアの手紙:01:
002:ファチマの秘密(1) :ルシアの手紙:02:
003:天使の出現:
004:メッセージの成長:
005:マリアの汚れなき御心と霊魂の救い
006:明らかにされたファチマの秘密:The Fatima Crusader Issue より:第三の秘密の実体
007:ヨハネの黙示録:第8章(CHAPTER 8)
008:ヨハネの黙示録:第13章(CHAPTER 13)

−−−−−−−−−−−−−−−

===NO n460008:参考文献の目次詳細===

===1===============

ファチマの秘密(1) :ルシアの手紙:01:

http://fsspxjapan.fc2web.com/maria/fatima_1.html

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ファチマの牧童の一人ルシチアはこう書いている
「秘密は3つの別々の部分からなっています
私はそのうちの2つをあらわにしましょう
最初の秘密は地獄のヴィジョンでした。・・・第二の秘密はマリアの汚れ無き御心への信心に関するものです」
(第三の手記[回顧録])

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
残念ながら、まだ私たちには第三の秘密は完全には分かっていない
しかし、シスター・ルシアがその第三の手記の中で最初から最後まで詳細に聖母のメッセージを書いているにもかかわらず、そこには第三の秘密は書かれていない
しかしそれを読むとあたかもこの聖母のメッセージには何らの分断も切れ目も無いかのようだ

実はファチマの秘密を分析研究するにつれて、それらの3つの部分の秘密が1つのメッセージを形作っていることが分かってくる
そしてこの唯一の秘密は1917年7月13日に聖母によって告げられた
3つの部分は互いに分かち難くつながっている

もちろんファチマのメッセージを信ずることはカトリック信仰にとって不可欠なことではない
しかし、私たちの母なる教会はこれを「信仰と道徳とに反するものではない」として信じることを認可したのだから、私たちはこれを安心して信じよう
天主の御母のメッセージに耳を傾けてみよう
だから私たちはしばらくの間このメッセージを黙想することにしよう

まず、シスター・ルシアの手記に忠実に従い、事実関係を把握しよう
時は1917年7月13日金曜日である
私は以下にルシアが書いたポルトガル語の原文に最も忠実だと考えられるフランス語のテキストをもとに、その時何が起こったかを訳出してみよう
私はこの記事を書くために主に次の文献を利用する

Toute La Verite sur Fatima, Tomes I a III par Frere Michel de la Sainte Trinite, Renaissance Catholique, Contre-Reforme Catholique, F-10260, Saint-Parres-les-Vaudes, France.この本はルフェーブル大司教様も、先日来日されたウィリアムソン司教様も強く勧めておられた本である
(この本をどなたかが全て日本語に訳して下さることを私は強くお願いします)
この本には英語版もあり、The Whole Truth about Fatima, available from: Immaculate Heart Publications, Box 1028, Buffalo, New York 14205 USA. 或いは、Immaculate Heart Publications, 452 Kraft Road, Fort Erie, Ontario, Canada L2A 4M7 CANADA.である

また、日本語になっている文献として、光明社からの「ファチマの牧童」C.バルタス神父著[Chanoine C. Barthas (+26 aout 1973)]中山利喜太郎訳と、ドンボスコ社から出ている、「現代の危機を告げるファチマの聖母の啓示ールチア修女の手記」ヴィットリオ・ガバッソ志村辰弥共訳編とをも参照した

以下の訳でアンダーラインが引いてあるところは、ドンボスコ社から出ている、「現代の危機を告げるファチマの聖母の啓示ールチア修女の手記」では省略されているか、別の言葉になってしまっているところである
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「『あなた様は私に何をお望みですか』と私は尋ねました
『私はあなたがここに来月の13日に来ることを望みます
そしてロザリオの聖母を崇敬するために、世界が平和を得、戦争の終わりを勝ち取るためにロザリオを毎日唱え続けることを望みます
なぜなら、そのお方(彼女)だけがあなたたちを助けることが出来るからです』

『私はあなたがどなたでいらっしゃるのか私たちにおっしゃって下さるよう、そして誰もが私たちに御出現なさっているということを信じるように一つ奇跡をなさって下さることをお願いいたします』

『毎月ここに来続けなさい
10月には私は私が誰か、私が何を望んでいるか、言いましょう
私は皆が見、信じるために一つ奇跡を行いましょう』

そしてこのお方は続けてこう仰いました

『罪人たちのために犠牲をしなさい
たくさんこう言いなさい
特に何か犠牲をするときにこう言いなさい
”イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人たちの回心のため、そしてマリアの汚れ無き御心に対して犯される罪を償うためです”、と』

これらの最後の言葉を聖母が話されると、以前2ヶ月の間なさったように、もう一度両手を開かれました
−−−
光線が大地を貫いたように見えました
そして私たちはあたかも火の海の様なものを見ました
この火の中に浸かり込んでいるのは悪魔たちと人間の形をした霊魂たちでした
霊魂たちは透き通った燃える炭火のようで、皆真っ黒か褐色のようでした
彼らは雲のような煙と共に自分自身からわき出る炎によって持ち上げられ、この大火事の中に漂っていました
彼らは、恐ろしくまた恐怖のあまり震えおののかせる苦悩と絶望の叫びとうめきのまっただ中で重さも平衡感覚もなく、大火災の火の粉のようにあちこちに、また下に落ちていました
(私が「キャ!」という叫びをあげたと私の周りの人が聞いたといいますが、それはこの光景を見たときのことに違いありません)

悪魔は燃えさかる黒い炭のように透き通ってはいましたが、汚らしい見たこともない動物の恐ろしい厭な形をしていたので地獄に落ちた霊魂たちとは区別されました

−−−
この光景は一瞬間しか続きませんでした
私達の天の良きお母様が、最初の御出現の時に私達を天国に連れていくと約束されたおかげでです
もしそれがなかったら、おののきと恐れのために死んでいたことでしょう
恐れのあまり、助けを求めるかのように私達は聖母に向かって目を上げました
聖母は優しく悲しそうにこう言いました

「あなたたちはかわいそうな罪人たちが行く地獄を見ました
彼らを救うために、天主はこの世に私の汚れ無き御心に対する信心を確立するように望んでいます
もし私があなたたちにこれから言うことを人が実行するなら多くの霊魂たちは救われ平和になるでしょう

戦争は終わるでしょう
しかし、もし天主を侮辱することを止めないなら、ピオ11世の統治下で別の更にひどい戦争が起こるでしょう
あなたたちが未知の光を見るとき、天主がこの世をその罪のために戦争と飢饉、教会と教皇に対する迫害を使って罰を下そうという大いなる印を天主様があなたたちに下さっているのだと言うことを知りなさい
これを避けるために私はロシアを私の汚れ無き御心に奉献することと、月の初土曜日に償いの聖体拝領をすることとを求めに来るでしょう
もし人が私の要求を聞くなら、ロシアは回心し平和がやってくるでしょう
さもなければロシアはその誤謬を世界中に広め、戦争と教会に対する迫害とをもって挑発するでしょう
多くの善良なものが殉教し、教皇様は多く苦しまねばならないでしょう
無くなってしまう国々もあるでしょう
最後には、私の汚れ無き御心が勝利を収めるでしょう
教皇様は私にロシアを奉献するでしょう
そしてロシアは回心するでしょう
そして世界には平和の一時期が与えられるでしょう
ポルトガルでは信仰のそのドグマが常に守られるでしょう
等々

このことを誰にもいわないで下さい
フランシスコにはそれをいうことが出来ます

あなたたちがロザリオを唱えるときには、各連の終わりにこう唱えなさい
ああイエズスよ、我らを赦し給え
我らを地獄の火より救い給え
全ての霊魂、ことに最も必要とする者たちを天国に導き給え**」
(*ルシアの四つの回想録の内の二つにはこの7月13日のことが記されている
その内容は一字一句同一である
しかし第四回想録では、今日本語に訳出したように「ポルトガルでは信仰のそのドグマが常に守られるでしょう
等々[ママ]」という文章は最後に書かれている
しかし、この文章は論理的にはここ*印のところに来るべきである
なぜなら次に「最後には、私の汚れ無き御心が勝利を収めるでしょう」という文章があるからである
また、ここに第三に秘密に関する記事がなければならない
それは、ファチマの第三の秘密がカトリック信仰に関することだからである
ところで、「現代の危機を告げるファチマの聖母の啓示ールチア修女の手記」137頁には、ドイツのノイエス・オイローパ紙が発表したいわゆる「第三の秘密」が載せられている
しかしこれは真面目なものではない
またデルコル神父編「ファティマの第三の秘密 教会内の信仰の危機」(ご存じですか?シリーズ87 1995年再版)にもミゲル・アンヘル・ポブレテという青年の受けた「メッセージ」の話が載っている
デルコル師は教会認可を受けていない御出現でもむやみに広めておられたから、多分にこれは教会の認可を受けていないだろう
もし教会認可を受けていたとしても、その内容は、少なくともルシアが受けた第三の秘密ではない)

(**日本語では普通こう唱える
「ああイエズスよ、我らの罪を赦し給え、我らを地獄の火より守り給え
また全ての霊魂ことに主の御憐れみを最も必要とする霊魂を天国に導き給え」)

この後に、沈黙がよぎりました
私はそこで尋ねました

「あなた様が私に望むことは他にありますか?」

「いいえ、私は今日はあなたにこれ以上何も望みません」

すると、以前と同じように聖母は東の方向に向けて、天の大きな距離のために見えなくなるまで昇られました
マリアの汚れ無き御心こそが、この7月13日のメッセージの核心であり中心部である
既に5月13日、6月13日の二回にわたってマリアの汚れ無き御心は啓示され、準備されていた
そして、この7月13日のメッセージこそ、ファチマの全てのメッセージの中心である
この後の三回の御出現はこのメッセージが本当に天主の御母からのものであるということを示すサイン(署名)であり印鑑であり証明であった
聖母がこの時荘厳に「私はロシアを私の汚れ無き御心に奉献することと、月の初土曜日に償いの聖体拝領をすることとを求めに来るでしょう」と告げ知らされたように、天主様の憐れみの計画を告げるために聖母は更に後になって戻ってくると約束された
実にポンテベドラで1925年12月10日、聖母はご自分の茨で貫かれた汚れ無き御心をお見せになった
そして聖母はお約束の通り月の最初の土曜日に五回続けて償いのための聖体拝領をすることを要求された
また更にもう一度、またもお約束の通りトゥイで1929年6月13日にもう一度戻られロシアを聖母の汚れ無き御心に奉献することを要求された

聖母は「ロシア」をご自分の汚れ無き御心に奉献されることを要求されたのだった
ロシアを?そう、ロシアを
1917年ルシアは「ロシア」という言葉が何を意味するのか知らなかった
しかし彼女は幼いながら常に"a Russia"という言葉を聞いたと断言していた
光明社からの「ファチマの牧童」セ・バルタス著 中山利喜太郎訳1947年初版発行には、「世界」(89ページ)となっているが、ルシアの回想録には常に"a Russia"(ロシア)と書かれている
同様に、彼女は確かに"no reinado de Pio XI"と聖母が言われるのを聞いた
彼女にはそれが確実だった
ルシアは「次の教皇の時」と聖母が言われるのを聞いたのではなかった
ルシアは1946年にヨンゲン神父にこう言っている
「私達はそれが教皇様なのか王様なのか知りませんでしたが、いとも聖なる童貞母はピオ11世と話されたのです」

「ファチマの牧童」の90頁注の17に正しく記載されているように「不思議な光によって照らされた夜」というのは、1938年1月25ー26日の夜に成就した

聖母はまずこう言われた
「そのお方(彼女)だけがあなたたちを助けることが出来る」と
ここに秘密中の秘密がある
天主はかつて聖母を通して救い主をお与えになったように、今もいつも私達に聖母を通して全てを与えようと望まれている
天主は聖母の汚れ無き御心への信心の報いとして私達に全てを、霊的善のみならず全世界にこの世的な平和さえも与えようと望まれる

聖母はこう言われる
「ロザリオの聖母を崇敬するために、世界に平和を得、戦争の終わりを勝ち取るためにロザリオを毎日唱え続けることを望みます
なぜなら、そのお方(彼女)だけがあなたたちを助けることが出来るからです」つまり、私達にとって聖母を通さなくては世界に平和を得戦争を止めることが出来ない、と言われたのだ
聖母だけが私達を助けることが出来るのだ
聖母を通さなくては何も得られないのだ
この連載を通じて私は、聖母の汚れ無き御心だけが、世界の平和のためのみならず、私達の救いのため、全キリスト教世界と、カトリック教会の救いのために残された最後の手段であると出来る限り明らかにするつもりである

ファチマの秘密はここにある
ファチマはマリア様の汚れ無き御心のいわば「啓示」だ
マリアの汚れ無き御心だけが全ての悪に対する最高の薬であり、私達の霊魂の救い、私達の愛する祖国、世界中の国々、全キリスト教世界、そしてローマ・カトリック教会の救いのための最終の唯一の手段であるということの啓示である
これが、全知全能の聖三位一体がその無限の憐れみの計画によって、私達に聖母マリアのいとも優れて聖なる、汚れ無き御心の母としての取り次ぎによって、私達に全てを与えようと言う啓示なのだ
だから私達はまずロザリオを唱えなければならない
毎日ロザリオの聖母を崇敬してロザリオを愛を込めて唱えねばならない
毎日唱え続けなければならない
これが天主の御母聖マリアのお望みだ

このメッセージの終わりに聖母は子どもたちにこう言われた
「あなたたちがロザリオを唱えるときには、各連の終わりにこう唱えなさい
『ああイエズスよ、我らを赦し給え
我らを地獄の火より救い給え
全ての霊魂、ことに最も必要とする者たちを 天国に導き給え』」と

+「ああイエズスよ」と、聖母は御子への祈りを教え給う
イエズスとは「救い主」という意味である
ファチマのメッセージはきわめてキリスト中心的である
聖母の教えた別の祈りもこの救い主への呼びかけで始まっている
「罪人たちのために犠牲をしなさい
たくさん、特に何か犠牲をするときにこう言いなさい
”イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人たちの回心のため、そしてマリアの汚れ無き御心に対して犯される罪を償うためです”と」

ロザリオの祈りとは、天主なる救い主、約束されたメシアであるイエズス・キリストが教えられた主の祈りを唱え、天にまします我らの父に祈ることであり、天主から使わされた大天使ガブリエルと、天主からの特別の啓示を受けた聖エリザベトの言葉「めでたし」の祈りで、天にまします我らの母に祈り、聖三位一体なる唯一の天主に栄光を祈る
そして聖母はその後に救い主イエズスに対する祈りを付け加えることを望まれた

+「我らを赦し給え」ファチマのメッセージの全体に染み通っているのがこの「罪」という現実である
私達は罪人であり、罪が私達の奥深く根を張っている
罪は私達の永遠の生命を脅かし、私達を地獄に追いやる唯一のものである
聖母の御出現の中でも天使の出現でも「罪」に言及しなかったものは一つもない
ロザリオで、私達は主祷文をこう唱える
「我らが人に赦す如く、我らの罪を赦し給え!」天使祝詞ではこう唱える
「罪人なる我らのために・・・祈り給え!」私達はこのいわば「連祷」の後に「ああイエズスよ、我らの罪を赦し給え!」と願うのである
ああ救い主よ、我らが人に赦す如く、我らの罪を赦し給え、天主の御母にして我らの御母よ、罪人なる我らのために、我らの罪が赦されるように祈り給え!と

+「我らを地獄の火より救い給え」"Livrai nos do fogo do inferno!"聖母はこの最も緊急な祈りをすることを望まれた
聖母は地獄という現実を私達がいつも思い出すことを望まれた
聖母は地獄には本当に永遠の火がありそれを避けなければならないことを私達に教えようとされたのだ
恐ろしい、しかしそれが現実なのだ
聖母は地獄の火から「救われる」ことを祈れと言われた
「我らを悪より救い給え」と主祷分でも同じことを祈る
ラテン語ではSed libera nos a maloと言うが、「libera nos 我らを救い給え」と言う動詞と、ポルトガル語の「livrai nos 我らを救い給え」とは同じ語源の動詞である
私達にとって最大の悪とはこの地獄の火に落ちることである
たとえ全世界をもうけても、霊魂を失っては何の利益になるだろうか?

カトリック信者はだからいつもこの最大の悪から避けられるように天主の憐れみを乞うてきた
典礼でも、カトリック祈祷書でもそうだった

イエズスの御名の連祷では「A morte perpetua, libera nos, Jesu! 永遠の死より、イエズス、我らを守り給え!」

諸聖人の連祷でも「A morte perpetua, liber nos Domine! 永遠の死より、主よ我らを救い給え!」また「Ut animas nostras ...ab aeterna damnatione eripias, te rogamus audi nos! 我らの霊魂を永遠の滅びより救い出し給え、我らの祈りを聞き入れ給え!」と言う

更に、ミサのローマ・カノンの中では「ab aeterna damnatione nos eripi!永遠の滅びより我らを救い出し給え!」と祈っている
これこそ最も緊急の祈りだ
これに私達の全生涯がかかっている
永遠のたすかりを全うするか否かにこそ、全人生の意義がかかっている
私達が地獄の火から救われるためにこそ天主は人となり、御苦難を受け十字架で死を甘んじ受けられたのだ
天主の本性上の御子イエズスのこの世に来られた目的はそこにあった
イエズスの苦しみ、受難、十字架、流された御血潮と汗、それら全ては私達が地獄の火から救われるためだった
イエズスなしでは、イエズスのご受難とそのいとも貴き御血なしには私達は永遠に地獄の火に焼かれるべきものであった
私達はイエズスに私達の救いの恩義がある
だからこそ、聖母は私達にこう祈りなさいと教える
「ああイエズスよ、我らを地獄の火より救い給え!」と
そして、これは同時に大きな希望に満ちた祈りだ
「私を通らずに御父のもとに誰も行けない」と主は仰せられたが、私達の全希望はイエズスの御名にある
私達は主の十字架に全てを期待する
Ave Crux, spes unica! 私達は救い主イエズスによって罪の赦しを与えられることを確信している
聖ペトロはこう言った
「天上天下イエズスの御名以外に人の救われる名はない」と
だから、地獄の火から救われ、天国へ行けることを主の憐れみによって期待しているのだ

+「全ての霊魂・・・を天国に導き給え」私達の熱烈な望み、私達の最大の善、それは私達が、私達の愛する者たちが皆救われることだ
天の御父も皆が救われることを望まれる
キリストも皆が救われるためにご自分の生命を捨てて十字架で死なれた
だから、私達も「全ての霊魂」が救われるようにと祈るように聖母は望まれた
そうだas almas todas全ての霊魂だ
或いはシスター・ルシアがよく唱えるように、as alminhas todas全ての哀れな霊魂だ
Alminhasという単語は「霊魂たちalmas」の指小語であり、愛情と憐れみの感情を含む言葉だ
煉獄の霊魂のことだけとは限らない、いやむしろ、バルタス師がいみじくも指摘するように(91ページ注20)この祈りは罪人のため、かわいそうな罪人の霊魂のため、天主様を侮辱し続けるがために地獄の火に落ちていこうとする罪人に関することである

ルシアはこう書いている
「ある人は、子どもたちを恐れさせたくないために地獄については話しません
ところが天主は私達三人に、一人は六才だったのに、恐ろしい地獄を見ることを許されました
ヤシンタはたびたび考え込んで地面とか岩の上に座りこう叫びました
『ああ、地獄!地獄!地獄に行く霊魂が本当にかわいそう!下のあそこでは人々は生きたまま火の中の薪のように燃えているの!」そして震えながら跪いて合掌し聖母が私達に教えて下さった祈りを唱えました
『ああイエズスよ、私達を赦し給え
私達を地獄の火から救い給え
全ての霊魂、特に最も必要とする霊魂たちを、天国へ導き給え!』司教様、司教様は私が受けた印象によればこの祈りの最後の言葉は永遠の滅びの非常に大きな危険にある霊魂、或いはそれに非常に近い霊魂たちのことを指しているのだと言うことをもう理解されることでしょう」と
(第三手記による「現代の危機を告げるファチマの聖母の啓示ールチア修女の手記」p140参照)

Livrai para o Ceu! 天国に導き給え!私達は、心からこう祈る
「彼らを天国へと連れて行き給え、天国へと持ち上げ給え、天国へと引き寄せ、引き上げ給え!イエズスよ、御身は「私が上に上げられたとき全てを私のもとに引き寄せようOmnia traham ad meipsum.」と仰せられました
御身を仰ぎ見る者たちを、全ての霊魂たちを、御身のもとへ引き寄せ給え、御身の天国へと引き寄せ給え
御身を知り愛する恵み、聖徳を実践する恵みで御身のもとに導き給え!私達の祈りは受け入れられる価値のないものです
私達は何の権利もありません
しかしただ御身の無限の憐れみによって、御身の愛と同情によって、全ての霊魂を救い給え
もちろん、私達は全ての霊魂が、罪を犯すのを止め、御身の聖心を悲しませるのを止め、天主に立ち戻りそして救われることを望みます
出来れば、彼らが全て回心し、御身を信じ、愛し、救われることを望みます。・・・でも、私達の要求が全て聞き入られるほど私達には功徳がありません
私達はだから、要求をもっと明確にします
どうぞ、全ての霊魂が無理でしたなら、出来るだけ多くの霊魂のために、特に優先的に今地獄に落ちるか否かの瀬戸際にある霊魂たちのため、今一番地獄に落ちる危険のある霊魂たちのため、祈ります」これが聖人達の論理、愛の論理だった
だから、「ことに最も必要とする者たちを、天国に導き給え」と祈りなさいと聖母は教えるのだ

+「ことに最も必要とする者たちを、天国に導き給え」「めでたし」の祈りの中で聖なる私達の母公教会は、「天主の御母聖マリア、罪人なる我らのために、今も臨終の時も祈り給え!」という祈りを付け加えた
「天主の御母聖マリア、罪人なる我らのために、今も臨終の時も祈り給え!アーメン」天主の御母よ、今もいつも我ら罪人たちのために祈り給え
そして特に地獄に落ちるか否かの瀬戸際にある臨終の時に、最も必要とするその時に、我らのために祈り給え!と言うのだ

今地獄に落ちる間際にいる霊魂たちは聖母に祈らない
聖母を侮辱する
だから、聖母は彼らに代わって私達に祈れと頼まれたのだ
おお、良き牧者なるイエズスよ、御身は失われた罪人を捜し回り、それが救われることを、うみも病みもされない
イエズスの聖心よ!

幼いイエズスのテレジアは、その当時マスコミを騒がせて居た大悪党、三人を殺して悔悛の心を何一つ見せなかった殺人犯Pranziniのために祈った
彼女は霊魂の救いに飢え、大きな罪人たちの霊魂が地獄の火に落ちないようとりとめようと言う燃える愛の望みを持っていた
そして、彼女の祈りと犠牲でイエズスといとも貴き御血から救いの「天からの露」を勝ち得たのだった
それと同じく、私達もファチマの聖母に教えられ、罪人たちのために、最も必要とする霊魂たちのために祈るのだ

ルシアはまたこう書いている
「ヤシンタはこのように跪いたままで、長い間同じ祈りを何度も何度も繰り返して唱えました
ときどき誰かが眠りから目を覚ましたように、お兄さんか私を呼んでこう言うのです
『フランシスコ、フランシスコ、私と一緒に祈ってる?私達は地獄から霊魂たちを救うためにほんとにたくさん祈らなきゃダメ!あんなに多くの霊魂がそこに行くのだから!あんなに多くの!』

(この項続く)文責トマス小野田神父
「マニラのそよ風」より


戻り


===2===============

ファチマの秘密(1) :ルシアの手紙:02:

http://fsspxjapan.fc2web.com/maria/fatima_2.html

 時は1917年7月13日金曜日である
恐るべき地獄の光景を持ってファチマの秘密は開かれる
聖母はこの地獄を見せつけることによって私達をまずこの人生において最も大切なことへと導く
私たちは一体何のためにこの世に生まれてきたのか?
私達のこの生の目的は何なのか?
私達はなぜ今ここにいるのか?
私達の存在利する理由は何なのか?

聖母はすぐにそれを教える
私達は天主を知り、天主を愛し、天主に仕え、そうすることによって、天主と共なる永遠の福楽を得るために創造された
私達は永遠の生命を得るために生まれてきた
この地上の生活においてただ一つのことだけが本当に重要だ
つまり、永遠の生命を勝ちうるか否か、ということだ
私たちの主はこう言われた
「たとえ全世界を儲けても、魂を失ったら何の益になるだろうか?」と

戦争、第3次世界大戦、金融恐慌、飢饉、迫害、その他諸々の天災人災は恐ろしい
しかし何よりもまして恐ろしいのは永遠の生命を失うことだ
永遠の地獄へと堕ち滅びてしまうことだ
「体は殺せても霊魂を殺すことの出来ないものを恐れるな
ただ、おまえたちの霊魂を永遠のゲヘンナの火へ落とすことの出来るそのお方を恐れよ」

そうだ
私達は地獄を避け天国を勝ち取らねばならない
私達はこの世に生きている限り地獄へと堕ちる危険があるのだ

聖パウロと共に震い戦きながら私達の救いを全うしなければならない
自分は福音を伝えても除名されることのないように努力しなければならない
私達の全生涯は永遠の天国を勝ち取るためにあるのだからだ

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
地獄のビジョン

またもう一度ルシアが回顧録(手記)の中で語るその内容を聞いてみよう

「・・・これらの最後の言葉を聖母が話されると、以前2ヶ月の間なさったように、もう一度両手を開かれました
光線が大地を貫いたように見えました
そして私たちはあたかも火の海の様なものを見ました

 この火の中に浸かり込んでいるのは悪魔たちと人間の形をした霊魂たちでした
霊魂たちは透き通った燃える炭火のようで、皆真っ黒か褐色のようでした
彼らは雲のような煙と共に自分自身からわき出る炎によって持ち上げられ、この大火事の中に漂っていました
彼らは、恐ろしくまた恐怖のあまり震いおののかせる苦悩と絶望の叫びとうめきのまっただ中で重さも平衡感覚もなく、大火災の火の粉のようにあちこちにまた下に落ちていました
(私が「キャ!」という叫びをあげたと私の周りの人が聞いたといいますが、それはこの光景を見たときのことに違いありません)
 悪魔は燃えさかる黒い炭のように透き通ってはいましたが、汚らしい見たこともない動物の恐ろしい厭な形をしていたので地獄に落ちた霊魂たちとは区別されました

この光景は一瞬間しか続きませんでした
私達の天の良きお母様が、最初の御出現の時に私達を天国に連れていくと約束されたおかげでです
もしそれがなかったら、おののきと恐れのために死んでいたことでしょう」

地獄!地獄は存在する
私達人間の全生涯の悲劇がそこにある
聖母は私達のほんのつかの間のこの世の儚い地上の生活が、どれほど悲劇的な取り返しのつかないことを引き起こすか、ということをまず示されようとする
この苦しみだらけの十字架に囲まれた地上の生活は、私達を天国へと導かねばならないはずなのに、私達は天国と地獄を選ぶ自由選択能力を持っているのだ
私達の永遠は、繰り返して言うが私達の永遠は、二つに一つだ
天国か地獄のどちらかだ
もちろん天国へ行くための清めの段階として「煉獄」が存在する
しかし、「煉獄」は永遠ではない
煉獄へ行った霊魂たちはいつかは天国へとたどり着けるのだ
しかし、一度地獄に落ちてしまった霊魂たちにとってもはや決して二度と救いはないのだ
私達のいつかは死ななければならないこの人生には、取り返しのつかない永遠の命がかかっているのだ

「父に祝せられたものよ、来て、世の始めからあなたたちに備えられていた国を受けよ」(マテオ25:34)

もし天主の聖寵に助けられて、私たちが天国に生き、天主のまどいの中に、諸聖人の大家族の喜びに入り、変容し、天主化し、天主のいと大いなる栄光を喜ぶことが出来るようになるなら、私たちは本当に永遠に幸せだろう
これ以上の喜びはないだろう
えも言えぬ喜悦と最高の楽しみを、もう失うことなく享受するだろう
霊的で知的で精神的な最高の喜びが全身をみなぎるだろう
天主の御顔を顔と顔を合わせて見奉る
天主のことをその時、自分にとって限界いっぱい理解するだろう
天主の永遠の玄義を理解するだろう

天主の憐れみのおかげで永遠の滅びから救われたことを感謝するだろう
私たちの数多くの罪を許して下さり、忍耐強く憐れんで下さった天主に、永遠の賛美の歌を捧げるだろう
私たちの罪と惨めさにもかかわらず、私たちのひねくれた性質にもかかわらず、私たちには勿体ないばかりの聖寵に次ぐ聖寵を山と下さった天主の御あわれみを永遠に歌うだろう
永遠があっても、私たちの賛美を捧げるには足りないくらいだろう
天主はこの喜びを約束して下さった
もし私たちが天主の掟を守るなら、天国に行かせて下さる聖寵をこの世で下さると

放蕩息子である私たちは、天の御父の懐に戻りたい
私たちはイエズスの聖心に希望する
イエズスは私たちの霊魂の配偶者、十字架につけられた救い主である
私たちは主イエズスの近くに侍り、主は私たちの近くにましますだろう
イエズスの聖なる御顔の秘密のうちに私たちは隠れ、愛に燃え尽きる

天主の御母聖マリアの汚れ無き御心を観想し、その真と善と美を喜ぶだろう
聖母の母の腕とその美しいほほえみ
何億何兆もの天使や大天使は、天主への賛美を終わりなく歌う
「聖なるかな!聖なるかな!聖なるかな!」天の聖なる宴において、私たちは諸聖人と会うだろう
兄弟姉妹のように親しく語り合うだろう
おんの御父の同じ食卓に着いた私たちは、永遠に天主の子羊の婚姻を祝う
完全な幸せ
完全な喜び
地上のものは全て過ぎ去った
選ばれた者たちに準備された天主の命を生きる喜び
無限の福楽
この地上で考えつくことを全て遥かに凌ぐ偉大な栄光!

「呪われらものよ、私を離れて 悪魔とのその使いたちのために備えられた永遠の火に入れ。」(マテオ25:41)

しかし、もし私たちの自分の過失で罪を犯すなら、大罪を一つでもおかすなら、永遠の罰を受けるに値するものとなる
何という恐ろしいこと
何という対照!永遠の嘆き、永遠の不幸、永遠の生きるに値しない苦しみが私たちを待っている
その苦しみともだえと歯ぎしりは死の名にふさわしいものだ
呪われたものは死ぬために最後の審判の後によみがえるのだ
毎瞬間、立て続けの拷問と苦しみが呪われたものを苛む
そこにはいかなる希望の光も、いかなる慰めも、いかなる救いも永遠にない
決してない
永遠にそこに居なくてはならないのだ
天主から捨てられ、天主から永遠に呪われ、天主の現存を永遠に奪われた霊魂たち

地獄を畏れると言うことは何と救いの役に立つことだろうか
地獄を畏れると言うことは何と深くカトリック的であることか!シスター・ルシアの言葉を胸に刻みつけよう
地獄は存在する
多くの霊魂がそこに既に落ちてしまった

地獄を教えたのはイエズスだ

この地獄の火というのは私達の天主、人類の教師、私達の救い主自身が言われる言葉だ
私達の天主は哀れな罪人たちに「地獄の火」を恐れることを教えたのだ
「地獄の火」はダンテが神曲を書く前から、聖トマスが神学大全を書く前から、聖アウグスティヌスやその他の教父たちが地獄の火について語る前から、使徒聖ヨハネが語る前から、イエズス・キリストご自身が教えられたことなのだ

確かに、人間の弱い理性では天主の聖性とは何か、罪の悪さがどれほどのものか、知り尽くすことが出来ない
天主は聖なる聖なる聖なる御方なのだ
罪とは天主にハッキリと背くことである
人間の感情と心とはよく情念によって盲目となり、永遠の地獄の苦しみが存在すると言うことを出来れば無かったらと願ったりもする
終わりのない苦しみ、永遠の悶えとは、時間に生きる私たちの理解を超えるものである
だから、ファチマの恐ろしい地獄のヴィジョンのことを聞くと、そんな話はもう聞きたくないという誘惑にかられる人もいる
中には地獄の話のためにファチマにあからさまに反対を唱える人もいる

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
地獄を否定する現代の「神学者」

実に「公会議後の教会」(ベネリ枢機卿の言葉)は、ファチマのメッセージの逆を行っている
例えばハンス・キュンク(Hans Kung)は、地獄や永遠の処罰などというものが存在すると言うことは神話に過ぎないこと、このような神話から解放されなければならないことを説いている
ハンス・キュンクはサタンや悪魔の軍団などというものも「神話的な表現」であって、バビロンの神話から初期ユダヤ教に入り込んだもので、そこから新約聖書に入った」(, p425, Seuil 1978.)更に「最後の成就の時には、全てのものが和解し、普遍的な哀れみがある」(p426)と言い、オリゲネスが昔唱えた異端説(アポカタスタシス)を唱える
しかしこれには聖書からの根拠が全くない

ハンス・キュンクだけではない
(残念だが、似たような者は沢山いる!!)カール・ラーナー(Karl Rahner)もこう言う

「世界史の最後の成就には、伝統的な神学が『地獄』という名前のものに理解していることは現実には起こらないだろうと言えると、私は、確実に知っていいるのではないのですが、期待感を持っています」

更に「現行の教皇様が祝おうと望まれた天主の憐れみは、天主の正義と言うことや、人間がその自由決定によって滅びへと行ってしまう可能性と両立することが出来るのだろうか?私はここで如何なる「説*1」をも気ままに提案しようとはしません
神学者としてまたキリスト者として、この滅びの可能性があることを指示しなければならないと言うことを私はよく知っています
しかし、この可能性が本当に現実のものになると言うことは誰も肯定する必要がないのです」(Interview a La Croix, 13 avril 1983, p.9)と言っている

 つまり、カール・ラーナーによれば、<今伝統的に「地獄」と呼ばれているものは本当は永遠ではないだろう、また永遠の「地獄」と呼ばれているものはただの仮説上の可能性に過ぎない、心配するな、恐れるな!地獄がもしあったとしても地獄は空っぽだ!>といっているのだ

このことは、ウルス・フォン・バルタザール(Urs von Balthasar)[彼は後にヨハネ・パウロ2世教皇によって枢機卿になった]においても同じだ

ヨハネ・パウロ二世教皇様も、最近自由な個人的な立場で本を出された
その中にはこう書いてある
教皇様は、地獄に誰かがいるということを信じられたくないようだ
教皇様は個人的な立場でこう言われる

「天主はキリストにおいて「全てのものが救われ真理の知識に来ること」(1ティモテオ2:4)を望まれることをこの世に啓示されました
ティモテオへのこの最初の手紙からとったこの文章は終末を理解し説教するために基となる重要なものです
もし天主がこれを望まれるなら、−−もし天主がこのためにこそご自分の御一人子を与え給い、御子が今度は教会で聖霊を通して働いておられるとするならば、−−人は地獄に落ちることが出来るでしょうか?人は天主から捨てられることが出来るでしょうか? 地獄の問題は、オリゲネスから始まって、ミカイル・ブルガコフやハンス・ウルス・フォン・バルタザールなどと共に現代まで続いて教会の中にいる偉大な思想家たちを常に困らせてきた問題です
事実、古代の諸公会議は「最後のアポカタスタシス」という仮説を排斥しました
この仮説によりますと、世界は破壊の後に再生し、全ての被造物が救われるだろうと言うことです
この仮説は間接的に地獄を否定しています
しかし、[公会議がいくらそういう仮説を排斥したとしても]問題は残ります
人をそれほどまで愛する天主が人間をして永遠の苦悩へと断罪されるように人間を打ち捨てることを一体許し給うことがあり得るのでしょうか?それにもかかわらず、キリストのお言葉ははっきりとしています
マテオの福音にはキリストは永遠の罰に行く者たちのことをはっきりと語られます
(マテオ25:46参照)では誰がそこにいるのでしょうか?教会はこのことについてかつて如何なる声明も出したこともありません
これは本当に測り知ることの出来ない一つの神秘です
これは天主の聖性と人間の良心とを含む神秘です
従って教会のこの誰が地獄にいるかということに関する沈黙は、キリスト者の信仰の相応しい立場に過ぎないのです
イエズスが裏切り者ユダについて「あの男にとって生まれてこない方が良かった」(マテオ26:24)と話されるときでさえ、主のお言葉は彼の永遠の破滅が確かであるとは暗示していません」(「希望の敷居を踏み越えて」英語版pp185-186から筆者が訳出した
邦訳は『希望の扉を開く』三浦朱門・曽野綾子訳「同書は、・・・回勅等の公的著作と異なり、個人としての考えを語ったもので、教皇のこのような著作は教会史上初めて」(カトリック新聞1996/6/16))

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
極めて福音的な地獄のビジョン

ファチマのヴィジョンはイエズスの教えの忠実な「挿し絵」だ
イエズスのみ教えに、聖母のヴィジョンは忠実にこだましている
「シスター・ルシアの語る地獄のヴィジョンは極めて福音的なのです」(Dom Jean-Nesmy , p.212.)なぜなら、イエズス御自身が御生涯の間地獄のことを絶えずのべ伝えていたからだ
イエズスの全生涯は私たちを地獄の火から守るためにあったからだ
天主の愛はここに現れた
天主の極めて優れた崇高な愛はここにある
天主は人々のために時において人となり、貧しさの中に生まれ、育ち、受難を受け十字架の上で大罪人であるかのように死に、葬られ、蘇った
それは全て私たちを地獄の火から救おうと望まれたからだ
もし私たちの救い主がかくも痛ましい死を遂げ給うたのは、それは本当に現実に地獄が存在するからだ
そして人がそこに落ちることが出来るからだ
イエズスは御自分の恐ろしいご受難を通して地獄の罰の恐ろしさを証明された

イエズスは嘘を語らない
イエズスはハッキリと地獄の火を語る
シスター・ルシアも地獄の火を見たと語る
「そして私たちはあたかも火の海の様なものを見ました」この言葉には豊かな意味が含まれている
福音の深い意味と、神学的な正確さがある

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
地獄とは

まず、地獄とは或る「場所」である
聖書は地獄をある場所として描いている
黙示録は、
何回も「火と硫黄に苦しめられる、その苦しみの煙は代々に立ち上る」(黙14:10ー11)
「生きながら、硫黄の燃える火の池に投げ込まれた」(黙19:20)
「悪魔は火と硫黄の池に投げられたが、そこには獣と偽預言者がいて、代々に昼夜を問わず彼らは苦しめられる」(黙20:10)
「火の池は第二の死である、命の書に書かれなかった者はみな火の池に投げ込まれた」(黙20:14ー15)

聖ヨハネはさらにこう書く
「臆病者、不信仰の者、いとうべき者、殺害者、淫行者、魔術者、偶像崇拝者、全てうそをつく者は、火と硫黄の燃える池、すなわち第二の死を受ける」と(黙21:8)

地獄とは単に天主を拒む人々の「悲劇的な状態」のことではない
このことは重要だ
地獄とは状態ではない
地獄とは罰を受ける場所だ
永遠の苦しみを味わう所である
それは火の海という言葉で表現されている

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
多くの霊魂でいっぱいの地獄

しかも三人の子どもたちをびっくりさせたのはこの火の海がからではなかったことだ
いや火の海は呪われた者でいっぱいだった
シスター・ルシアは回顧録の中でそのことを強調する
ルシアはヤシンタがいつもよくこう言っていたことを書いている
「あそこに落ちる人は、あんなにも沢山!あんなにも沢山いる!」とか、さらに「地獄に落ちる人ってあんなにも大勢、あんなにも大勢!」と(第三回顧録)
シスター・ルシア自身も地獄にもの凄い数の人が落ちていくことをよく口にしている
ちょうど火災報知器が鳴り渡るようにシスター・ルシアはそれをくり返す
「自らを破滅に向かわせる人々は無数です」「多くが滅んでいきます」「霊魂たちが地獄に落ちていくのはちょうど渦巻きのようです」

何という現実!何という写実主義!ファチマのヴィジョンは厳しいしかし本当の現実を語っている
地獄は存在するばかりではない
地獄には数え切れないほども無数の呪われた霊魂たちがいる
しかもそれらの霊魂たちは永遠に終わり無くむごい苦しみを味わうのだ
ファチマの聖母はそれを現代の私たちに思い出させようとされたのだ
ファチマの聖母は、あまりにも忘れっぽい現代人に現実を教えようとされるのだ

「この火の中に浸かり込んでいるのは悪魔たちと人間の形をした霊魂たちでした
霊魂たちは透き通った燃える炭火のようで、皆真っ黒か褐色のようでした」

一時的に人間の霊魂は肉体とは分離したとしても、それは不自然な臨時の姿にすぎない

人間の霊魂は天使のような純粋な霊ではない
人間の霊魂は知的な実体形相だ
人間霊魂は、本質的に肉体の形相としてあり、生命原理としてある
もうすぐ、最後の審判の時に全て死んだ霊魂はもう一度肉体を取る
霊魂と肉体の分離という状態は一時的なことに過ぎない
呪われた霊魂たちも肉体を受けるだろう
しかし、死者が全て肉体を取るその日まで、霊魂は自分の肉体との分離を強制的に被っている
しかし、全て肉体と分離させられた霊魂は肉体との合体の期待においてあるのだ
従って、火の海にいた多くの呪われた霊魂たちが人間の形をしていたとしても驚くにあたらない
霊魂は自分の肉体を生かしていたその形相なのだから、人間霊魂が人の形をして見えたのだろう

「悪魔は燃えさかる黒い炭のように透き通ってはいましたが、汚らしい見たこともない動物の恐ろしい厭な形をしていたので地獄に落ちた霊魂たちとは区別されました」

これは中世のおとぎ話にでてくる幼稚なイメージ?いや、違う!!!

繰り返しになるが、これは聖書にでてくるシンボルだ
天主に逆らった天使らの醜さと彼らの悪意とその邪悪さを、天主は黙示録の中で動物の姿で描く
例えば、黙示録には、サソリのような力を持った戦いに供えた馬のようなイナゴが出てくる(9章)し、「七つの頭と十の角を持ち、頭に七つの冠のある赤い竜」(黙12:3)も出る
また、聖ペトロは悪魔のことを「吠える獅子」(1ペトロ5:8)と言う

私たちの主イエズス・キリストは、地獄には決して消えることのない永遠の火があること、嘆きと歯噛みのある外の闇であることを語る
全てをつくった天主の御言葉の言葉がそうである
永遠の知恵がそう言うのである
全てが彼によってあるその主がそう言われた
イエズスはハッキリと具体的に地獄について語られた
天主は地獄という現実があることを私たちに教えたかった
地獄とは人間の想像を絶するところである
網走の刑務所?強制収容所?地獄に比べたら、この地上で人間がつくりだすことの出来るどんな恐ろしい刑罰も、何でもなくなってしまうだろう
呪われた者たちの嘆きと苦悩に比べたら、この地上の苦しみは何でもなくなってしまうだろう
そのことを教えたくてイエズスはこう言われる

「もし手や足が、罪を作る機会となるなら切り捨てよ
片手片足で命に入る方が、両手両足がそろいながら永遠の火に投げ込まれるよりも良い
もし目が罪を作る機会となるなら抜き出して捨てよ
片目で命に入る方が両目あって火のゲヘナに投げ込まれるよりも良い」(マテオ18:8ー9)

最後の審判の時にイエズスは
「その栄光のうちに多くの天使を引き連れて光栄の座につく
そして諸国の人々を前に集め、ちょうど牧者が羊と雄やぎを分けるように、羊を右に雄やぎを左に置く。・・・左にいる人々に向かって言う、<呪われた者よ、私を離れて悪魔とその使いたちのために備えられた永遠の火に入れ。・・・>・・・そしてこれらの人は永遠の刑罰を受け、義人は永遠の生命に入るであろう」(マテオ25:31-33, 41, 46)

ファチマの地獄のビジョンは、まさに聖書のまま、イエズスのお言葉のままである

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
地獄の物理的な火

「霊魂たちは透き通った燃える炭火のようで、皆真っ黒か褐色のようでした
・・・悪魔は燃えさかる黒い炭のように透き通っていました」と、シスタールシアは語っている
カトリック神学が教えるとおり、地獄の霊的、物理的、現実の火は全てを焼きこがすのだ
霊的な火とは、呪われた者の苦しみである
天主を永遠に失ってしまったことである
もはや取り返しがつかない、最高の善を失ってしまったことである
天主を獲得しようと思えば、出来たはずなのにあえて自ら天主を否んでしまい、天主を失ってしまったその悔やみである
天主があれだけ霊魂の救いのために尽くしたにもかかわらず、それに霊魂が協力しなかったことの天主の正義の怒りである
聖なる、聖なる、聖なる天主の正義の怒りに燃える顔を見るよりも恐ろしいものがあるだろうか
霊魂のために愛を尽くした「妬みの天主」を軽蔑と冷淡と無関心、罪と侮りと冒涜で返答したことへの天主の義憤である
人となった天主の御一人子を侮辱し、屈辱し、辱め、敵と回したことのために当然受けるべき怒りを受けるのである
罪無き天主の御一人子の流したいと貴き血潮を軽んじ無駄にさせてしまったことの当然の報いである
聖パウロはこういう
「審判の恐るべき待機と、反逆者を焼き尽くす復讐の火だけが残る
モーゼの律法に違反する者は、二、三人の証人によって憐れみ無く死罪に処せられる
それならなおさら考えよ
天主の子を踏みつけ、自分が聖とされた契約の血を汚し、恩寵の霊を侮った者の罰はどれ程ひどかろうかと
『仇は私が取る、報いるのは私である』また『主はその民を裁く』と仰せられたお方を私たちは知っている、生きる天主の御手に落ちるのは恐ろしいことである」(ヘブライ10:8-31)
何故なら、「主は焼き尽くす火であり、妬み深い天主である」(第二法4:24)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
地獄の火は本当の火

地獄の火は霊的な火であると同時に物理的な火である
「呪われた者の罰には、罪科(culpa)の中にあった天主から離れ去ることのに対応する罰(poena damni)のみならず、さらには被造物に愛着したということに対応する感覚の罰(poena sensus)とがある
・・・肉体から離れた霊魂を苦しめる火について何が言われようとも、復活の後に呪われた者たちの肉体を苦しめる火について言えば、それは物体的であると言わねばならない。・・・/ かの火は、物理的に肉体を変質させないが、刑罰のために肉体に霊的に働く
だから、この火について、その実体をさして(ダマスケネスが)「物質的ではない」と言っているのではなく、肉体において、そしてむしろ霊魂においてはたらく刑罰の効果のことをさして、物質的でないと言われているのである」(神学大全:補足q97, a5, C. & ad1)
「地獄の火は、火の本性に関する限り、私たちの地上の火と同じ種のものに属していることは明らかである」(神学大全:補足q97, a6)

−−−−−−−−−−−−−−−
自分のうちからわき出る火

シスター・ルシアはこう言っている
「彼らは雲のような煙と共に自分自身からわき出る炎によって持ち上げられこの大火事の中に漂っていました」と
この自分の内から出る炎とは何だろうか
自分の心の内に煮えたぎる後悔、怒り、絶望、恐怖ではないだろうか
これがイエズスの語る「失せない蛆」(マルコ9:48)ではないだろうか
この「内からわき出る火」について、アビラの聖テレジアが語っている

ある日アビラの聖テレジアは祈りの最中に突然地獄に運ばれたようになった
聖テレジアはそのときの苦しさを語ってこういう

「私は自分の霊魂の中で火を感じました
この火の性質を言葉で言い表すことは出来ません
他方で私の体は堪えることの出来ない拷問にあっていました
・・・私はこの内的な火がどのようなものか、この様に恐ろしい拷問につけ加わる絶望がどのようなものなのか、その考えすら浮かびません
この世の火の拷問など、地獄の火と比べたら何でもありません・・・」(自叙伝32章)

「彼らは、恐ろしくまた恐怖のあまり震いおののかせる苦悩と絶望の叫びとうめきのまっただ中で」

恐ろしさ、恐怖、震いおののき、苦悩、絶望の叫び、うめき、・・・シスター・ルシアは地獄の光景をそのまま語る
地獄は平和の欠如そのものだ
安定もなく、秩序もなく、休みもない
全てはひっくり返り、ごたごた掻き回され、不安定で、無秩序で、呪われた者たちはただ悶えるばかりである
シスター・ルシアは、こう続けている
かれらは「重さも平衡感覚もなく、大火災の火の粉のようにあちこちにまた下に落ちていました」

何というおぞましい光景!これが、聖母が無邪気な子どもたちに見せようと望まれた地獄の光景である
聖母はただイエズス・キリストの教えをもう一度くり返したに過ぎなかった
私達の天の母である憐れみの聖母は、もう一度この真理を忘れてはなりません、と教えて下さったのだ
聖母は既に現代の異端説から私たちを守ろうとそれに備えをして下さったのだ

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
地獄について沈黙する現代

実に、多くの教会の牧者でさえも、もはや地獄のことを説教しなくなった
多くの信者は地獄のことを思い出しもしない
近代主義の異端説が私たちをして地獄を忘れ去らせようとしているからだ

天主の御母は、現代の「神学者」たちの言うとは全く反対のことを見せる
現代では司教様も司祭も、誰一人としてこの永遠の地獄とその火について語ろうとしない
彼らはしきりに「恐れるな!」と言うだけだ
しかし聖霊のたまものである「天主の畏れ」については何も語られない
「天主を罪によって悲しませないように」と畏れることについては語られない

現代の神学者たちは、私達の真の宗教がよって立つ「地獄が存在し、私達は自分のせいでこの地獄に落ちる危険がある」というその重要な信仰の真理を否定しようとしている
地獄のイメージを中世的に出来たものだとか、本当ではないとか、古くさいとか全く自分勝手に判断し、聖伝に基づく伝統的な地獄のイメージを打ち捨てている
ファチマの聖母の「地獄のヴィジョン」は正に背教の現代にとって預言的なものであった
聖母は現代のこの頑なな盲目に陥らないように私達にあらかじめ準備させたのだった
たとえ恐ろしい光景であったとしても、それを忘れないように、そこに陥らないようにするために私達にこのヴィジョンを与えたのだった
この意味で、ファチマの秘密はかつてに優って全く今の時宜にふさわしいものである

地獄のビジョンの本当の意味を理解するために、ファチマの秘密における地獄のビジョンの占める位置について正しく理解するために、私たちは、この地獄を見た三人の牧童の言うことを聞いて見なければならない

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
三人の子どもの証言

地獄を見たルシアの顔は真っ青になったと言われている
それはそこに居合わせたティ・マルトや、マリア・カレイラ、アントニオ・バプティスタなど多くの証人が証言している

地獄を見たとき、ルシアは悲鳴を上げる
「私が「キャ!」という叫びをあげたと私の周りの人が聞いたといいますが、それはこの光景を見たときのことに違いありません」
その他の証人は、ルシアが「キャー!マリア様!」と言ったと言っている
彼らは何故突然ルシアが叫びだしたのか分からず、その理由をようやく後で知ることになった

この日以降、ルシアの心の中にこの恐ろしい地獄の光景がしっかりと焼き付けられたのだった

地獄を見た!

ルシアはこう書いている「聖母は優しく悲しそうにこう言いました
「あなたたちはかわいそうな罪人たちが行く地獄を見ました」と

天主の御母は、
「あなたたちは永遠の破滅のある象徴、あるイメージをみました
本当の地獄とは、純粋に霊的なのでこういうものではありませんが、そのシンボルを見たのです」
とは言われなかった
いや、聖母はハッキリこう言ったのだ
あなたたちは、地獄を見ました!!と

実際シスター・ルシアは聖母が地獄の光景を長い間秘密にしておくようにと要求されたので聖母に感謝した
なぜなら、まだ子どもだったルシアは、自分の見た現実を正確に描写することが出来なかったからだ
シスター・ルシアは1941年にこう書いている
「沈黙を守ることは私にとって本当に大きなお恵みでした
もし地獄について話さなければならなかったとしたら、私に何が起こっていたでしょうか?現実をそのまま表す正確な言葉を見つけられず、・・・なぜなら私がここに地獄について書いたことは何でもないし、地獄についての弱々しい考えを与えてくれるだけです」
シスター・ルシアの言おうとすることは明白だ
現実の地獄は、もっともっと恐ろしく、人間の言葉ではとても表現できないものだ、と言うことだ

 ルシアはこういう
「私達の天の良きお母様が、最初の御出現の時に私達を天国に連れていくと約束されたおかげでです
もしそれがなかったら、おののきと恐れのために死んでいたことでしょう」
地獄のビジョンはそれほど恐ろしいものだったのだ

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
地獄を見たヤシンタ

ルシアによれば「ヤシンタは、秘密のうちに啓示された或ることに大変深く印象づけられたようでした
本当にそのようでした
地獄のビジョンはあの子を畏れさせ、地獄に落ちないように霊魂たちを何人か救うためには、全ての償いも苦行もあの子には十分では無いかのように思えていたほどでした。・・・ ・・・
たとえ敬虔な人だったとしても子どもに地獄のことを話すのが嫌いな人たちもいます
それはその子達が怖れないようにするためです
しかし天主様は、三人の子どもたちに地獄を見せるのを躊躇しませんでした
そのうちの一人の女の子はまだ六歳にもなっておらず、天主はこの女の子が、大胆な言い方かも知れませんが恐れのあまりに死んでしまうほど、地獄を怖がると言うことを良く知っていたにもかかわらずです」
(第三手記)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
フランシスコ

フランシスコは?シスター・ルシアはこう書いている
「第三の御出現の時、地獄のビジョンにも余りびっくりしなかったのはフランシスコのように見えました
それでも地獄の光景はあの子にも大きな衝撃だったのです」
(第四手記)

しかし、フランシスコはその気質が余り臆病でもなく、びくびくするタイプの子ではなかった
フランシスコは「おっかなくならないように、絶対に地獄のことを考えないように」努力していた
「ヤシンタが地獄のことを思い出して大変印象づけられていたのに比べて、フランシスコはヤシンタにこう言うのを常としていました
『あんまり地獄のことなんか考えるなよ!それより私たちの主イエズス様とマリア様のことを考えなよ
僕はおっかなくならないように地獄のことなんか考えないね』と」
(第四手記)

しかし、聖母は、この特別に選ばれた子どもたちが地獄のことを考えるようにと、彼らに地獄の光景を見せたのだった
不幸にして地獄に落ちてしまった霊魂たちのことを思い、罪人の回心のために絶えず祈りいけにえを捧げるようにと、聖母は望まれたのだった
フランシスコはそれにもかかわらず地獄のことを忘れようとするのだろうか?そう言うフランシスコにまた新たなビジョンが与えられた
ルシアの回顧録を見てみよう

「ある日、ペドレイラと言うところに私たちはいました
羊たちが牧草をはんでいる間に私たちは岩から岩へとはね回り、自分たちの声を山びこさせていました
フランシスコはいつものように岩の洞穴に隠れました
随分経った後、私たちはフランシスコが叫んで私たちを呼び、聖母の御名を呼び求めているのが聞こえました
あの子に何か起こったに違いないと心配し、私たちはフランシスコを捜し始めました
『どこにいるの』『ここだよ、ここ、ここ!』フランシスコのいるところまで行くにはそれでも時間がかかりました
ついに私たちはフランシスコと見つけると、彼は恐ろしさの余り震え、まだ跪いたままで、本当に打ちのめされ立ち上がることもできませんでした
『なんかあったの、なにがあったの?』フランシスコは、恐れの余り半分息が出来ずに窒息したような声でこう言うのです
『地獄にいたあの大きいケダモノどものうちの一匹が、火の中から出てきてここに居たんだよ!』
(第四手記)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
大きな憐れみの心

ヤシンタはかわいそうな罪人たちに対して大きな憐れみを抱いた
ルシアはこう書いている
「ヤシンタを一番びっくりさせたのは、永遠でした
遊んでいる最中でさえ時々ヤシンタはこう尋ねるのです
『ねえ、ちょっと考えて、何年も何年もずーと、ずーと経った後でも、まだ地獄は終わらないの?』」(第一手記)
ルシアはいつでも公教要理に書いてあったのと同じ答えをした
聞くのには厭な答えだが真理を答えた
「そうよ、絶対に絶対に終わらないのよ、地獄は永遠なの」

「ヤシンタは地面に、あるいは石の上に座って考え込んだようになりこう言い始めました
『ああ!地獄!地獄!地獄に落ちる霊魂たちがかわいそう!あそこにいる人たちは、生きたままで火の中の薪のように燃えなるの!』それから半分震え戦きながら跪いて手を合わせて聖母が私たちに教えて下さった祈りを唱えるのです
『ああイエズスよ、われらを赦し給え
われらを地獄の火より救い給え
全ての霊魂、ことに最も必要とする者たちを天国に導き給え』
・・・そしてヤシンタは、そのまま同じ祈りを何度も繰り返して跪いたまま長い間じっとしていました」(第三手記)

ヤシンタは見た!多くの霊魂たちが地獄に落ちていくのを
ヤシンタは多くの霊魂が地獄に落ちているのを知っているが、それに決して慣れたりしない
地獄に落ちる霊魂のことはヤシンタにとっての苦しみの原因だった
この地獄に落ちる霊魂を救おうという考えが、ヤシンタをさらに寛大に英雄的にした

「ほんとに多くの霊魂が地獄に行くのだから!ほんとに多くの!」

ルシアはまたこう書いている
「ヤシンタはこのように跪いたままで、長い間同じ祈りを何度も何度も繰り返して唱えました
ときどき誰かが眠りから目を覚ましたように、お兄さんか私を呼んでこう言うのです
『フランシスコ、フランシスコ、私と一緒に祈ってる?私達は地獄から霊魂たちを救うためにほんとにたくさん祈らなきゃダメ!ほんとに多くの霊魂がそこに行くのだから!ほんとに多くの!』と」(第三手記)

「或る別の時には、しばらく考えた後に、ヤシンタはこう言っていました
『あんなにも多くが地獄に落ちるのよ!あんなにも多くが地獄に!』この子を落ち着かせようと私はこう言いました
『怖がっちゃダメよ、ヤシンタちゃんは天国に行くのだから』すると、彼女は安らかにこう言いました
『うん、私は行くの、でも私はこの人たちも皆天国に言って欲しいの』」(第三手記)

ヤシンタはある日、既に病床について居るとき、自分のいとこのルシアにこう打ち明けた
「ある日私はヤシンタの家に行きました、それは少しの間でも彼女と一緒にいるためでした
私はこの子がベッドの上に座って考え深くなっているのを見ました
『ヤシンタちゃん、何考えてるの?』『もうすぐ始まる戦争のことよ、本当に多くの人が死んでいくの、そして殆ど全部が地獄に行くのよ!』」(第三手記)

ルシア自身も自分の見たことを絶えず証言した
ルシアはうまずたえず疲れることなく、ひたすらに1917年7月13日の大警告をくり返した

ロンバルディ神父(P. Lombardi)は、『よりよい世界を作る運動』の創立者だが、1953年、10月13日に、シスター・ルシアを訪問し地獄について彼女に尋ねた

「『本当に多くの人が地獄に落ちていくと信じますか?私は天主様がその大部分を救って下さると希望します
(私は『信仰のない人たちの救い』と言う題の本さえ書きました)』

『多くの人々は自ら破滅します(=地獄に落ちます)』

『この世は悪徳だらけであるとは確かです、・・・でも、常に救いの希望があります』

『いいえ、神父様、多くの人は自ら失われるのです(=地獄に落ちるのです)』」(Alonso, 『ファチマの秘密に関する真実』, pp. 88-89)

シスタールシアは、ある日神学校を辞めようという誘惑にかられている青年に手紙を書いた
そして、その手紙の中でルシアは彼にもし神学校を辞めると地獄に落ちる大きな危険があることをくり返し言っている
そして、手紙の最後に、結論として、彼に自分の召命に忠実であるようにと次のように頼んでいる
「私があなたに地獄のことを余りにもよく話すからと言ってびっくりしないで下さい
これは現代においてよく思い出す必要のある真理なのです
何故かというと人は地獄のことを忘れているからです
地獄に落ちていく霊魂たちというのはたつまきのようです
何ですって?地獄に行かないようにするため、また多くの霊魂たちが地獄に落ちないようにするためにしなければならない全ての犠牲をよく捧げていないのですか?」(A. M. Martins, 『シスター・ルシアの手紙』, P. 120-122, Porto 1979)

シスタールシアは、話に尾ひれも付けないし、誇張もしない
ただそのままを語る
ある日彼女はトマス・ウォルシュ(Thomas Walsh)氏との対話の中でこう言っている
ウォルシュ氏は彼女に罠のある質問をした

「『聖母は多くの霊魂たちが地獄に落ちていくのをあなたに見せて下さいましたね
あなたは、地獄に落ちる呪われた霊魂たちが救われる霊魂よりもずっと多いという印象を聖母から受けましたか?』

ルシアは軽くほほえんで
『私は地獄に落ちる霊魂を見ました、私は天国に昇っていく霊魂を見ませんでした』」("Our Lady of Fatima")

聖母が私たちに教えて下さることは、どちらの方が多いかではない
そうではなく「多くの霊魂が地獄に落ちていく」ことである
この世の人生の罪の生活の果てに、多くの霊魂が「火の海」の中に落ち込んでいくことである

「もしあの人たちが地獄を見たら、もう罪を犯しっこないのに」

地獄に落ちていく霊魂たち!これこそ人生の悲劇、最終のドラマだ
この究極的な絶体絶命の危険から霊魂を救うにはどうしたらよいだろうか?
コバ・ダ・イリアに集まる大群衆の中にはロザリオを熱心に唱えるものもあれば、敬虔な巡礼者もあり、また興味本位に来るだけで信じない者もいた
ヤシンタは良いことを思いついた
「『何で聖母様は地獄を罪人たちにお見せしないの?もしあの人たちが地獄を見たら、地獄に行っちゃ大変だからもう罪を犯しっこないのに
ルシア姉さんは聖母様にこの人たちみんなに地獄を見せて下さるようにとお願いして
そうしたらこの人たち回心するよ、きっと』

(その次の御出現の)後に、ヤシンタは少し不機嫌で私にこう尋ねました
『ねえ、お姉さんは何で聖母様にこの人たち皆に地獄を見せて下さいってお願いしなかったの?』『私忘れちゃったの』と答えました
すると彼女も少し悲しそうな調子で『私も忘れちゃった』と言いました」(第三手記)

「もし私があの人たちに地獄を見せることが出来たらなぁ!」

確かに地獄の光景を全ての人々に見せるのは天主様のご計画ではない
そして地獄の光景でさえも罪に凝り固まった霊魂たちを回心に導くには十分ではないだろう
貧しい乞食ラザロのたとえ話を思い出そう(ルカ16)

聖書も地獄について語り、イエズスも地獄について語り、諸聖人も地獄について語った
地獄について説教しなければならない
うまずたゆまず地獄のことを思い出させなければならない
地獄のことを聞き善意の霊魂たちが回心するように
善意の霊魂たちが、少なくとも地獄を怖れて回心するように

地獄のことが忘れ去られた、というこの事態は悪魔の大勝利である
悪魔は人の心から地獄の観念を消すことに成功したのだ!人々は何をしても地獄の罰を怖れないのだ

教皇ピオ九世はローマの司祭たちにこう言っていた
「悪魔は地獄について説教する司祭たちを怖れる」と
地獄についての説教は霊魂にとって本当に善になる
どんな霊魂にとっても益になる
惨めな霊魂であっても、完全な霊魂であっても、為になる
何故なら、地獄は、私たちをして罪を忌み憎ませるからだ

聖母は優しく悲しそうにこう言われた
『あなたたちはかわいそうな罪人たちが行く地獄を見ました』と
かわいそうな罪人たち!

この最後の「罪人」という言葉について、ヤシンタはある日いろいろ考えた

「時々彼女はまた質問しました
『この人たちはどんな罪を犯して地獄に行くことになるの?』『さあ、分からない、もしかしたら主日にミサに行かない罪とか、盗みとか、悪い言葉を言うとか、ののしるとか、冒涜するとかかも』『それじゃあ、そうやってたった一つの言葉のせいで、あの人たち地獄に行くの?』『そうよ、だってそれも罪じゃない』『黙っていたり、ミサに行くというのが、(生きていた間)あの人たちにとってどれだけ大変なことだったの!?罪人たちがほんとにかわいそう!あぁ!もし私があの人たちに地獄を見せることが出来たらなぁ!』」(第三手記)

「罪人たちがほんとにかわいそう!」

ヤシンタの心遣いの大部分を占めた問題はこれであった
多くの霊魂を救うこと
地獄の火から救い出すこと
霊魂たちに地獄のことを教えること
ヤシンタは、霊魂たちに地獄の火に落ちないように知らせるために、どんな罪を犯すと地獄に行ってしまうのかを知りたがったのだった

ヤシンタはルシアの答えには十分満足しなかった
ヤシンタはその後重い病気になるが、そのとき聖母は彼女を訪れて下さるだろう
病気のヤシンタが聖母に聞いた質問がそれだった
霊魂たちはどんな罪を犯すので地獄に落ちるのですか?と
私たちは、いまここでその詳細について触れる余裕がない
とにかく聖母はこう答え給うた
「最も多くの霊魂たちを地獄に引き落とす罪は、肉の罪です」(第三手記)1917年、まだビデオも、コンピューターゲームも、洪水のようなポルノ雑誌、映画、新聞の存在していなかった時代の話である!

ヤシンタは私たちに地獄の危険について教えるだけで満足しなかった
彼女は全く祈りと償いと悔悛に全てを捧げるのだ
彼女の信じられないほどの寛大さは、霊魂を永遠の滅びから救い出そうと、自分のことを全く忘れて、祈りに励み出すのだ
ヤシンタはたえず新たに愛の祈りを捧げ、償いを捧げた
シスタールシアはヤシンタについてこう書くことさえ出来た
「全ての償いと苦行は、地獄から霊魂をいく人が落ちないようにするためには、あの子にとって十分ではないと思われていました」(第三手記)

祈る、天主に赦しを求める、罪人の名において、罪人たちに代わって、彼らの罪の償いに、イエズスとマリアの聖なる聖心をお慰めするために、犠牲を天主に捧げる、これがファチマの霊性である
これがルシアとヤシンタ、フランシスコの聖性を得るためのプログラムであった
このプログラムは本当に簡単だ
このプログラムはキリスト教の核心に単刀直入に触れる
つまり、永遠の命、天国と地獄、罪の醜さ、贖いと諸聖人の通功、という贖いの玄義に
聖母は、私たちの人生のドラマをこの短い言葉で要約された
聖母はこの言葉を1917年の8月19日に、非常に悲しそうな面もちで、言われた

「罪人たちのために、祈り、多く祈りなさい
犠牲を捧げなさい
何故なら、多くの霊魂たちが地獄に行くからです
それは、これらの霊魂のために犠牲となり、祈りをする人が誰もいないからです」

地獄!
これこそ聖母マリアが何よりもまず私たちに思い起こさせようと望まれたことである
シスタールシアは、この点を強調して止まない
ルシアは、1957年フエンテス神父(P. Fuentes)と面会し、こう断言した

「私の使命は、この世界が祈らず、償いを果たさなかったら必ず受けるであろう物質的な天罰について、この世界に指し示すことではありません
いいえ、違います
私の使命は全ての人々に、もし私たちがこのまま罪に頑なにとどまるなら、永遠に私たちの霊魂を失ってしまうというその身に迫る危険を指し示すことにあります」

1977年7月11日、ルチアニ枢機卿(すなわち、私たちの将来の教皇ヨハネ・パウロ一世)が、コインブラのカルメル修道院のシスタールシアを訪問した後、彼はこう語った
ファチマの第一の秘密を彼程良くうまくまとめた者はいないといわれる

「地獄は存在し、私たちは地獄に落ちてしまうかも知れません
ファチマで聖母はこの祈りを私たちに教えて下さいました
『ああイエズスよ、我らを赦し給え
我らを地獄の火より救い給え
全ての霊魂、ことに最も必要とする者たちを天国に導き給え』
この世で重要なことはいくつかありますが、よく生きることによって天国を獲得するにふさわしいものとなることより重要なことはありません
そのことを言っているのはファチマだけではありません
聖書がそのことを言っています
『たとえ全世界を儲けても、魂を失ったら何の益になるだろうか?』と」

そうだ、聖母は言われた
「罪人たちのために犠牲をしなさい
たくさん、特に何か犠牲をするときにこう言いなさい
“イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人たちの回心のため、そしてマリアの汚れ無き御心に対して犯される罪を償うためです”と」

わたしたちも祈ろう、天主に赦しを求めよう、罪人たちの名において、罪人たちに代わって、罪人たちの罪の償いに、イエズスとマリアの聖なる聖心をお慰めするために、犠牲を天主に捧げよう
これがファチマの霊性である
ファチマの秘密の核心である
私たちも、ルシア、ヤシンタ、フランシスコに倣おう
彼らの聖性を得るためのプログラムを私たちも実行しよう
このプログラムは本当に簡単だ
聖母の薦めに従い、私たちも、罪人たちのために犠牲をしよう
たくさん、特に何か犠牲をするときにこう言おう

『イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人たちの回心のため、そしてマリアの汚れ無き御心に対して犯される罪を償うためです』と

「何故なら、多くの霊魂たちが地獄に行くから、それは、これらの霊魂のために犠牲となり、祈りをする人が誰もいないから」だ

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
文責トマス小野田神父
「マニラのそよ風」より



戻り


===3===============

:天使の出現:

http://www.d-b.ne.jp/mikami/fatima1.htm

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1915年
1916年
第1回目
第2回目
第3回目
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
聖母の御出現
1917年5月13日(第1回目の御出現)
1917年6月13日(第2回目の御出現)
1917年7月13日(第3回目の御出現)
公・力の介入(1917年8月10日から8月15日まで)
1917年8月19日(ヴァリニョスにおける第4回目の御出現)
1917年9月13日(第5回目の御出現)
1917年10月13日(第6回目の御出現)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
天使の出現
1915年

4月から10月の間にルシア・ドス・サントスとその友人たちは3回天使の出現を受けました
昼食の後ロザリオの祈りを唱えているときに雪でできた像のような白く光り輝く天使の姿を見ました
彼女は最初それを「紙で巻かれた人物のようでした」と言っています
ルシアは家族にこのことを話しませんでしたが、友人の話から噂が広まり、ルシアはこのことについて母親から詰問されています
その後2回天使は出現しましたが、この年には天使からのメッセージはありませんでした

−−−−−
1916年

この年はルシアは友人とではなく、いとこのフランシスコとジャシンタと共に羊の放牧に出かけることになりました
フランシスコとジャシンタがルシアと一緒に行くことを望んだからです
小さな羊飼いたちは春、夏、秋に3回天使の出現を受けました
天使は彼らに3回共メッセージを伝えました

−−−
第1回目の出現

3人の羊飼いの子どもたちはカベソの東斜面で羊の番をしていました
昼食後ロザリオを唱えた後で、遊びを始めたとき、「雪よりも白い」14,5歳くらいの少年の姿をオリーブの木の上に見ました
彼は三人の子どもたちにこう言いました

− 私と一緒に祈りなさい−

子どもたちは驚いて声も出ませんでした
天使は続けてこう言ました
−恐れないで
私は平和の天使です
私と一緒に祈りなさい

天使は地面に跪き、額が地につくまで身を屈めました
そしてこう祈りました

−私の神よ、あなたを信ぜず、崇めず、希望せず、愛しない人々のために私はあなたを信じ、崇め、希望し、愛します!−

天使はこの祈りを3回繰り返した後、立ち上って彼らに言いました

−このように祈りなさい
イエズスとマリアの御心はあなたがたの嘆願の声に注意を払っておられます−

−−−
第2回目の出現

夏の盛り、3人の羊飼いの子どもたちは暑さを避けて木陰で昼寝をしようとしていたとき、天使が現れてこう言ました
−何をしているのですか?もっともっと祈りなさい!イエズスとマリアの御心はあなたがたの上に憐れみのご計画を持っておられます
いと高き御者に絶えず祈りと犠牲を捧げなさい−

ルシアはどのように犠牲を捧げればよいのかと尋ねました
天使はルシアにこう答えました

−あなたがたができるすべてのことを犠牲とし、それを神に背く罪の償いの行いとして、また罪人の回心を嘆願して神に捧げなさい
あなたがたはこのようにして自分たちの国に平和をもたらすでしょう
私はあなたがたの国の守護の天使、ポルトガルの天使です
特に主があなたがたにお与えになる苦しみを従順に受け入れ、忍びなさい−
−−−
第3回目の出現

9月の終わりか10月に、3人の羊飼いの子どもたちはカベソの丘の東斜面で羊に草を食べさせていました
昼食後、彼らは丘の反対側の斜面で、第1回目の出現で天使から教えられた祈りを、跪き、額を地につけながら何度も繰り返していました
そのとき、異常な光が彼らを照らし、彼らはカリスを持った天使を見ました
カリスの上には御聖体があって、それから血がカリスの中に滴っていました
空中にカリスを浮かせたままにして、天使は子どもたちの側に跪き、彼らにもそうさせて、次の祈りを3回唱えました

−いとも聖なる三位一体、父と子と聖霊よ、私はあなたに、世界のすべての祭壇の中に現存されているイエズス・キリストのいとも尊い御身体、御血、霊魂と神性を、イエズス・キリスト御自身が背かれておられる冒涜、侮辱、無関心を償うために、捧げます
イエズス・キリストのいとも聖なる御心とマリアの汚れなき御心の無限の功徳を通して、私はあわれな罪人の回心をあなたにお願いします−

それから天使は立ち上がり、カリスと御聖体を手に取って、御聖体をルシアに、カリスの御血をジャシンタとフランシスコに与えて、こう言ました

−恩知らずの人々によって恐ろしく冒涜されたイエズス・キリストの御身体と御血を受け、飲みなさい−

天使は再び地にひれ伏し、子どもたちと一緒に先ほどの祈りを3回唱え、それから消えました
子どもたちはそれから数日間、神が彼らの中におられるのを強く感じていました
この天使のメッセージはシスター・ルシアによって、1937年に彼女の第二の手記において詳しく述べられましたが、1916年に子どもたちに宛てて述べ伝えられたばかりでなく、現代の私たちに宛てて伝えられたと考えることができます

−−−
聖母の御出現

第1回目の御出現:1917年5月13日(日曜日)

この日、三人の小さな羊飼いたちは、早ミサに与った後、ルシアの両親が所有しているコヴァ・ダ・イリアと呼ばれる土地で羊に草を食べさせるために出かけましたが、ゆっくりと羊に草を食べさせながら行ったので、そこに着いたときにはほとんど正午ちかくになっていました
昼食の後、ロザリオを唱えてから、彼らは丘の上の方に移動し、遊びを始めました
突然彼らは閃光と思われるものを見ました
閃光の後には雷鳴を伴う暴風雨が来ることを経験的に知っていた彼らは急いで家に帰った方がよいと考えて移動を始めました
丘の途中のウバメガシの木のところまで降りて来たとき、彼らはその小さな木の上に全身を白い衣装に身を包んだ貴婦人を見ました
ルシアの表現によれば、その貴婦人は「太陽よりももっと明るく、キラキラ輝く水で満たされた水晶のコップよりも透明で強い光線を発していました」
彼らはその貴婦人と距離があまりにも近かったので、彼女を取り巻いている、あるいは彼女から発散している光の中に浸されていました
その貴婦人は彼らにこう言われました

−恐れないで
私はあなたがたに害を加えませんから−

ルシアはどこから来られたのですかと尋ねました

−私は天からの者です−

−あなたは私に何をお望みですか?−

−これから続けて6ヶ月の間13日に、同じ時間にここに来ることを求めるために来ました
後に、私が誰であり、何を望んでいるかを言いましょう
後になって、7度目にもここに戻って来るでしょう−

−私は天国に行けるでしょうか?−

−ええ、行けます−

−では、ジャシンタは?−

−彼女も行けます−

−フランシスコも?−

−彼も天国へ行くでしょう
しかし、彼はロザリオをたくさん唱えなければならないでしょう−

ルシアは先に亡くなった友だちのことについて尋ねました

−マリア・ダス・ネヴェスは天国にいますか?−

−ええ、います−

−では、アメリアは?−

−彼女は世の終わりまで煉獄にいるでしょう−

それから、貴婦人はルシアにこうお尋ねになりました

−あなたは、神に背く罪の償いと罪人たちの回心への嘆願の行いとして、喜んであなた自身を神に捧げ、神があなたにお与えになるすべての苦しみを耐えますか?−

−はい、喜んで−

−それでは、あなたは多く苦しむことになるでしょう
しかし、神の恩寵があなたの慰めとなるでしょう−

聖母はこう言われて、初めて両手を拡げられ、彼女の手から非常に強い光を三人の子どもたちに放射されました
彼らは跪き、心の中で「おお、いとも聖なる三位一体よ、私はあなたを賛美します!わが神よ、わが神よ、私はいとも祝せられた秘蹟においてあなたを愛します!」という祈りを繰り返し唱えました
しばらくして、聖母は再び語られました

−世界平和と戦争終結がもたらされるように毎日ロザリオの祈りを唱えなさい−

ルシアはこう尋ねました

−戦争が長い間続くのか、それとも間もなく終わるのか、私に教えてくださることができますか?−

−そのことはまだあなたに教えることはできせん
というのは、まだ私が何を望んでいるかを言っていませんから−

そう言われて、聖母は東の方角へと天に昇って行かれました
聖母の御出現は10分間ほど続きました

この御出現において、特徴的なことは、三人の子どもたちのうち、フランシスコは聖母の姿を見ることができましたが、聖母の御言葉を聴くことができなかったということ、ジャシンタはすべてを見聴きすることができましたが、彼女自身聖母に話をすることはなかったということです
ルシアだけが聖母と話すことができました
その彼女は唯一の生き証人として、現在もスペイン・コインブラのカルメル会修道院にいます
聖母の御出現があった1917年にルシアは10歳、フランシスコは9歳、ジャシンタは7歳でした
彼らは当時の状況として、まだ読み書きができませんでした
上に述べて来たことは、ルシアが学校に行って読み書きができるようになり、修道院に入ってから書いた第四の手記(1941年トゥイの修道院で)に基づく記述です
しかし、御出現そのものについては、ジャシンタがその日に母親をはじめ、家族に聖母を見たことを告げて、表面化し、ファチマ教区司祭のフェレイラ神父によって、御出現の翌日には子どもたちに対する厳しい尋問が行われ、記録されていますから、以後の御出現でも同じように、その翌日には記録を取られているということです
もちろん、子どもたちには直ぐに他人には明かしてはならない秘密もありましたから、尋問の時にはためらいや答えられないこともあったでしょうが、三人の証言は核心部分において一致し、以後の御出現において、客観的な現象が多数の人々によって確認されてゆくことになります

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
第2回目の御出現:1917年6月13日(水曜日)

6月13日は聖アントニオの祝日で、聖アントニオはファチマの守護の聖人であると同時にポルトガルの国家的守護の聖人でも・りました
ルシアの母親はこの大祝日がルシアたちに聖母の御出現のことを忘れさせてくれることを期待していました
しかし、子どもたちにとっては聖母との約束を違えることなぞ論外のことであり、もちろんコヴァ・ダ・イリアへ行くことにしていました
コヴァ・ダ・イリアでは、近隣の村から御出現の噂を聞いた人々が約五十人ほど集まっていました
ファチマの教区からはマリア・カレイラ以外にはほとんど来ていませんでした
ジャシンタ、フランシスコ、ルシアがロザリオの祈りを唱え終わったとき、彼らは近づいて来る光のひらめきを見ました
次の瞬間に彼らは5月のときと同じウバメガシの木の上に聖母を見ました
ルシアが尋ねます

−あなたは私に何をお望みですか?−

−あなたが来月の13日にここに来ること、毎日ロザリオの祈りをすること、読み書きの勉強をすることを望みます
後で、私が何を望んでいるかを言いましょう−

ルシアが一人の病人の癒しをお願いすると、聖母はこう言われました

−もし彼が回心するならば、今年の間に癒されるでしょう−

ルシアは自分たちを天国に連れて行ってほしいとお願いしました
聖母はこう言われました

−ええ、私はジャシンタとフランシスコをまもなく連れて行くでしょう
しかし、あなたはそれよりも少し長く地上にとどまらなければなりません
イエズスは人々に私を知らせ、愛させるためにあなたを使うことを望んでおられます
イエズスはこの世界に私の汚れなき御心への信心を打ち立てることを望んでおられます
この信心を実行する人に私は救いを約束します
これらの人々の霊魂は神の玉座を飾るために私によっておかれた花のように、神にとって大切なものです−

ルシアは悲しくなって、自分だけ一人で地上にとどまらなければならないのですかと聖母に尋ねます

−いいえ、娘よ、あなたはたくさん苦しんでいますか?気を落とさないでください
私は決してあなたを見放しません
私の汚れなき御心はあなたの避難所であり、あなたを神へと導く道であるでしょう−

こう言われた後、聖母は両手をお広げになり、三人の子どもたちにおびただしい光線の束をお注ぎになりました
ルシアの言葉によれば、彼らはいわば「神の中に浸された」かのようでした
彼らはそのとき聖母の汚れなき御心を見ました
ルシアの言葉によればこうです

「聖母の右の手の前に茨によって取り囲まれた心臓があって、それを茨が突き刺していました
私たちはこれがマリアの汚れなき御心であり、人間の罪によって踏みにじられ、償いを求めておられるということを理解しました」

ルシアが後に(1927年)語ったところでは、このマリアの汚れなき御心のことは聖母から秘密を守るように言われたことではなかったけれども、神によってそうするように動かされていると感じたということのようです
御出現の後、子どもたちは聖母のメッセージについて明かすように迫られたとき、最初は月の13日に御出現の場所に行くこととロザリオの祈りを毎日唱えることの2点だけを明かしていましたが、他にないかとさらに問いつめられて嘘を言わないために、「聖母はあることを言われましたが、それは秘密です」と答えざるを得ませんでした
1916年の天使の第2回目の出現のときに天使が語った「イエズスとマリアの御心はあなたがたの上に憐れみのご計画を持っておられます」という言葉はそのときには、子どもたちにはよく理解できませんでしたが、聖母のこの第2回目の御出現でその意味が少し明らかにされたのです

この日、御出現に立ち会った50人ほどの人々は不思議な現象をいくつか経験しています
ファチマ教区のマリア・カレイラはルシアが聖母が去って行かれると叫んだときに、ロケットのような音がしたと証言しています
また聖母が東の方角に去って行かれるときに、木の枝が東の方へとなびいた、小さな雲が東の方角へ向かって上って行った、聖母が御出現になったウバメガシの木のてっぺんの若枝が人が乗ったように傾いたという証言もありました
最初の巡礼者となった彼らは村に帰り、自分たちの経験した不思議なことを人々に語ります
このようにして、次の7月13日の御出現にはもっと多くの人々が集まることになります

第2回目の御出現の後、ルシアはファチマ村において不信の嵐にさらされることになります
マリア・カレイラを除いてほとんどのファチマの人々は御出現を信じませんでした
ルシアの母親、マリア・ロサやルシアの姉妹たちもルシアの言うことをまだ信じていませんでした
教区司祭フェレイラ師はフランシスコ、ジャシンタ、ルシアの順番に質問をしました
フランシスコは神父の問いに答えられることを全部答えましたが、ジャシンタは何も言いませんでした
ジャシンタはルシアが神父の質問に答えている間ロザリオの祈りを唱えていました
三人の質問の後、主任神父のフェレイラ師は「これは全部悪魔の発明だ」という宣告をくだしました
あまりにも静かに言い渡されたこの宣告はルシアを暗闇の中に突き落としました
ルシア自身、悪魔のせいかもしれないという疑念にさいなまれます
ルシアはこの疑念をジャシンタとフランシスコに打ち明けますが、彼らはそのことを否定し、ルシアを励まします
「悪魔は醜いけれど、私たちが見たあの貴婦人はあのように美しかった、私たちはあの方が天に昇って行かれるのを見ました」と
しかし、ルシアは悪魔が彼女を欺く夢をさえ見て、疑いの暗闇から解放されることなく、いとこたちから身を隠すまでになりました
10歳の少女ルシアは教区の司祭と母親という二つの権威ある存在から信じて貰えず、ついには約束したコヴァ・ダ・イリアへはもう行かない決心をします
ルシアはジャシンタとフランシスコにこの決心を告げます
彼らは泣いてルシアのこの決心を翻すように頼みますが、ルシアの決心は変わりませんでした
ルシアが後でジャシンタに聞いたところでは、ジャシンタはルシアの決心を聞いた夜、一晩中眠らずに泣きながら聖母に、ルシアが一緒に行くように祈ったということです

−−−
第3回目の御出現:1917年7月13日(金曜日)

約束の第3回目の日になり、ルシアはほとんど抵抗できないある力に促されて、突然行かなければならないと感じました
彼女がいとこたちの家に行くと、フランシスコとジャシンタは寝台の側に泣きながら跪いていました
ルシアが出かけないのかと尋ねると、彼らはルシアと一緒にでなければ行かない、一緒に行こうと言いました
ルシアが一緒に行くと言うと、彼らの顔は喜びに輝きました
彼らは一緒に出かけましたが、途中で群衆が待ち受けていて思うようにコヴァ・ダ・イリアに近づけませんでした
マリア・ロサはジャシンタとフランシスコの母親オリンピア・マルトと一緒に、何が起こるかを見るために、人目につかないように身を隠しながら、彼らから遠く離れてついて行くことにしました
ティ・マルトは三人の子どもたちの側にいました
ルシアがロザリオの祈りを先唱し、群衆がその後を続けました
人々は日差しをよけるために日傘をさしていましたが、聖母の御出現の時刻になったとき、ルシアは「傘をすぼめてください、聖母がおいでになりました!」と叫びました

ルシアが尋ねます

−あなたは私から何をお望みですか?−

−あなたがたが来月の13日にここに来ること、世界のために平和を得、戦争を終わらせるために、ロザリオの聖母をたたえて毎日ロザリオの祈りを続けることを望んでいます
なぜなら、ただロザリオの聖母だけがあなたがたを助けることができるからです−

−私はあなたがどなたであるかを私たちに教えてくださること、そしてあなたが私たちに御出現になっていることをすべての人が信じるように奇蹟を行ってくださることをお願いしたいのです−

−毎月ここに来続けなさい
10月に、私が誰であるか、何を望んでいるかをあなたがたに教えます
そしてすべての人のために見て信じるように一つの奇蹟を行います−

ルシアはあることを聖母にお願いしましたが、聖母はそれに対して恩寵をその年の内に得るためにはロザリオを祈る必要があるとお答えになりました
聖母はそしてこう続けられました

−罪人のためにあながた自身を犠牲として捧げなさい
そして何度も、特に何か犠牲をするときにはこう言いなさい
おお、イエズスよ、これはあなたのため、罪人の回心のため、そしてマリアの汚れなき御心に対して犯される罪の償いのためです、と−

聖母がこう言われた後、5月、6月の時と同じように、三度目に両手を拡げられました
強い光線が地上を貫き、その中で彼らは一瞬の間でしたが、火の海のような地獄を見せられました
悪魔、人間の形をした霊魂たちが絶望と苦悶のうちに透明な火の固まりとなっていました
ルシアが恐怖のあまりに叫んだ声を周りにいた人々が聞いています
三人は救いを求めるかのように聖母を見ました
そのとき、聖母はこうおっしゃいました

−あなたがたは哀れな罪人たちが行く地獄を見ました
彼らを救うために、神は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます
私があなたがたに言っていることがなされるならば、多くの霊魂が救われ、平和が来るでしょう
戦争は終わるでしょう
しかし、人々が神に背くことを止めないならば、ピオ十一世の御代の間にもっとひどい戦争が起こるでしょう
未知の光によって照らされる夜を見るとき、これが神によってあなたがたに与えられる大きなしるしであるということを知りなさい
神は戦争、飢饉、教会と教皇の迫害によって世界をその罪のために罰しようとしておられるのです−

−このことを避けるために、私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために来るでしょう
もし私の要求が顧みられるならば、ロシアは回心し、平和が来るでしょう
もしそうでないならば、ロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう
善い人々は殉教し、教皇は多く苦しみを受け、さまざまの民族が絶滅させられるでしょう−
........(ここに第三の秘密と言われる部分が来ますが、この部分はいまだに公開されていません


−最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう
教皇は私にロシアを奉献するでしょう
そしてロシアは回心し、ある期間の平和が世界に与えられるでしょう−

−ポルトガルでは信仰の教義が常に保たれるでしょう
このことを誰にも言ってはいけません
フランシスコには、ええ、言ってもよいです−

−ロザリオの祈りを唱えるとき、各玄義の後にこう言いなさい
おお、わがイエズスよ、私たちの罪を赦し、私たちを地獄の火から守ってください
すべての人々、ことに最も御憐れみを必要としている人々を天国へ導いてください−

ルシアが最後に「何かもっと私にお望みのことがありますか?」と尋ねると、聖母はこう言われました

−いいえ、今日はそれ以上何も望んでいません−

この3回目の御出現に立ち会った人々の数は800人くらいという報告から1000人、1000人以上、中には2000人という報告まであり、一致していません
しかし、いずれにせよ、前回の50人を大幅に上回る人々が集まったことは確かです

1917年の6回の御出現のうち、この第3回目の御出現の持つ意味はいちばん大きいと思われます
聖母は3ヶ月も前に、10月13日に人々が見て信じるように大奇蹟を起こすことを預言されました
これは、ルルドのベルナデッタがやはり聖母に奇蹟をお願いしたのと同じように、ルシアが聖母の御出現を信じない人々のために起こしてくださいとお願いし、聖母がお応えになったものです
ただし、ルルドの場合には、聖母はベルナデッタが教区司祭ペイラメール師の助言に従って、御出現の場所であるグロット(洞窟)のバラの茂みに花を咲かせてもらうようにお願いし、聖母はそれに微笑んでお応えになっただけでしたが、ファチマでは正確に日時を定めて、立ち会うすべての人々の前で、彼らが「見て信じるように」なる奇蹟を行うという公開の約束をされたのです

聖母の3回の御出現の後、ルシアの母親のマリア・ロサはルシアにさらにつらく当たります
ある日彼女はルシアを呼んで、これから司祭のところへ連れて行くから、「これまで嘘を言っていました、ごめんなさい」と謝りなさいと命じます
マリア・ロサがジャシンタの家に立ち寄ったときに、ルシアはジャシンタにそのことを伝えます
ジャシンタとフランシスコはルシアのために、以前に天使に出会った井戸の側でルシアのために祈っていると言います
司祭館に着いたとき、母親はルシアに説教をしますが、ルシアは「お母さん、私は実際に聖母を見たのに、どうして見ていないと言うことができるでしょうか?」と言います
母親はそれに対して、「私が望んでいることはおまえが本当のことを言うことです、もし見たのなら、見たとおっしゃい、でも、見なかったのなら、嘘を言っていたとお認めなさい」と言いました
司祭はルシアに親切に、礼儀正しく接し、彼女の話が矛盾していないかどうか、いろいろ質問しました、結局、司祭はルシアの話に矛盾点を見出せずに、肩をすくめて「どうしてよいのか私には分からない」と言いたげに、彼女を放免しました
帰宅途中にルシアが井戸のところに行くと、フランシスコとジャシンタが跪いて祈っていました
ジャシンタは彼女に駆け寄って、「何も怖がることはないわ、マリア様がいつも助けてくださるわ」と言いました
7月13日以来、コヴァ・ダ・イリアには好奇心の強い人たち、信仰心を持った人々が大勢やってきてロザリオの祈りを唱えるようになりました
マリア・ロサはますますルシアにつらく当たりますが、ルシアは決して母親を恨んだり、憎んだりしませんでした
彼女はそれは主イエズス・キリストの特別な恵みだったと、後になって述懐しています
天使の第2回目の出現の時に言われた「特に主があなたがたにお与えになる苦しみを従順に受け入れ、忍びなさい」という勧めの中にルシアは神の御手を見ていたのでした

−−−
公権力の介入:1917年8月10日(金曜日)から8月15日(水曜日)まで

ファチマの聖母御出現の問題はもはや教会内の問題や三人の子どもたちの問題ではなくなってきました
何千人もの人々が集まり出したからでしょう
ここに、公権力が介入して来ます
当時のポルトガルは自由主義的思想傾向が強く、フリーメーソンの考え方が政治とマスコミを支配していました
ブリキ屋というニックネームを持つアルトゥール・デ・オリヴェイラ・サントスは30歳の若さでヴィラ・ノヴァ・ダ・オウレム地区の行政官でした
「オウレムの声」という新聞まで持っていました
その新聞は反王権的、反聖職的な旗印をかかげていました
オリヴェイラ・サントスは自由と民主主義の名の下にファチマの御出現によって起こされた大衆の信心を押しつぶそうと目論んだわけです

8月10日にジャシンタとフランシスコの父親、マヌエル・マルトとルシアの父親アントニオ・ドス・サントスは8月11日正午に子どもたちを伴ってヴィラ・ノヴァの町役場に出頭せよという通知を受け取りました
町役場まではかなりの距離があって、マルトは子どもを連れずに出かける決心をしますが、アントニオの方はルシアを連れて出かけました
ルシアはロバの背に乗せられて行きましたが、途中で三度もロバの背から落ちました
マルトは郡長オリヴェイラ・サントスから子どもたちを連れてこなかったことで激しく非難されました
ルシアは皆のいる前で郡長からいろいろと質問され、聖母から告げられた秘密を明かし、コヴァ・ダ・イリアには二度と行かない約束をするように、脅迫さえされました
ルシアはこれらの苦しみを神さまへの愛のため、罪人たちの回心のための犠牲として捧げました
夜になって、戻されたとき、ルシアが例の井戸のところに行くと、ジャシンタとフランシスコが井戸の縁によりかかり、跪いて祈りながら、激しく泣いていました
彼らはルシアが郡長によって殺されたとルシアの姉から聞かされていたのでした

このようにして、ルシアは始めて当局からの迫害を受けたのですが、それは迫害の始まりでしかありませんでした
8月12日、聖母御出現の日の前日に大群衆が方々から集まり始めました
あらゆる種類の車、自転車、自動車、馬車等々が道路にひしめきます
8月13日(月曜日)の朝、9時に郡長のオリヴェイラ・サントスはマルト家に来て、子どもたちに会いたいと言います
子どもたちをファチマまで馬車に乗せて行きたいというのです
子どもたちはその必要はないと言いますが、群衆にじゃまをされないために馬車に乗って行く方がよいと郡長は頑張ります
結局、アントニオが子ども三人を歩いて連れて行くことになりました
しかし、郡長は司祭館まで行き、そこでフェレイラ神父と会い、神父がルシアに質問することを納得させます
ルシアはここでも、聖母を見、メッセージを受けた事実を主張します
しかし、郡長の目論見は別のところにありました
彼は司祭館から子どもたちを連れ出して、御出現の場所であるコヴァ・ダ・イリアに行かせないことを企んでいたのです
フェレイラ神父の質問の後、郡長は馬車の中に子どもたちを乗せ、コヴァ・ダ・イリアに行くと見せかけて、方角を変え、馬に鞭を与えました
ルシアは方角が違うと抗議しますが、郡長はまずオウレムに行って司祭に会い、それから自動車でコヴァに行くのだと嘘を言います
途中で群衆は子どもたちが郡長の馬車に乗せられて連れ去られるのを見ましたが、郡長は子どもたちを見えないようにするために彼らに敷物を被せています
1時間か1時間半ほどして、彼らはコヴァにではなく、郡長の家に到着します
これはまさに権力者による子どもの誘拐です
到着すると、彼らは一室に監禁され、秘密を明かすまでは出さないと言われます
しかし、昼には郡長夫人、セニョーラ・アデリーナ・サントスが彼らを親切に遇し、昼食にごちそうを出し、食後には自分の子どもたちと遊ばせたり、絵本を与えたりしています
夫のやり口を償うつもりだったかも知れません

8月13日、聖母との約束の日に三人はコヴァ・ダ・イリアに行くことは結局できませんでした
郡長はそこでは何事も起こらず、すべてが失敗に帰するであろうと考えていました
しかし、コヴァ・ダ・イリアでは三人がいないにもかかわらず、巡礼者たちには聖母がおいでになったと思われる出来事が起っていました
この日の巡礼者は1万8000人から2万人くらいいたと言われています
御出現の木、ウバメガシのまわりを取り囲んだ群衆は祈りを始め、聖歌を歌いました
しかし、子どもたちはやって来ず、皆は我慢できなくなり始めました
そのとき、ファチマから人が来て、郡長が子どもたちを誘拐したと告げました
人々が一斉にしゃべり始め、何が起こるかわからないような雰囲気になったとき、雷が轟きわたりました
中には泣き出す人もいました
その後で稲光がしました
そしてあのウバメガシの上に真っ白な小さい雲がしばらく止まり、それから上の方へと上がり、やがて消えました
人々の顔や衣服、木々の葉が虹のすべての色に次々と染まりました
葉は花のように見えました
それは聖母マリアがご自分の現存をお示しになるために、雷鳴と稲光と虹というすべての人に見え、聞こえるしるしを与えられたと考えられます
モンテロ村のマヌエル・ゴンサルヴェスは多くの異常なしるしがあって、そこ居合わせたすべての人がそれを見た、と証言しています
人々はお互いに聖母がおいでになったのだと言い合いました
このようにして、郡長の目論見は逆の結果を生むことになったのです

翌日、8月14日は三人の子どもたちにとってはもっと苦痛な日でした
郡長は何としてでも子どもたちから秘密を聞き出そうと思っていました
彼は子どもたちの裏にきっと聖職者たちの陰謀が隠されていると読んだのでしょう
まず、柔軟路線で始めます
最初は老婦人を使って子どもたちから聞き出そうとしましたが、うまく行きませんでした
今度は郡長自らが子どもたちをひとりづつ呼んで、お金や金の鎖のついた時計を餌にしながら、何とか秘密を明かさせようとしましたが成功しませんでした
子どもたちの間でのお互いの矛盾をつくことも試みましたが駄目でした
この日、郡長は子どもたちのヒステリーか幻覚を見つけて貰うために、レイリアから医師のアントニオ・ロドリゲス・デ・オリヴェイラを呼んでいます
医師は子どもたちにいくつかの質問をし、医学検査をしていますが、異常を見つけることはできなかったようです
午後、郡長は強硬方針に切り替えます
彼らを恐怖の中に陥れることによって口を割らせようとしたわけです
それから、彼は彼らを強盗や他の囚人たちのいる監獄に入れました
母親から引き離され、囚人と一緒の監獄に閉じこめられた子どもたちの不安はどれほどだったでしょう
ジャシンタは激しく泣きました
フランシスコがこう言って妹を慰めました
「この苦しみを罪人たちの回心のために捧げよう!」と

その後、彼らはもう一度、別々に質問されました
それから、また一緒に別の部屋に移され、順番に生きたまま煮えたぎる油の中に入れられる、と告げられました
彼らは本気で殉教を考えました
ジャシンタにとって両親に、特に母親に会えないまま死ぬことは大変悲しいことでした
三人は7月13日に聖母が教えられた祈りを唱えました
「おお、私のイエズスよ、これはあたの愛のため、罪人の回心のため、そしてマリアの汚れなき御心に対して犯される罪の償いのためです」それから、囚人たちと一緒にロザリオの祈りを唱えました
まず最初にジャシンタが牢番から呼び出され、油で揚げられたくなければ、秘密を明かせと言われて、連れ去られます
フランシスコはジャシンタのためにアヴェ・マリアを唱えます
次ぎにフランシスコが、そして最後にルシアが連れて行かれます
結局、彼らは誰も秘密を明かしませんでしたので、郡長は三度目の脅迫として、今度は三人を一緒に釜ゆでにすると言います
それも効を奏しませんでした
郡長の目論見はことごとく失敗しました

翌8月15日、最後の尋問をした後で、郡長は子どもたちをファチマに連れて帰らざるをえませんでした
彼らがファチマに到着したとき、聖母マリアの被昇天の大祝日ミサがちょうど終わったところでした
郡長は子どもたちを司祭館の入り口に置いて、居酒屋へと逃げ込みます
教区司祭のフェレイラ師はこのとき人々から郡長とぐるになっていたのではないかと疑われて、身の潔白を主張する声明を発表しています
フェレイラ師のこの声明は聖母御出現の出来事に大きなインパクトを与え、次の9月13日の御出現の日にもっと多くの巡礼者たちをコヴァ・ダ・イリアに呼び寄せることになります

−−−
ヴァリニョスにおける聖母の第4回目の御出現:1917年8月19日(日曜日)

三人の羊飼いの子どもたちは日曜日のミサの後、ロザリオの祈りを唱えるためにコヴァ・ダ・イリアへ出かけました
午後には、ルシアとフランシスコはフランシスコの兄のジョンと一緒に羊に草を食べさせるためにヴァリニョスに行きます
ヴァリニョスはアルジュストレルとカベソの丘の中間にあるところです
ここで、予期していなかった聖母の御出現がありました
ルシアは、聖母の御出現が近いことを直感して、ジョンにジャシンタを呼びに行ってほしいと頼みます
ジャシンタが御出現に立ち会えないと悲しむと思ったからです
しかし、ジョンも聖母の御出現を見たかったので、その場に残りたいと思いました
ルシアはポケットにあった2枚の硬貨をジョンにまず1枚あげるから、ジャシンタを呼んで来てほしい、戻ってきたときにもう1枚をあげると言いました
ジョンは大急ぎで走り去り、ジャシンタを連れて戻って来ます
しばらくして、ルシアとフランシスコが例の稲光を見たとき、ジャシンタが駆けつけ、一本のウバメガシの上に聖母が御出現になりました
ルシアは聖母に尋ねます

−私から何をお望みになりますか?−

−13日にコヴァ・ダ・イリアに引き続き行くこと、毎日ロザリオの祈りを続けることを望みます
最後の月に私はすべての人が信じるように一つの奇蹟を行います
あなたがたが町へ連れて行かれることがなかったならば、その奇蹟はもっと大きなものとなるはずでした
聖ヨゼフが世界に平和を与えるために、幼子イエズスを連れていらっしゃるでしょう
私たちの主は人々を祝福なさるために来られます
ロザリオの聖母と悲しみの聖母も来られます−

−人々がコヴァ・ダ・イリアに残して行ったお金で何をすることをお望みになりますか?−

−二つの駕籠を作らせなさい
一つの駕籠はあなたとジャシンタ、それに他の二人の少女が白い衣装を着て、もう一つの駕籠はフランシスコと他の三人の少年が担ぐのです
駕籠からのお金はロザリオの聖母の祝日のためのものです
そして残りのお金はここに建てられなければならない聖堂の建設に役立つでしょう−

−ある病人を癒していただきたいのですが....−

−ええ、今年のうちにそのうちの何人かの人々を癒しましょう−

それから聖母は悲しそうにこう言われました

−祈りなさい
たくさん祈りなさい
そして罪人たちのために犠牲を捧げなさい
多くの魂が、彼らのために犠牲を捧げたり、祈ったりしてくれる人を持っていないからです−

こう言って聖母はいつものように東の方角へと上って行かれました
この日の御出現は三人のほかにはジャシンタとフランシスコの兄弟であるジョンだけが立ち会う御出現でした
彼が母親に語ったところによれば、三人が跪いて祈り、ルシアが話しているのを彼は聞いていますが、もちろん聖母を見ることも聞くこともできませんでした
聖母が去られるとき、彼は銃声のようにはじける雷鳴を聞いています

御出現の後、フランシスコとジャシンタは聖母が上におられたウバメガシの枝を一本を折り取って大切に家に持って帰りました
帰宅するとジャシンタがヴァリニョスで聖母を見たと母親のオリンピアに報告します
母親はジャシンタに「いつになったらその嘘は終わるのかね、行くところではどこででもお前はマリア様を見るのだね」と皮肉を言います
ジャシンタは取って来た枝を母親に見せます
その枝からはえもいわれぬよい香りがしました
母親はよい香りがするけれども、バラの香りではないし、何の香りかわからない、と言いました
父親のティ・マルトは同じように、何とも表現できないよい香りをその枝からかぎますが、妻のオリンピアとは違いジャシンタの言葉をますます信じるようになりました

−−−−
第5回目の御出現:1917年9月13日(木曜日)

9月13日の夜明けにファチマに向かう道路は大混雑をしていました
人々はロザリオを唱えながらコヴァ・ダ・イリアへと歩き続けました
正午近くになるとおよそ2万5000人から3万人の巡礼者が御出現を待ってつめかけていました
コヴァ・ダ・イリアではほとんどの人が帽子を取り、跪いてロザリオの祈りに唱和しました
三人の牧童たちは人混みでなかなか御出現の場所に近づくことができませんでした
途中で人々は彼らにマリア様へのさまざまな願い事を取り次いでほしいと懇願しました
三人はやっとのことでいつものウバメガシの木のところに着き、そこでルシアがロザリオの祈りを先唱し、群衆が唱和しました
後に枢機卿となったレイリアのジョン・カレスマ神父は友人二人と一緒に神父の制服を脱いで背広を着て御出現の様子を見に行きました
彼はそのときの様子を後に枢機卿になってから回想しています
正午になると、完全な沈黙があたりを支配しました
その後突然聖母を賛美する声が響きわたり、人々が一斉に空に向かって手を挙げました
空は一点の雲もない真っ青の晴天でした
そのとき、カレスマ神父は東の方向から西の方向へ向かってゆっくりと荘厳に滑ってゆく光り輝く球体を見ました
もちろん、彼だけでなく、友人二人も、そして居合わせた3万人の人々のうちの多くがこの球体を見て叫び声をあげました
異常な光を放っていたその球体は突然消え去りました
その球体は御出現のウバメガシの木に近づきました
そのとき、太陽の輝きが鈍り、あたりが黄金色になりました
ある人は空に星を見ることができたと報告しています

ルシアが尋ねます

−あなたは私から何をお望みですか?−

−戦争が終わるようにロザリオの祈りを続けなさい
10月には私たちの主がおいでになるでしょう
悲しみの聖母とカルメルの聖母も来ます
聖ヨゼフが世界を祝福するために幼子イエズスと一緒においでになるでしょう
神はあなたがたの犠牲を喜んでおられます
神はあなたがたが縄をつけて眠ることを望んでおられません
つけるのは昼間だけにしなさい


−あなたにたくさんのことをお願いするように頼まれました
病気の人々の癒しや聾唖の人の癒しなどです....−

−はい
ある人々を癒しましょう
しかし、他の人々は癒しません
なぜなら、私たちの主は彼らを信用しておられないからです−

−人々はここに聖堂を建てたいと思っています−

−お金の半分でロザリオの聖母の祝日に行列で担ぐ駕籠を作りなさい
後の半分は聖堂のためです−

ルシアはこのとき、オリヴァル教区のある人から捧げられた2通の手紙と香水の小瓶を聖母に捧げようとしましたが、聖母は天国ではそれらは必要でないとお断りになられました
ルシアが第4の手記で明らかにしたところでは、このとき聖母はこう付け加えられました

−10月にはすべての人が信じるように一つの奇蹟を行います−

そう言われて、聖母はいつものように天に昇られ始め、そして消え去られました
聖母が天に昇って行かれるとき、多くの人々が再び先ほどの光り輝く卵形の球体が東の方角へと上ってゆくのを見ました
中には全然何も見ることができなかった人もいました
信心深い一人の女性は自分が何も見ることができなかったので、いたく泣いていました
そのほかにもこの御出現の間に巡礼者たちは不思議な光景を見ることができました
彼らが見たのは空から舞い落ちる白い花びらのようなもの、丸くて輝いている雪片のようなものでした
それは地上に落ちると消えてなくなりました
非常に多くの人々がこのような感覚的な形で異常なことを経験したこの5回目の御出現は人々に聖母の現前を強く感じさせました
目に見えるこのしるしは次の10月13日、最後の回の御出現にはこのときの倍以上、5万人から8万人という大群衆をコヴァ・ダ・イリアに引き寄せることになります

この後、三人の牧童たちは人々につきまとわれ、質問攻めに会います
ひっきりなしの訪問者たちによってルシアとジャシンタの家庭はかきまわされます
牧場であるコヴァ・ダ・イリアは人々に踏み荒らされ、畑の野菜も取れなくなります
マリア・ロサとオリンピアは羊を売り払わなければならなくなります
家計は苦しくなり、ルシアは母親からお前のせいでこうなったと非難されます
マリア・ロサもオリンピアもティ・マルトも三人とも9月13日には人々が見た不思議な現象を何も見ませんでした

10月の初めに、レイクシダのマリア・ド・カルモ・メネゼス夫人がルシアとジャシンタをマルト家とサントス家の許可を得て、自分の家に連れて行きます
彼らを人々から引き離して8日間休ませるためです
しかし、二人が滞在していることは人々に知れて、多くの人々がつめかけて来ます
このメネゼス夫人が二人に「あなたがたが予言している奇蹟がもし10月に起こらなかったら、大いに期待して興奮しているこれらの人々が、あなたがたを生きたまま焼き殺すかもしれませんよ」と言いますが、子どもたちは確信に満ちて「聖母が私たちを欺かれることはないので、ぜんぜん怖くありません
マリア様は皆が信じるように大きな奇蹟を行うとおっしゃいました」と答えています
それ以前の9月27日にも、フォルミガオ神父が同じことを彼らに尋ねていますが、ルシアは同じ答えをしています
10月の御出現のときには、子どもたちの近くで当局が爆弾を仕掛けて爆発させるという噂も広まっていましたが、ルシアは、もしそうなら、私たちはすぐに天国に行けることになる、といとこたちと話しています
しかし、子どもたちの両親にしてみれば、こういう状況は非常な不安をかき立てるものでした
マリア・ロサは御出現の前日10月12日の朝早く、ルシアを起こして教会に告解に行こうと言います
彼女は「明日コヴァ・ダ・イリアで聖母が奇蹟を起こしてくれなかったら、人々が私たちを殺すという噂だから、死の準備のために告解をしておいたほうがよい」と娘に言います
ルシアは「お母さんがそうしたいなら、一緒に行ってもよいですが、殺されることを恐れているからではありません、私は聖母が約束されたことを必ずなさると確信していますから」と答えています
それでもう誰も告解について話す者はいませんでした
マルト家では父親が御出現を信じていましたので、静かにその時を待っていました
こうしてファチマにおける最後の御出現の日、大奇蹟の日が来ます

−−−
第6回目の御出現:1917年10月13日(土曜日)

遂に聖母が預言された大奇蹟の日がやってきました
前日から雨の中を大勢の人々があらゆる方角からコヴァ・ダ・イリアめがけて集まり始めました
彼らはロザリオの祈りを唱え、聖歌を歌いながら、降り続く冷たい細かい雨でぬかるんでいる道を進みました
雨宿りするものが何もない野原で夜を明かしました
夜明けのかなり前から彼らは祈ったり、歌ったり、泣いたりしていました

アルジュストレルのルシアの家ではマリア・ロサが、予言された奇蹟が起こらなかったときに生じるかも知れない悲劇のことを考えて不安にさいなまれていました
彼女はルシアを涙ながらに抱きしめ、ルシアが殺されるときには自分も一緒に死のうと思い、ルシアと同道する決心をしました
彼女は教区の司祭からコヴァ・ダ・イリアには行ってはいけないと言われていましたので、そのことが気がかりでしたが、聖水で身を護って出かけることにしました
彼らはまずマルト家に立ち寄ります
オリンピアはマリア・ロサと同じように子どもたちのことを心配していましたが、マヌエル・マルトは子どもたちを信じ、何事もうまく行くと確信して落ち着いていました
パンバリニョから来た婦人がルシアに青色のドレスをジャシンタに白いドレスを用意して来ていて、着せました

彼らは人混みのために時間に遅れないように早めに家を出ました
外は篠つく雨でした
人々はぬかるむ道でひるみもせずに跪き、子どもたちにマリア様への取り次ぎを頼みました
マヌエルがジャシンタの手を取り、ルシアは父親のアントニオに手を引かれて、大群衆の中を御出現の場所に向かいました
フランシスコもマリア・ロサも一緒でした
ウバメガシの木のところに着いたとき、ルシアは群衆に傘をすぼめ、ロザリオの祈りを唱えるように求めました
雨はまだ降り続いていましたが、人々はルシアの求めに素直に応じて、傘をたたみ、祈り始めました
人々は全身ずぶぬれになりながら泥の上に跪きました

午後1時半頃--これは太陽時の正午にあたります--ルシアは東の方角を見てジャシンタにこう言いました
「おお、ジャシンタ!跪きなさい、聖母が来られます!もう稲光を見ました!」近くにいたマリア・ロサは娘に「ルシア、注意してごらんなさい、失敗しないでね!」と叫びます
このとき、ルシアはしばらく脱魂状態に陥ります
ジャシンタがルシアをつついて、「ルシア、お話なさい、聖母がもう来ておられますよ!」と言いました
ルシアはそれで正気に戻って二回深呼吸をし、聖母と話し始めました

−あなたは私から何をお望みですか?−

−私をたたえてここに聖堂を建てることを望んでいます
私はロザリオの聖母です
毎日ロザリオの祈りを続けて唱えなさい
戦争はまもなく終わり、兵士たちは自分たちの家に帰って来るでしょう−

−あなたにお願いしたいことがたくさんあります
ある病人を癒し、ある罪人を回心させてほしいのです...−

−ある人々を癒しますが、ある人々は癒しません
人々はその生活を改め、罪の赦しを願わなければなりません−

それから、聖母は悲しそうな様子になられて、こう言われました

−彼らはもうこれ以上私たちの主に背いてはなりません
なぜなら、すでに彼らはあまりにも主に背いているからです−

−何かもっと望んでおられることがありますか?−

−これ以上はありません−

−では、私もこれ以上あなたにお尋ねしません−

聖母がルシアと話されている間、ウバメガシの木の上には9月のときと同じような雲があり、聖母が去られると同時に、雲も上の方に上がって行きました
それから、聖母が去って行かれるとルシアが叫んだとき、オリンピアは8月19日のときと全く同じ芳香をかぎました
それから、またルシアが人々に向かって叫びました
「太陽をごらんなさい!」(このとき、ルシアは太陽を見てそう叫んだのではなく、聖母が去って行かれるとき、聖母が両手を拡げられ、それを太陽の上に反射させられ、彼女自身の光の反射を太陽そのものに投射されるのを見ていて、内的な促しを受けて人々に「太陽をごらんなさい!」と叫んだと言っています)
その後、10分間にわたって、大群衆は預言されていた奇蹟をいわゆる「太陽のダンス」という形で見ました
それまで降っていた雨が突然止み、雲が急速に切れ、晴天になりました
顔を出したぎらぎら輝くはずの太陽を人々は裸眼で何ら眼を痛めることなしに見ることができました
真昼の雲一つない太陽が裸眼で見ても眼を損なわないなどということは科学的に見てあり得ないことですが、このとき、そのことが7万人ないし8万人といわれる大群衆の前で起こりました
すべてのものが動かず、静かでした
このこと自体が不思議なことですが、次ぎにさらに不思議なことが起こりました
その太陽がさまざまの方向に光線を発し、その光線が空気、大地、木々やその他大地にあるすべてのもの、人間たちをさまざまの色に染め上げました
しばらくして、太陽が止まったと思われ、次ぎに揺れ、震え、いわゆるダンスを始めました
その太陽が天からはがれたかのように、人々の上に回転する大車輪になってまさに落ちかかって来るように見えました
人々は叫び、泣きわめき、地にひれ伏しました
大声で自分の犯した罪を告白する人もいました
しかし、最後に太陽は動きを止めました
人々は助かったと安堵の胸をなでおろすことができました
これが、聖母が預言され、三人の子どもたちが必ず起こると確信していた奇跡の内容でした
もちろん、聖母が初めから太陽の奇蹟を内容として預言され、三人の子どもにもそれを伝えられたわけではありません
すべての人が見て信じるようになる奇蹟と言われていたことがこのような内容のものだったというわけです
聖母の約束はこのようにして文字通りに果たされました
マリア・ロサは「これを信じないことはできない
、も太陽に触れることはできないのだから」と言いました

この日のことは進歩的、反カトリック的であることを標榜しているポルトガルの多くの新聞に記事として載せられました
聖職者のでっち上げであるとか、子どもたちの妄想であると言われていた事柄もここまで来ると、一つの動かしがたい事実としての重みを持ちます
この事実をどう解釈するか、ということだけが残される問題であって、事実をなかったことにすることは不可能です

大群衆がこの大スペクタクルを目撃していていた10分間、三人の幻視者たちは実は太陽の奇蹟を見ていませんでした
彼らはその間、もっとすばらしいこと、すなわち聖母が8月19日と9月13日の両日に約束なさった預言の実現に立ち会っていました
聖母が去られた後、彼らは聖ヨゼフが幼子イエズスを連れて、そして聖母が白い衣装を着、青いマントを羽織られて太陽の側に立っておられるのを見ました
聖ヨゼフと幼子イエズスはその手でそれぞれ十字架の印をされて世界を祝福されました
この御出現が終わってしばらくして、今度はわれらの主イエズス・キリストと聖母が御出現になりました
聖母は悲しみの聖母だとルシアには思われました
主は聖ヨゼフがそうされたのと同じやり方で世界を祝福されました
その御出現も終わった後に、また聖母が来られましたが、今度はカルメルの聖母でした


こうして、6回にわたるファチマ:コヴァ・ダ・イリアおよびヴァリニョスにおける聖母の御出現は幕を閉じました
しかし、これでファチマの出来事は終わったのでしょうか?上に述べて来たことは前にも言いましたように、1917年の時点ですべて人々に明らかにされていたことではなく、ファチマの秘密として後になって明らかにされたこともあり、「第三の秘密」と呼ばれている部分は未だに明らかにされないままになっています
私見ですが、ファチマの聖母のメッセージが意味しているものは、単に個人的な信心の問題ではなくて、もっと世界史的、現代的な文脈の中で捉えられるべき問題であるように思われます



戻り


===4===============

:メッセージの成長:

http://www.d-b.ne.jp/mikami/fatima2.htm

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
目次
メッセージの成長
1917年以後
1930年代の文献と40年以後の文献
ファチマに対する反論
シスター・ルシアの手記
ダニス神父のテーゼ
−−−
ダニス神父のテーゼの検討
ファチマ1を受け入れること
ファチマ2を否定すること
ファチマ1とファチマ2の対立??
ファチマメッセージ伝達の四つの段階
ファチマ1とファチマ2の完全な一致
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
メッセージの本質

霊魂の救い
世界の救い−聖マリアの汚れなき御心に対する信心−

三人の幻視者たち
フランシスコ(1917年10月−1919年4月4日)
ジャシンタ(1917年10月−1920年2月20日)
ルシア(1917年−1925年)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
メッセージの成長

−−−
1917年以後

1917年に聖母マリアの6回の御出現がありましたが、ファチマの出来事はそれで終わったわけではありません
1925年、1926年、1927年、1929年、1939年...1941年、1943年...と続きます
しかも、 1917年の御出現についても、前にも言いましたように、その時点ですべてのメッセージが公表されたわけではなく、後に1935年から1943年にかけてのシスター・ルシアの手記の中で初めて明らかにされたものもあります
たとえば、1917年7月13日の大きな秘密の最初の二つの部分は1942年まで明らかにされませんでした
いわゆる「第三の秘密」と言われている第三の部分はシスター・ルシアによって1944年に書かれましたが、未だに公開されていません

−−−
1930年代の文献と40年代以後の文献の違い

1939年以前に出版されたファチマに関する文献では、三人の羊飼いの子どもたちに聖母が突然、1917年5月13日に出現されたことになっています
現在では認められているそれに先立つ天使の出現については言及されていません
1917年の聖母の6回の御出現、子どもたちの受難については詳細に述べられたものが多いのですが、聖母のメッセージの内容は短い記述しかありません
1917年6月の聖母の御出現の記事にも、聖母マリアの汚れなき御心をルシアが見たことについての言及は見られません
また、7月13日の大秘密についても触れられていないのは当然です
聖母のメッセージは要するに三人の子どもたちに天国を約束なさったこと、戦争を終わらせるために毎日ロザリオを唱えるよう言われたこと、7月13日には10月13日の奇蹟が預言されたことが内容となっています

子どもたちの地獄の幻視、第二次世界大戦勃発の預言、神の懲罰としてのロシアの果たす役割、聖母マリアの汚れなき御心にロシアを奉献することなど、聖母のメッセージの核心部分については40年代以後の文献にシスター・ルシアの手記をもとにして明らかにされて行きます
それらの著作の中には、ローマ教皇庁立聖書研究所のポルトガル人のイエズス会士ダ・フォンセカ師が1942年4月に出版した『ファチマの大奇蹟』や同年5月のイタリア人司祭ドン・ルイジ・モレスコ師の『ファチマの聖母』、さらに同年10月ガランバ師の『ジャシンタ』などがあります
それらはいずれも、枢機卿など高位聖職者が序言を書いており、教会当局によって認可された書物です

−−−
ファチマに対する反論

シスター・ルシアの手記によって新たに明らかにされたファチマのメッセージは、しかし、必ずしもすべての人々によって支持されませんでした
1917年の聖母のメッセージを純粋に霊的なものだけにとどめておこうとする神学者たちがいました
ダニス神父は、聖母はロザリオの祈りをすること、わたしたちの罪の痛悔をすることを勧めておられるのであって、政治には関わられないと主張しています
聖母がナチス・ドイツやファシズムの危険に反対するソビエト・ロシアを名指しで挙げられ、その回心のためにロシアをマリアの汚れなき御心に奉献するように求められる、というようなことは考えられないというわけです
だから、聖母がそのようなことをメッセージの中で述べられたことはない、したがって、そのようなメッセージはおそらくシスター・ルシアの創作であろうというのが、ダニス神父の言い分です
ダニス神父はメッセージをファチマ1とファチマ2に分け、ファチマ1、つまり1917年に明らかにされていたメッセージだけを真正のものとし、ファチマ2、つまりシスター・ルシアが後に明らかにしたメッセージの真正性を否定します

ベルギーのイエズス会士エドゥアール・ダニス神父は1933年から1949年までルーヴァン大学の神学教授を勤め、その後ローマのグレゴリアナ大学で教鞭を執り、1963年には教皇パウロ6世によって学長に指名された高名な神学者でした
この影響力の強い神学者ダニス神父によって、1944年以来ファチマのメッセージに対する攻撃が始まりました
彼は1944年にフラマン語で『ファチマの御出現と予言について』と題された2編の長い論文を書き、翌1945年初めに少し変えて『ファチマの御出現と秘密について』という題で書物の形で出版しました
ダニス神父の著書の要点は1917年アルジュストレルの3人の羊飼いへの聖母の御出現は真正のものであるが、後に加えられたものについては疑わしい、信じるに足るものではない、わたしたちは最初のメッセージにとどまるべきであるということでした
1946年にオランダのモンフォール会のヨンゲン神父がシスター・ルシアに会って、これに対する反論を書き、1950年にはポルトガルのイエズス会士ヴェロゾ神父が、1951年には同じくポルトガルのイエズス会士ダ・フォンセカ神父がダニス神父の主張に対して、鋭い論駁をします
同じ修道会の同僚からの論駁に対して、修道会の上長の勧めもあって、ダニス神父は論争を終わらせるために、1953年5月16日、「チヴィルタ・カットリカ」に『ファチマに対する見解と議論の評価』という論考を載せました
この論考は回りくどい言い回しで議論を展開し、同僚たちの怒りを宥めようとはしていても、結局のところ彼の主張のどれ一つも撤回しないものでした

1978年に亡くなるまでの30年以上にわたるダニス神父のファチマ問題に与えた大きな影響力は他の高名な神学者にも及んでいます
たとえば、ルルドの聖母の御出現に関する権威であるルネ・ローランタン神父は1982年に書かれた『ファチマの秘密』という論考においてダニス神父の見解をこの問題における一つの権威として引用し彼の見解に賛成しています

−−−
シスター・ルシアの手記

それでは、シスター・ルシアがレイリアの司教コレイラ・ダ・シルヴァに要請されて1935年から41年にかけて書いた4篇の手記はいったい何であったのでしょうか?まず1935年に第1の手記がジャシンタについて書かれます
第2の手記は1937年にルシアについて、第3の手記は1941年8月に再びジャシンタについて書かれました
最後の第4の手記は同じ年1941年12月8日に書き上げられました
その内容は聖母の御出現とフランシスコ、ジャシンタのその後の生活、ポンテ・ヴェドラの御出現のメッセージなどです

ダニス神父はこの1935年から41年にかけて書かれたシスター・ルシアの手記に基づく出来事を「新しい歴史」としてファチマ2と呼び、1917年の時点で明らかにされていた出来事を「古い歴史」としてファチマ1と呼んでそれから峻別し、前に述べましたように、ファチマ1は真正性があるが、ファチマ2には真正性がないと主張します

ファチマ2には真正性がないという理由は何でしょうか?その理由をダニス神父は小さな子どもにそのように長い間の沈黙は不可能だからと言っています
1916年の天使の出現をルシアが1937年の第2の手記で初めて明らかにしたことは第1部の天使の出現の項で述べましたが、ルシアをはじめ子どもたちが天使の出現に強い衝撃を受け、地にひれ伏して礼拝するという体験によって、1917年当時誰にもこのことを打ち明けなかったというルシアの説明は、子どもの心理から考えてあり得ないことである、という理由でダニス神父を納得させるものとはならないのです
1917年の聖母の御出現の際にも子どもたちは聖母との約束を守って沈黙を守りますが、それもダニス神父にとっては、1917年から 1935年ないし1941年までというほとんど20年間もの長い間、沈黙を守ることが不自然であり、疑念を持たせることであることになります

ダニス神父は結局シスター・ルシアの1935年以後の手記による証言の信憑性を否定します
さらに、三人の証人のうちフランシスコが1919年にジャシンタが1920年に亡くなっていますから、残るルシア一人の証言では信憑性に欠けるというわけです
「一人の証言は何ら証言ではない」(testis unus, testis nullus)
シスター・ルシアの司教宛の手記の中の「聖霊の御助けに感謝」という言葉もダニス神父には「錯覚」としか思えません
ルシアの誠実さや日常生活における健全な判断力を疑いはしないが、しかし、ファチマ2はルシアの「無意識的なうそ」unconscious fabricationだというのが、ダニス神父の結論です
つまり、1916年の天使の出現はルシアの作り出した想像力のなせる業だということです
このようにして、地獄の幻視もまたルシアの想像力の中で知らず知らずの間に作り出された幻覚でしかないことになります
これは罪の恐ろしさの意識とカテキズムを通して植え付けられた中世的観念の結合によってもたらされた想像の産物であるというダニス神父の近代主義的解釈ではないでしょうか?聖母マリアの汚れなき御心の問題についても、ダニス神父はそれをシスター・ルシアの聖マルガリタ・マリアからの「無意識的な剽窃」にしてしまいます
無意識的というのはルシアの誠実さを疑わないからだそうです
誠実で健全な判断力を持ちながら無意識的剽窃をやってのけるルシアという人間を想像してください

−−−
ダニス神父のテーゼ

ダニス神父のテーゼは三つの点にまとめることができます
1)ファチマ1とファチマ2の間には対立がある
2)ファチマ2はでっち上げである
3)ファチマ1は真正性を持っている
したがって、わたしたちはファチマ1だけを信じ、ファチマ2を無視しなければならないということになりますが、本当にそういうことになるのでしょうか?次ぎにその問題について見て行きたいと思います

−−−
ダニス神父のテーゼの検討

ファチマ1を受け入れること

1917年5月から10月までの6回の御出現の真正性を認めることは何を意味するのでしょうか?
神がファチマの三人の子どもたちを他の人々の中から選ばれ、彼らをコヴァ・ダ・イリアで聖母の御出現に立ち会わせるようにご計画になったこと、
ルシア、ジャシンタ、フランシスコは聖母の姿を見、聖母の声を聞き(フランシスコは聞くことができませんでしたが)、聖母のメッセージを伝えるために神によって選ばれたこと、
彼らの証言の真正性を保証するために神が多くの奇蹟、科学的には説明できない癒しや自然科学的に説明不可能な太陽の奇蹟を大観衆の前で行われたこと、
三人の子どもたちが大奇蹟のことを三ヶ月も前から場所、日時を特定して予告していたこと、
そのことは聖母がすべての人がそれを見て聖母の言葉を信じるために子どもたちに約束されたこと、
つまり、御出現の超自然的起源を信じることを意味します
ダニス神父はこのすべてのことを真正なものとして受け入れます

−−−
ファチマ2を否定すること

しかし、同時にダニス神父はそれ以後のルシアの証言を否定し、ファチマ2を拒絶しなければならないと主張します
「無意識のうちに物事をでっち上げる」傾向のあるルシアが1917年の超自然的出来事に尾鰭をつけ始め、ことがらをでっち上げ、メッセージを膨らませて行った、と彼は考えます
このようにして、尾鰭をつけられて膨らまされたものがファチマ2であり、それは1917年の真正の御出現を歪曲するものだ、というわけです
−−−
ファチマ1とファチマ2の対立??

ダニス神父はファチマ1とファチマ2をこのように分離し対立させますが、そのことはそもそも可能なのでしょうか?
事柄の前半部分は真であるが、後半部分は虚偽であるというようなことはあり得るのでしょうか?
ダニス神父のように主張することは、カトリックの信仰に照らして矛盾しないでしょうか?
つまり、ファチマ1を真正のものと認めながら、ファチマ2を虚偽のものとして否定することは、神がお選びになった証人をファチマ1では承認しながら、同時にファチマ2において拒否することになりますが、それは神の選定に対する疑義の提出にならないでしょうか?
ルシアは1917年には神の証人として相応しかったが、それ以後相応しくなくなったと言われているようですが、それは神ご自身によるルシアの幻視者としての選定が誤っていたということにならないでしょうか?
ファチマ1が真正であるならば、ファチマ2も真正でなければならない、と考えるべきではないでしょうか?
もし、ファチマ2が虚偽であるならば、ファチマ1も虚偽であるはずです
1930年10月13日にファチマの司教がファチマの御出現の真正性を公式に宣言したときに、メッセージの受け手であったルシアがその数年前から正気を失い、ありもしないメッセージをでっち上げ、霊的指導者ばかりでなく、世界中をいかさまのメッセージによって混乱させたなどということを考えることは不可能です
フレール・ミッシェルはこう言っています
「もしルシアが半世紀間も世界を欺いていたとするならば、まず第一にその責任を負わなければならないのは神御自身である」と

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ファチマメッセージ伝達の四つの段階

ファチマの出来事とメッセージは次の四つの段階を経て人々に伝達されて行きました

1) まず出来事があり、何が起こったのかを人々に知らせる最初の口頭の証言があります
これは1917年に三人の子どもたちが家族や教会の神父に尋ねられて答えた内容です
2) 次に、後からの口頭の証言があります
3) それらを書き留める段階が来ます
霊的指導司祭に対して提出されたシスター・ルシアの書いたものは数多くあります
しかもそれらは長い間出版されませんでした
4) 最後に、出版の段階が来ます
この出版はファチマの場合はしばしば非常に遅く為されています
ルシアが望んでいたにもかかわらず、教会当局の意向によって引き延ばされました
秘密やメッセージの本質的部分は1940年まで出版されませんでした

ダニス神父はこの四つの段階のうち最初と最後だけを問題にし、真ん中の二つの段階を無視しました
ファチマの全体をファチマ1とファチマ2に分けて、前者の真正性を認めるが、後者をでっち上げとする考え方はこの連続する四つの段階を分断し、真ん中の二つの段階を無視することによって初めて維持できます
しかし、第二の段階と第三の段階を無視することはできません
それらは歴史的な証拠によって保証されているからです
事実はむしろこうではないでしょうか?3人の子どもたちは1917年に秘密を受け取り、それを注意深く保ち、摂理の導きに従って少しずつ明らかにしていったのです
ですから、1942年に明らかにされた秘密も1917年に子どもたちには明らかにされていた、と考えるほうが自然ではないでしょうか?

フレール・ミッシェルは1942年から1917年までを遡ってファチマの出来事とメッセージの全体が徐々に明らかにされて行く様子を以下のように辿っています

1942年 教会当局がファチマの秘密の出版を許可したのはこの年です
しかし、1927年にはすでにシスター・ルシアは天から秘密を明らかにする許しを得ていたので、そのうちの一つあるいは他の秘密を霊的指導司祭、司教あるいは教皇に明らかにしています

1941年 シスター・ルシアはファチマ2の全体をなす第三手記と第四手記を書きました

1940年 シスター・ルシアは教皇ピオ十二世に手紙を書き、その中で秘密を教皇に伝えました
そして1925年のトゥイ、1927年のポンテ・ヴェドラでの御出現で何があったかを語っています
1938-39年 シスター・ルシアは司教に数通の手紙を書いています
その中で彼女は秘密の中で予告されていた戦争が間近に迫っていると述べています
そして、ポルトガルがその戦争に巻き込まれないこともすでに予言されています
1937年 シスター・ルシアのために、レイリアの司教が教皇ピオ十一世に宛てて、マリアの汚れなき御心にロシアを奉献するように手紙を書いています
また、シスター・ルシアはこの年、第二手記を書いて、天使の出現とマリアの汚れなき御心について語っています
1935年 シスター・ルシアは第一手記を書き、その中ですでにマリアの汚れなき御心に関する秘密をほのめかしています
1929-1936年 数多くの文書がトゥイとポンテ・ヴェドラの御出現を語っていますが、それらは秘密と密接に関連したファチマ2の本質的な全体を成しています
1927年 シスター・ルシアは秘密の最初の二つの部分を明らかにする許しを天から得ています
彼女はそれを霊的指導司祭の命令で2回書き下ろしました
この年にすでに秘密が書き下ろされていたということは重要な事実です
シスター・ルシアは霊的指導司祭の命令でその文書を焼き捨てなければなりませんでしたが、秘密を書いたという事実は確かです
シスター・ルシアの指導司祭であった二人のイエズス会士、ホセ・ダ・シルヴァ・アパリシオ神父とホセ・ベルナルド・ゴンサルヴェス神父がそれらを読んだことは確かです
その彼らに、同じ修道会士であるダニス神父は確かめることができたはずなのに、そうしませんでした
シスター・ルシアはその他にもレイリアの司教、カノン・ガランバ神父などにも秘密を明らかにしています
1925-26年 シスター・ルシアの霊的指導司祭宛のいくつかの手紙はポンテ・ヴェドラでのマリアの汚れなき御心の御出現を語っています
この中で初土曜日の償いのための聖体拝領の要求が語られていますが、これはすでに秘密の一つの本質的な部分です
このように多くの文書が少なくとも1925年から1929年の間にシスター・ルシアがファチマ2の全体を既に持っていたということを明らかにしています
事実と秘密が1942年まで明らかにされなかったのは教会当局の許可がなかったからであり、従順の誓願をたてている修道者であるシスター・ルシアの責任にすることはできません
1917年から1926年にかけては、天はそのメッセージを全体にわたって明らかにすることを許していませんでしたから、三人の幻視者たちは秘密に関して沈黙を固く守っていました
しかし、秘密が明らかにされた時点でこの時期のことを考え合わせてみるならば、わたしたちは三人の幻視者たちがすでにメッセージを受け、それを知っていたと考えることができるでしょう
1924年 ルシアは教会当局の調査尋問で明らかにできない秘密があることを述べています
天使の出現はこの年にはまだ秘密でした
ルシアは尋問の時に秘密以外はすべてを述べると誓ったのに、自発的に「ある種のことがら」を述べなかったたために、不安な気持ちに苦しめられましたが、これは、ルシアがそのことを1937年に想像したのだとすれば、起こり得ないことでした
1921-1922年 カノン・ドス・レイス神父の尋問はルシアがすでに天使から教わった祈りをアシロ・デ・ヴィラルの彼女の友人の一人に教えていたことを明らかにしています
同じことをアロンゾ神父もその友人に確かめて、確証しています
ルシアがダ・シルヴァ司教に天使の出現について語ったのもこの時期です
1920年 ジャシンタは病気の間にマザー・ゴディーニョに秘密のうちのいくつかを打ち明けています
戦争と懲罰の預言や、地獄のこと、償いの必要性などです
1917年 9月あるいは10月にルシアはカノン・フォルミガオに天使の出現について言及しています
彼はそのことをカノン・バルタスに語りました
さらに、小さな幻視者たちの両親は、子どもたちが「天使の祈り」と呼んでいた祈りを唱えていることを知っていました
しかし両親たちは彼らがそれを誰から教わったかを知りませんでした
1915年 この年の天使の最初の出現は直ちに知られました
この話は直ぐに村人たちに知れ渡りました
1917年にカノン・フォルミガオはそのことについて知っていました
以上見て来ましたように、1915年から1942年までの時間経過を逆に辿っても、ダニス神父の言うファチマ1とファチマ2の間にギャップとか、矛盾を見ることはむしろ困難であると思われます
秘密の内容は明かされなかったとしても、秘密の存在はすでに1917年の7月の時点で明らかにされていました
ですから、後に1942年にその内容が明かされたとしても、シスター・ルシアがそれを全部でっちあげたなどということはあり得ないことではないでしょうか?
第1部でも見ましたように、人々は子どもたちから秘密を聞き出そうとして、誘惑したり、脅迫したりしたわけですから
当時、7歳、9歳、10歳であった彼らが聖母との約束を破るよりは死んだほうがよいと思うくらい、固く沈黙を守ったことはまさにそれらがでっちあげでないことの何よりの証拠だと思われるのですが...
−−−
ファチマ1とファチマ2の完全な一致

ファチマ1は1917年の時点ですでにファチマ2を明白な形ではないにしても、ヴェールをかけたような仕方で告知していました
1917年と1942年の間完全な沈黙が支配していたわけではなくて、上に見ましたように、時間経過の中で徐々にファチマの出来事とメッセージがシスター・ルシアによって大勢の人々を介して明らかにされてきたのでした
1917年と1942年の間事態が完全に空白となっていて、シスター・ルシアがその間にありもしない出来事やメッセージを捏造したということは経過を見てもあり得ないことです
さらに、たとえば、1917年7月13日の御出現のときに、子どもたちは地獄の幻視を経験しました
しかし、これが文書で明らかにされたのは1941年でした
聖母は地獄に落ちる危険を警告されるために「おお、私のイエズスよ、わたしたちを救い、わたしたちを地獄の火から救ってください...」という祈りを子どもたちに教えられましたが、当時巡礼者たちはこの祈りの意味を十分に理解せず、煉獄にいる霊魂のための祈りだと誤解していました
その祈りの真の意味は地獄の幻視が明らかにされたことによって明らかとなりました
7月13日のこの日に子どもたちが恐怖に襲われた表情をし、ルシアが「おお、聖母よ、おお、聖母よ」と叫び声を挙げたことを周りにいた人々が目撃していますが、当時はだれもその理由を知りませんでした
これは1941年のシスター・ルシアの手記によって明らかにされて初めて理解できることです
そのような関連を持つ出来事をシスター・ルシアの想像上のでっち上げとか、後から付けられた尾鰭だと考えることはできません
ファチマ2がファチマ1を解明する手がかりとなるほどに、両者は完全に一致している、とフレール・ミッシェルは言います
ファチマ2が後年の作り事の結果であるというダニス神父の主張は無理があります
むしろ、事実は1917年に与えられた秘密が正確に記憶されて、時が来たときに明らかにされたということです
シスター・ルシア自身、1946年にヨンゲン神父のインタビューに対して次のように述べています
「御出現について話すとき、わたしは自分が聞いた言葉の意味を伝えることに限定します
他方、書くときには、その言葉を文字通り引用するように苦心します
このようにわたしは一語ずつ秘密を書き下ろすようにしました」ちゃんと記憶できたという確信があるかどうかを尋ねられて、彼女はそうできたと思うと答えています
シスター・ルシアは彼女が文書として引用した聖母のメッセージは彼女に伝えられた通りの順序で一語一語綴られたということを確証しています

−−−
メッセージの本質

シスター・ルシアは1941年に書いた第三の手記の中でこう言っています
「秘密は三つの異なった部分から成っています
そしてわたしはそのうちの二つを明かすでしょう
第一の秘密は地獄の幻視です
第二はマリアの汚れなき御心に関するものです」
シスター・ルシアは第二の秘密を1942年に明らかにしました
そして第三の秘密と普通言われている第三の部分は未だに明らかにされていないことは前にも触れました
そこで、まず第一の部分から見て行くことにしましょう

−−−−
霊魂の救い

ファチマの秘密は恐ろしい地獄の幻視から始まります
この幻視を通して聖母はわたしたちに直ちに重要で本質的なたった一つのこと、すなわちわたしたちの永遠の生命のことを思い出させられます
ですから、秘密の第一の部分は非常に大切な部分です
飢饉、戦争、迫害の予告以上に、わたしたちを脅かす永遠の生命のことを思い起こさせるこの地獄の幻視は聖母のメッセージの本質的な点の一つです
聖母は現代のこの世的、自然主義的、唯物論的な時代に伝統的なカトリック信仰を思い起こさせようと望まれました
長くなったとはいえ、わたしたちのこの世の生命は100年も続きません
わたしたちはその後永遠の救いか永遠の滅びかのどちらかに入らなければなりません
わたしたちの永遠の運命が決定されるということをわたしたちは忘れているのではないでしょうか
天国と地獄の存在は聖書に書かれている真理です
マタイによる福音書にはこうあります
「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい....呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ

現代の人々はこれを文字通りに受け取ることを嫌います

ダニス神父はシスター・ルシアが後に報告した、1917年7月13日に聖母マリアに見せられた地獄の幻視を子どもっぽい想像の産物であって、教養のある知的な成人にはとても受け入れられるものではないと考えます
有名な神学者のセルティヤンジュ神父もこのような地獄のイメージはダンテの『神曲』から霊感を受けて描かれた多くの絵画の中に表現されている、いわば「中世的な」イメージであって、もはや現代には時代遅れの「象徴的な表象」であると主張しています
しかし、事実はそうではありません
地獄のイメージを産み出したのはダンテの『神曲』ではなく(もちろんダンテはそれらのイメージの最も雄弁なそして最後の代弁者ですが)、それより遙か以前の大聖堂の彫刻、あるいはもっと遡って聖アウグスティヌスや他の教父たちの記述であり、なによりもまず聖書の中でのイエズス・キリスト御自身の言葉です
シスター・ルシアが見せられた幻視はまさに聖書的なイメージです
地獄に関する聖書の表現を文字通りに、たとえば火、ウジ虫、暗闇、呪われた者どもの叫びや呻きとして理解するのではなく、神からの分離であるというふうに抽象的に理解する傾向は近代的、現代的とされてわたしたちの心を平静にするのですが、ひとたびこのような「非神話化」の原理が認められると、もうとどまるところを知らず、やがては地獄そのものの否定へと行き着きます
ドイツの神学者ハンス・キュンク神父は地獄や永遠の苦痛というのはわたしたちがそこから解放されなければならない神話であると主張しています
これはマタイによる福音書にあるキリストの言葉の否定ではないでしょうか?わたしたちの最大関心事であるはずの霊魂の救いとは、そのとき、何を意味するのでしょうか?聖母はこのような神学者たちが現れ、人々を霊魂の救いの問題に直面させないようになることを予見されて、ファチマで三人の子どもたちに地獄の幻視を経験させ、現代世界に警告を発せられたのではないでしょうか?

近代主義者、合理主義者がどう主張しようと、イエズス・キリストが教えられ、聖母が子どもたちを通じてわたしたちに示された地獄のイメージをわたしたちは見失わないようにしなければなりません
フレール・ミッシェルは次の2点を強調しています

1) イエズス・キリストはわたしたちを地獄から救うために苦しみを受け十字架上で亡くなられました

ファチマのすべての幻視はイエズス・キリスト御自身の教えの純粋な反響であり、最も忠実な表現です
シスター・ルシアによって語られた地獄の幻視はまさに福音書に基づいたものです
イエズスは繰り返し地獄についての教えを述べ、説教されたからです

2) イエズス・キリストはわたしたちに真理の言葉を語られました

イエズスの教えは漠然とした抽象的な表現でではなく、具体的に現実を示す最も正確な表現で宣べ伝えられました
そして、聖母は子どもたちに地獄の幻視を経験させられた後にこう言われませんでした
「あなたがたは永遠の破滅の一つのシンボル、一つのイメージを見ました
永遠の破滅はもちろんそのシンボルとは全く違います
永遠の破滅は純粋に霊的な秩序に属するからです」と
いいえ、そうではありません
聖母はこう言われたのです
「あなたがたは地獄を見ました
そこへは哀れな罪人たちの霊魂が行くのです」と
地獄はわたしたちを脅かす一つの現実的な危険なのです!それは恐るべきものであり、具体的なものです

シスター・ルシアは1957年12月26日にフエンテス神父にこう語っています
「わたしの使命は、もし世界が祈らず償いをしないならば確実に来る物質的な懲罰を世界に告知することではありません
そうではありません
わたしの使命は、もしわたしたちが頑固に罪のうちにとどまるならば、永遠にわたしたちの魂を失うというわたしたちが直面している差し迫った危険をすべての人に知らせることです」

1977年7月11日、コインブラのカルメル修道院にいるシスター・ルシアを訪問した後に、後年ヨハネ・パウロ1世になるルシアーニ枢機卿はファチマの秘密の第一の部分を次のように要約しています
「地獄は存在します
そしてわたしたちはそこへ行く可能性があります
ファチマにおいて聖母はわたしたちに次の祈りをお教えになりました
『おお、わたしのイエズスよ、わたしたちの罪を赦し、わたしたちを地獄の火から護ってください、すべての人々、ことに御憐れみを最も必要としている人々を天国へ導いてください
』この世界には重要な事柄があります
しかし、よく生きることによって天国を得るに値すること以上に重要なことは何もありません
そのように言っているのは単にファチマだけではなくて、福音書です
『人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか』(マタイ、16,26)」

−−−
世界の救い−聖マリアの汚れなき御心に対する信心−

1917年7月13日、第3回目の聖母の御出現の際に地獄の幻視を経験したとき、ルシアは救いを求めて聖母の方を見つめます
そのとき、聖母は親切に、しかし悲しそうにこう言われました
「あなたがたは哀れな罪人たちが行く地獄を見ました
そこへは哀れな罪人たちの霊魂が行くのです
彼らを救うために、神は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます」

聖母のこの言葉を注意深く正確に読むと、マリアの汚れなき御心に対する信心は決して信者がその内的好みに応じて選択できるオプションでないことが分かります
それは聖母自身のお望みですらありません
マリアの汚れなき御心に対する信心は神御自身が望まれたことであるということが聖母の言葉から理解できます
それは条件つきのお望みではなく、絶対的、無条件的な神の御意志であることが分かります
普通、信心というのは、ある特定の地域や国から始まり、多かれ少なかれ徐々に広がってゆきます
しかし、聖マリアの汚れなき御心に対する信心は事情が異なります
それは神御自身がそれが全世界に拡げられることを望んでおられるのです
神はその信心を打ち立てることを望まれました
フレール・ミッシェルは、これは私的な信心の問題ではなくて、堅固な基礎の上に確立されるべき荘厳な公的礼拝である、と言っています
ですから、それは教会当局によって認められ、保護され、広められた典礼的な礼拝です

神は世界を救うために別の方法を選ばれることももちろん可能でした
しかし、神が選ばれた方法は聖母マリアの汚れなき御心に対する信心を通して、イエズスの聖心の限りなき愛をお示しになることでした
このイエズスの聖心に最も近い、最も親しい御母の汚れなき御心を世界中の人々に愛させることが神の御意図でした
イエズス以上に御母マリアを愛する者がいるでしょうか?
そのマリアの御心がすべての人々によって栄光を帰せられ、名誉を与えられ、愛され、奉仕されることを神はファチマにおいて望まれたのです
聖母マリアはその意味で全人類の神への仲介者(Universal Mediatrix)であり、わたしたちの霊魂を救うための神の貴重な「道具」(Instrument of Salvation)なのです
聖母マリアがルシアに言われた「彼らを救うために、神は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます」という言葉は以上のようなことをわたしたちに理解させます
フレール・ミッシェルは、ファチマの啓示はパレ・ル・モニアルの啓示の完成であり、マリアの汚れなき御心に対する信心はイエズスの聖心に対する信心と結びつけられていて、両者を切り離すことは不可能である、と言っています

神は愛です
そして神の知恵は御母マリアの汚れなき御心に対する限りない愛とわたしたち哀れな罪人に対する限りない憐れみとを結びつけられました
どのように結びつけられたのかと言えば、神はマリアを通して、ただマリアを通してだけわたしたちを救うことに決められたのです
そのことによって聖母に対する栄誉と栄光が達せられ、同時に罪人の救いが実現するからです
1917年6月13日のメッセージの中で、すでに聖母はルシアにこう言っておられます
「イエズスは人々に私を知らせ、愛させるためにあなたを使うことを望んでおられます
イエズスはこの世界に私の汚れなき御心への信心を打ち立てることを望んでおられます
この信心を実行する人に私は救いを約束します
これらの人々の霊魂は神の玉座を飾るために私によっておかれた花のように、神にとって大切なものです
...私は決してあなたを見放しません
私の汚れなき御心はあなたの避難所であり、あなたを神へと導く道であるでしょう」
聖母マリアはルシアだけにでなく、この信心を実行するすべての人に救いを約束されました
これは弱くて卑怯なわたしたち罪人にとって何と確実・安全で容易な救いへの道であることでしょうか!

このようにいわば天国への道が聖母マリアの汚れなき御心を通してであることが神によって決定されたのですから、これ以外の道を取ることがどんなに無益で危険であるかということをわたしたちは考えなければなりません
そのことについてシスター・ルシアはフエンテス神父にこう言っています
「聖なるロザリオとマリアの汚れなき御心に対する信心は私たちの最後の二つの頼みの綱です
ですから、このことは他のよりどころはないということを意味しています
...神はある種の恐れをもって救いの最後の手段・神のいと聖なる御母を私たちに提供しておられるのです
なぜなら、もし私たちがこの最後の手段を軽蔑し、拒絶するならば、もはや天の赦しを得ることはないからです
というのは、私たちは福音書が聖霊に反する罪と呼ぶ罪を犯したことになるからです
その罪は私たちに提供される救いを、完全に知りながら、同意して公然と拒絶することにあります
イエズス・キリストが善い神であるということ、そしてご自分のいと聖なる御母に背き、軽蔑することを私たちにお許しにならないということを忘れないようにしましょう」

世界の救いのためにロシアが聖母の汚れなき御心に捧げられなければならないという点については、後に触れることにしたいと思います

−−−
三人の幻視者たち

さて、ファチマのメッセージについて述べて来ましたが、1917年以後三人の子どもたちはどのような道を歩んだのでしょうか
−−−
まず、フランシスコから見て行きましょう
フランシスコ(1917年10月−1919年4月4日)

フランシスコは瞑想的で優しい心の持ち主でした
彼は御出現を受けて聖母と神御自身が無限に悲しそうであると感じ、この御二人を慰めたいといつも考えていました
エフェソの信徒への手紙の中で聖パウロが「神の聖霊を悲しませてはいけません」(4,30)と言っているように、神は私たちの罪のために悲しまれるのです
イエズスはゲッセマネで祈られたときに「わたしは死ぬばかりに悲しい」(マルコ、14,34)と言われました
イエズスの御受難を預言していると言われる詩編69ではこう言われています
「わたしが受けている嘲りを、恥を、屈辱をあなたはよくご存じです
わたしを苦しめる者は、すべて御前にいます
嘲りに心を打ち砕かれ、わたしは無力になりました
望んでいた同情は得られず、慰めてくれる人も見だせません
人はわたしに苦いものを食べさせようとし、渇くわたしに酢を飲ませようとします」(20-22)
イエズスはパレ・ル・モニアルで聖マルガリタ・マリアに御出現になったとき、詩編のこの言葉と同じ嘆きを、棘に取り巻かれた御自分の聖心をお示しになりながら洩らされました
フランシスコはこの神の悲しみを慰めたいと心底から思っていました
彼は妹のジャシンタといとこのルシアにかつてこう言っています
「ぼくは神様をとても愛している
だけど罪があまりにも多いので、神様はたいへん悲しんでいらっしゃる
ぼくたちはもう二度と罪を犯してはいけないんだ」

すでに1916年にカベソにおいて天使が3人の子どもたちに御聖体のうちにおられるイエズスに対する侮辱の償いをし、イエズスを慰めるように招きました
御聖体と御血を与える前に天使は彼らにこう言いました
「恩知らずの人々によって恐ろしく侮辱されたイエズス・キリストの御身体を受け、御血を飲みなさい
彼らの罪のために償いをし、あなたがたの神を慰めなさい」フランシスコはこの償いと慰めが祈りと犠牲によって行われることをよく理解していました
フランシスコは一人でいることを好み、神を慰めるためによく祈りました
彼はまた食事や水を自らに制限して犠牲を捧げ、神を慰めていました

フランシスコは神の「悲しみ」に対する感受性を持っていましたが、同時にまた病人や苦しんでいる人々に対して同情する優しい心を持っていました
彼は人から祈りを頼まれると必ず約束を守り、また彼の祈りはよく聞き入れられました

1917年6月13日の御出現のとき、ルシアは聖母に天国に連れて行ってもらえるかどうかを訊ねていますが、聖母はそれに対して「ええ、フランシスコとジャシンタをまもなく連れて行きます」と答えておられます
このときからフランシスコとジャシンタは自分たちの生命がそれほど長くないことを知っていました
フランシスコは最後の御出現から1年半後に天国に召されるのです
聖母から天国へ連れていってもらえるという確信と神の「悲しみ」に対する特別の感受性はフランシスコの行いをよく説明します
彼は短期間に驚くほど進歩しました
彼はある婦人から将来何になりたいか、いろいろの職業を挙げて質問されますが、そのどれをも否定してこう言っています
「そのどれにもなりたくありません、ぼくは死んで天国に行きたいのです」と
彼は「隠れたイエズス」すなわち、御聖体をしばしば訪問します

最後の御出現からわずか1年後の1918年10月終わりにスペインに端を発したインフルエンザがヨーロッパに猛威を振るい、ポルトガルにも大流行します
8歳だったジャシンタと10歳だったフランシスコもこのインフルエンザにかかります
フランシスコもジャシンタもいったんはよくなるのですが、12月23日に再び悪化します
このとき特にフランシスコは半月も高熱が続き、動くこともできないほどになりました
そのような病状にもかかわらず、フランシスコはいつも明るく振る舞い、主イエズスを慰めるために自分の苦しみを捧げていました
ジャシンタがルシアに語ったところによると、聖母がフランシスコとジャシンタに再び御出現になり、フランシスコをまもなく天国に連れて行くと言われたそうです
おそらく1918年のクリスマスの頃だったようです
翌1919年1月の半ば頃には2度目の回復の兆しがあり、起きあがれるほどでした
家族は喜んだのですが、フランシスコは自分の運命をすでに知っていて、「聖母がまもなく迎えにこられます」と繰り返していました
1月の終わりか2月の初めにフランシスコは懐かしいコヴァ・ダ・イリアへ行くことができました
彼はそれがこの祝福された土地への最後の訪問であることを知っていました

フランシスコは自分の役割がイエズスの聖心と聖母マリアの汚れなき御心を慰めることであるということをよく知っていました
彼が病床に臥していちばん残念だったことは、教会に行って御聖体の前で長い時間を過ごすことができなくなったことでした

4月2日水曜日、フランシスコは御聖体をうけるために告解をしたいと望み、父のティ・マルトは教区司祭フェレイラ師に家に来てくれるように司祭館まで頼みに行きます
フランシスコは告解のための入念な準備をします
告解の後、遂に念願の聖体拝領をします
1919年4月4日金曜日フランシスコは最後の日を迎えます
彼は母親を側に呼び、こう言います
「お母さん、ドアの側にあの美しい光を見てよ!」しばらくして、「もう見えないよ」
夜10時頃、彼の顔は天使のほほえみで輝き、苦しむことなく静かに息を引き取ります
4月5日土曜日小さな葬列がフランシスコの遺体をファチマの墓地へ運びました
ルシアは涙ながらに葬列に加わりましたが、ジャシンタは病床にとどまらなければなりませんでした
このようにして、聖母の預言は成就し、ファチマの幻視者の一人が天国へ旅立ちました
フレール・ミッシェルは聖ルイ・ド・モンフォールの次の言葉がフランシスコに適用できると言っています
「人は自分自身の意志に長年従い、自分自身に頼ることによってよりも、短い時間にマリアに従い、より頼むことによってより多く進歩する」

−−−
ジャシンタ(1917年10月−1920年2月20日)

ジャシンタは兄のフランシスコとはかなり違った性格と気質を持っていました
兄と妹はファチマの聖母のメッセージの二つの面をそれぞれ生きる相補的な使命を摂理によって与えられたかのようでした
フレール・ミッシェルはそのことについて次のようなことを言っています
瞑想的な魂を持っていたフランシスコはとりわけ神と聖母の悲しさに惹かれ、イエズスとマリアの苦しみに同情し、祈りによってイエズスとマリアの御心を慰めることを強く望んでいました
ジャシンタもまた優しい、愛情に溢れた心の持ち主でしたが、彼女は多くの霊魂が地獄の火の中に陥るのを見て心を痛め、できるかぎり彼らの罪の償いをし、マリアの汚れなき御心から彼らの回心の恵みを得たいと思いました
聖母が1917年8月13日に告げられたメッセージの「祈りなさい、たくさん祈りなさい
そして罪人たちのために犠牲を捧げなさい、多くの魂が、彼らのために犠牲を捧げたり、祈ったりしてくれる人を持っていないからです」という言葉は彼女の心を捉え、彼女は聖母のこのメッセージを身をもって生きます
彼女の望みはできるかぎり多くの霊魂の救いであり、罪人の回心でした
そしてその罪人の回心のために祈りと犠牲を捧げました

ジャシンタは6回の聖母御出現が終わった後にも、1920年2月に亡くなるまでの間、絶えず聖母の御出現を受ける恵みを神から戴いていました
1917年10月13日以降、ファチマの教区司祭フェレイラ師がその手記を完成させた1918年8月6日までのわずか10ヶ月くらいの間にも、聖母が少なくともジャシンタに3回御出現になった、とフェレイラ師はその手記の中に書いています
シスター・ルシアの手記にはこれらのジャシンタへの聖母の御出現については何も述べていません
ルシアはその手記の中で、ジャシンタには独特の預言的な幻視があったことに触れています
それは1917年7月13日の秘密のなかで告知された出来事に関する幻視です
おそらく1917年7月13日からジャシンタがインフルエンザで病床につくまでの1918年10月の間のいつかにあった出来事です
三人でシエスタを終えた後、ジャシンタがルシアを呼んで次のような光景が見えないかどうか訊ねます
ルシアには見えませんでした
教皇が大きな家にいて、手で顔を覆い、テーブルのところに跪いています
教皇は泣いていました
家の外には多くの人がおり、ある人々は石を投げ、他の人々は教皇を呪い、きたない言葉を使っていました
ジャシンタはこう言います
可哀想な教皇、わたしたちは教皇のためにたくさん祈らなければなりません、と
別の日に彼らがラパ・ド・カベソという洞窟に行ったとき、ジャシンタは次のような幻視を経験しています
道に人々が溢れ、彼らは食べ物がなくて飢えて泣き叫んでいます
教皇がある教会の中で聖母マリアの汚れなき御心の前で祈っています
多くの人々が教皇と一緒に祈っています
これらの幻視は7月13日の聖母の預言、教皇の迫害や戦争の勃発に関係しています
これらのジャシンタの幻視は聖母がこの純真で感受性の鋭い小さな魂に聖母の御心を打ち明けられたものだ、とルシアは思いました
聖母のメッセージは私的・個人的性格のものではなく、全世界に向けられた公的な性格のものでした
聖母はジャシンタに未来を明らかにされ、教皇が迫害され、嘲けられ、見捨てられる様を見せられました
ジャシンタは教皇のためにどれほど祈らなければならないかを理解しました

1918年10月の終わりにジャシンタがインフルエンザにかかったとき彼女はそれが苦しみの始まりであることを自覚していました
彼女はすでに「十字架を通して光へ、死を通して生へ」(Per crucem ad lucem. Per mortem ad vitam)至るべきことを天使からそして聖母から教えられていました
1916年夏にアルネイロの井戸のそばで三人の子どもたちは天使から「主が与え給う苦しみを従順に受け入れ、堪え忍びなさい」と言われていました
また1917年5月13日には聖母から「あなたがたは、神に背く罪の償いと罪人たちの回心への嘆願の行いとして、喜んであなたがた自身を神に捧げ、神があなたがたにお与えになるすべての苦しみを耐えますか」と訊かれて、ルシアは皆を代表して、「はい、喜んで」と答えています
聖母はそのときこう言われました
「それでは、あなたがたは多く苦しむことになるでしょう
しかし、神の恩寵があなたがたの慰めとなるでしょう」
この時以来、ジャシンタはどれほど多くの祈りと犠牲をアルネイロの井戸のそばで捧げたことでしょう!

ジャシンタが病状がすこしよくなったときにルシアに次のように打ち明けたことがあります
彼女と兄のフランシスコに聖母が御出現になり、「フランシスコをまもなく天国に連れてゆきます」と言われましたが、ジャシンタに「罪人をもっとたくさん回心させることを望んでいますか」と訊ねられました
ジャシンタがはいと答えると、聖母はたくさん苦しむために病院に行くことになる、癒されるためにではなく、主の愛のため、また罪人のためにもっと苦しむために二つの病院に行くことになる、とジャシンタに告げられました
ジャシンタは苦しむことが多ければ多いほど、それだけ多くの霊魂を地獄の火から救うことができるということを理解していました
このようにして、ジャシンタは家族やルシアから遠く離れた病院で孤独のうちにその短い生涯を終えることになります

ジャシンタは1918年10月の終わり以降、気分のいい数日間を除いてベッドから離れることができませんでした
気管支肺炎の後に肋膜炎が彼女に大きな苦しみを与えました
彼女は自分の苦しみについて決して愚痴を言わないようにしていました
それは一つには母親であるオリンピアに対する繊細な配慮からであり、一つにはこのおまけの犠牲を捧げるためでした
ジャシンタは母親に言わない苦しみをルシアには告げていますが、こうつけ加えています
「わたしはわが主のため、マリアの汚れなき御心に対して犯された罪の償いのため、教皇のためそして罪人の回心のために苦しみたいの」

ジャシンタは誰の目から見ても愛すべき、感受性に富んだ、愛情深い心の持ち主でした
天使と聖母の御出現以来、ルシアやフランシスコとは特別な霊的関係で結ばれ、彼らとの友情は病気になって以来の彼女の最も甘美な慰めでした
ジャシンタはこの幸せの最後の源をも犠牲として捧げるために断念しようと努めていました
1919年4月4日にフランシスコが亡くなる少し前に、ジャシンタはルシアのいる前でフランシスコにこう頼んでいます
「わたしの愛のすべてを主と聖母に捧げます
罪人の回心とマリアの汚れなき御心に対する償いのために主と聖母がお望みになるだけ、わたしは苦しみます、とお二人に伝えてちょうだい」
フランシスコとの別れはジャシンタの心を引き裂きましたが、その悲しみ、苦しみを犠牲として捧げました
前にも述べましたように、病床に釘付けにされて、彼女は愛する兄の葬儀にも参加できませんでした

1919年7月に医師の勧めで、ジャシンタはヴィラ・ノヴァ・デ・オウレムの聖アウグスティヌス病院に入院することになりました
このようにして聖母の預言は実現されるのです
ジャシンタは自分が癒されるためでなく、苦しむために入院するのだということを知っていました
7月1日から8月31日までの2ヶ月間の入院生活はジャシンタには大きな苦しみを与えましたが、とりわけ彼女の苦しみを大きくしたのは孤独でした
フランシスコを失って、残るルシアにジャシンタは会いたくてたまりませんでした
アルジュストレルの村からヴィラ・ノヴァ・デ・オウレムまでは15キロメールほどの距離があり、行くのは大変でした
それでも、母親のオリンピアはルシアを連れて2度ジャシンタの見舞いに行っています
このときにも、ジャシンタはルシアに大きな苦しみを罪人の回心とマリアの汚れなき御心に対する償いのために捧げると伝えています
8月末に治療の結果もはかばかしくなく、またマルト家の家計も許さなくなったので、ジャシンタは退院して家に帰ります
ジャシンタは横腹の傷が化膿し、傷口がふさがりませんでした
彼女はいつも熱があり、身体は骸骨のように痩せていました
ルシアは2年前に3人で訪れたカベソの丘へ行って、アイリスやシャクナゲの花を摘んでジャシンタの病床に持って行きます
ジャシンタは「わたしはもう二度とあそこに、そしてヴァリニョスやコヴァ・ダ・イリアにも行けないわ」と言って涙を流します
ルシアは「それが何よ
あなたは天国に行って主イエズスや聖母に会えるじゃないの」と言ってジャシンタを慰めます
ジャシンタにはもう残された時間はあまりありません
そのわずかの期間にはもっと辛い日々が待っていました

ジャシンタがルシアに語ったところによれば、1919年12月に聖母がジャシンタに御出現になり次のように言われたとのことです
ジャシンタはリスボンの病院にもう一度入院することになる、ルシアとはもう会えない、両親や兄弟とも会えない、たった一人病院で死ぬと
しかし、聖母はそのとき、御自分がジャシンタを天国に連れにくるから、怖がらなくてもよいとジャシンタに言われました
この聖母の預言は思いがけない仕方で実現されます
ジャシンタの両親はヴィラ・ノヴァの病院での治療が思わしくなかったので、娘を別の病院に入院させることは無益だと考えていました
1920年1月半ば頃にリスボンの有名な医師であるリスボア博士がファチマを訪れ、フォルミガオ神父とサンタレムの神学校教授に会い、ジャシンタの治療について協力を求めました
この医師と教授の説得を受け、両親はフォルミガオ神父にも相談して、ジャシンタを首都リスボンの病院に送る決心をしました

ファチマを永遠に去ることが決まって、ジャシンタは母親に願って最後の機会にコヴァ・ダ・イリアへ連れて行って貰いました
もちろんジャシンタは自分で歩けませんので、ロバの背に乗せられてそこへ行きました
カレイラ池についたとき、ジャシンタはロバから下りて、一人でロザリオの祈りを唱えました
彼女はチャペルに供えるために花を摘みました
チャペルでは跪いて祈りました
そして母親のオリンピアに聖母が御出現になったときの様子を語って聞かせるのでした

ついにファチマを去る日が来ました
ジャシンタはルシアと抱き合って最後のお別れをしました
「わたしのためにたくさん祈ってね
わたしが天国に行ったらあなたのためにたくさん祈るわ
秘密を絶対漏らさないでね
イエズス様とマリアの汚れなき御心をたくさん愛してくださいね
そして罪人たちのためにたくさん犠牲を捧げてくださいね」
そう言って彼女は泣きました
母親と長兄のアントニオが付き添って行くことになりました
リスボンまで汽車に乗っての旅でした

リスボンで彼女たちを病院に入るまでの間引き受けてくれるはずであった人が、ジャシンタのあまりにも惨めな状態を見て、引き受けることを拒みました
ジャシンタは傷口が化膿していて、いやなにおいを発していたこともありました
何軒も家を廻って断られたあげく、最後に一軒の家に受け入れて貰い、一週間ほどそこにいて、オリンピアとアントニオはファチマへ帰りました
ジャシンタは最終的に「奇蹟の聖母」と呼ばれる孤児院に受け入れられました
その施設の創設者マザー・ゴディーニョは最年少の幻視者の一人を自分のところに受け入れられたことをたいへん喜び、自分に与えられた名誉を誇らしく思いました
ジャシンタはその施設でミサに与り、御聖体を拝領するという思いがけない恵みを受けたことを喜びました

リスボア博士はジャシンタを入院させて、手術をしようと思っていましたが、思いがけず母親のオリンピアの強い反対に出会いました
しかし、オリンピアも最終的には同意して、1920年2月2日にジャシンタは「奇蹟の聖母」孤児院を出て、ドナ・エステファニア病院小児病棟に入院します
彼女は自分の最期が近いことを知っていましたが、それとは関係なしに事は進みます
彼女は孤児院にいたときのような、御聖体を礼拝したり、拝領したりできなくなりました
そのことはまさに彼女にとって一つの大きな犠牲でした
マルト家では他の子どもたちが病気にかかり、オリンピアはジャシンタを置いて帰郷しなければならなくなりました
2月5日、ジャシンタは一人きりになりました
マザー・ゴディーニョや他の女性たちが毎日、見舞いには来てくれましたが、母親に代わることはできませんでした
このようにして、聖母の預言は実現されました
ジャシンタはこの大病院の中でたった一人で死んで行かなければなりません

ジャシンタの手術を担当したのはカストロ・フェレイレ博士でした
「化膿した肋膜炎
左第7および第8肋骨骨炎」
という診断でした
手術は2月10日に行われました
2本の肋骨が切除されました
毎日の傷の手当は耐えられないほどの苦痛を与えました
ジャシンタは聖母の御名を繰り返していました
父親が一度見舞いに来ましたが、長く滞在できず、苦痛と孤独に悩まされているジャシンタを残して直ぐに帰りました
死の3日前、ジャシンタはマザー・ゴディーニョにこう打ち明けています
「マザー、わたしはもう痛みがありません
聖母がまた御出現になって、もうすぐわたしを連れていく、わたしはもう苦しまないでしょう、とおっしゃいました」

リスボア博士が術後の経過のよいことを父親のマルト氏とアルヴェアゼレ男爵に手紙を書きましたが、ジャシンタは彼女の死の日時を知っていました
リスボア博士の報告によれば、2月20日金曜日の夕方6時頃、ジャシンタは気分が悪くなったから終油の秘蹟を受けたいと言いましたので、教区司祭のペレイラ・ドス・レイス博士が呼ばれました
夜8時頃に彼はジャシンタの告悔を聞きました
ジャシンタは臨終の聖体拝領をさせてほしいと頼みましたが、レイス神父は彼女が元気そうに見えたので、その願いに同意せず、明朝御聖体を持って来てあげると言いました
ジャシンタは繰り返し、まもなく死ぬから臨終の聖体拝領をさせてほしいと願いました
結局その夜彼女は亡くなり、御聖体は拝領しないままでした
このようにして、聖母の預言がすべて実現しました
ジャシンタはその最期に両親や友人も誰一人そばに付き添わずにたった一人で亡くなりました
彼女があれほどに望んでいたホスチアの中に現存されるイエズスをいただくという至高の慰めからも遠ざけられて最大の犠牲を捧げたのでした

−−−
ルシア(1917年−1925年)

「私はジャシンタとフランシスコをまもなく連れて行くでしょう
しかし、あなたはそれよりも少し長く地上にとどまらなければなりません
イエズスは人々に私を知らせ、愛させるためにあなたを使うことを望んでおられます
イエズスはこの世界に私の汚れなき御心への信心を打ち立てることを望んでおられます」
1917年6月13日の御出現のときに、聖母はルシアにこう言われました
定められたときにマリアの汚れなき御心と教会と世界に関するマリアのお望みのメッセンジャーとなる前にルシアが果たしておかなければならなかった仕事が二つありました
一つは彼女が見そして聞いたすべてのことについて絶え間ない証言をすること、明瞭で説得力のある証言をすることでした
その次ぎに、そのことを実現できるための力をつけること、−これも同じ日に聖母がルシアに望まれたことですが−「読み書きの勉強をすること」でした
聖母はルシアが天のメッセージを教会と世界に伝達することができるようになるために、勉強を望まれたのでした
「イエズスは人々に私を知らせ、愛させるためにあなたを使うことを望んでおられます」と聖母は言われたからです

1917年10月の御出現以後、ルシアの身に起こったことを簡単に見ておこうと思います
10月の大奇蹟以後、人々は三人の幻視者たちを追いかけては質問を試みました
彼らはそういう人々から身を隠すのに大変な労力を使っています
彼らは皆非常に謙遜でしたから、人々から褒められたり、聖人扱いされることを用心していました
ルシアは司祭たちから何度も厳しい尋問を受けています
聖母のメッセージの中でまだ明かしてはならない秘密の部分がありましたから、ルシアが尋問に対して答えられない場面が何度もありました
ルシアは司祭たちの尋問の厳しさをいつも経験し、神と聖母にどうしたらよいか何度も祈って訴えています
司祭の中には脅迫や嘘や侮辱によってルシアから秘密を聞き出そうとする人もいました
ルシアにとって司祭と話をすることが神に捧げる最も大きな犠牲の一つであることもたびたびでした
もちろん、例外もありました
カノン・フォルミガオ神父やファウスティノ・ヤチント・フェレイラ神父などがそうです
フェレイラ神父は賢明で親切な助言者、真の霊的指導者でした

1919年4月フランシスコの死が訪れ、ルシアは非常に悲しみ、寂しさを感じます
この悲しさはこれ以後の長い年月の間ルシアの心を貫く茨の冠であったと彼女は述べています
ジャシンタの項でものべましたが、フランシスコの死の3ヶ月後に今度はジャシンタがヴィラ・ノヴァ・デ・オウレムの病院に入院することになり、ルシアはまた辛い別れを経験します
ジャシンタが入院していたこの3ヶ月の間にたったの2度短い訪問をしただけでした
ルシアには不幸が積み重なってきます
1919年7月31日に頑健であった父アントニオが肺炎で急死します
いつもルシアを理解し、ルシアの味方になってくれていた父を失ってルシアは死んだ方がよいと思うほどに悲しみました
聖母にたくさん苦しまなければならないと言われていたものの、このような悲しみが襲うとは思いもよらないことでした
しかし、ルシアはこの苦しみをマリアの汚れなき御心に対して犯された罪の償いとして、また教皇のため、罪人たちの回心のために捧げます
アントニオはあまり熱心な信者ではありませんでしたが、亡くなる前に神との和解である告解の秘蹟を受けていたことがせめてもの慰めでした
1919年にはルシアの悲しみはまだ続きます
冬に母マリア・ロサが病に倒れます
心臓疾患によるひどい咳で死にそうになります
子どもたちが母の周りに集まって彼女から最後の祝福を受けました
皆泣きました
姉の一人がルシアに「あなたが巻き起こしたごたごたで母さんは悲しんで死んで行くのだわ」と言って責めます
ルシアは悲しくなって跪いて祈り、その苦しみを主に捧げました
別の二人の姉がルシアのところに来て、母の状態が絶望的だと考え、ルシアにこう頼みます
「ルシア、あなたがもし本当に聖母を見たのならば、いますぐコヴァ・ダ・イリアまで行ってお母さんを癒してくださるようマリア様にお願いして来て」ルシアは直ぐに出かけ、道々ロザリオを唱えながら、抜け道を通り野原を横切ってコヴァ・ダ・イリアまで急ぎました
そこで、聖母に涙ながらに母の癒しを願いました
聖母はきっと自分の祈りを聞き入れて母の健康を回復してくださるという希望に慰められてルシアは帰途につきました
帰宅すると、母の気分は幾分よくなっていました
ルシアは聖母に願いを聞き入れてくださったら、姉たちと一緒に9日間コヴァ・ダ・イリアに行き、ロザリオを唱え、道路からウバメガシのところまで膝で歩いて行く苦行をし、9日目に9人の貧しい子どもたちを家に招いて食事を出す約束をしました
ルシアがしたこの苦行は今日でもファチマの巡礼者たちの間に見られるものです

1920年2月20日にはリスボンの病院で聖母の預言どおりにジャシンタが一人ぽっちで亡くなりました
ルシアはリスボンへは一度も見舞いに行けませんでした
ジャシンタの遺体はヴィラ・ノヴァ・デ・オウレムに葬られました
オリンピアに連れられてお墓参りに行きましたが、ルシアの悲しみはいやましに深くなりました

フォルミガオ神父は1917年10月13日以来、子どもたちをファチマから離した方がよいと考えていました
今やルシアは13歳の思春期の少女です
神父は彼女が寄宿舎のある学校に入ることをマリア・ロサに勧めます
最初、渋っていた母も神父の説得によって承諾し、リスボンに行く決心をします
フォルミガオ神父の紹介で親切な婦人−ドーニャ・アスンサオ・アヴェラル−がルシアを経済的に援助してくれることになりました
このようにして1920年7月7日にルシアは母と一緒にリスボンに行きました
母のマリア・ロサは悪かった腎臓の手術を医師に相談しますが、彼女には余病もあったので医師は責任を持てないと言い、結局手術をせずに、ルシアをアヴェラル女史に委ねてファチマに帰りました
ルシアはしばらくこの婦人の家にいましたが、行政当局がルシアの居所を探していることがわかり、8月6日にサンタレムのフォルミガオ神父のところにかくまわれます
1920年7月25日にレイリア教区に新たにダ・シルヴァ司教が叙階されました
フォルミガオ神父と相談してダ・シルヴァ司教自身がポルトの近くのヴィラルにあるドロテア姉妹会の学院をルシアのために選びました
1921年6月13日、ルシアはある婦人に連れられて司教館に行き、初めてダ・シルヴァ司教に会います
司教はルシアに対してとても親切で、彼女を正当に遇してくれました
マリア・ロサとの相談もなされて、ルシアの出発は6月16日と決まりました
ルシアは大急ぎでファチマに帰って身の回りのものを整え、懐かしい場所に別れを告げなければなりませんでした
しかし、司教との約束で、ファチマの親しい人々と別れの挨拶をすることは許されませんでした
ですから、ルシアは友人や親戚の者に一言も彼女の落ち着き先について語ることができませんでした
彼女は出発の前に、懐かしい場所、カベソ、ヴァリニョス、井戸、教区の聖堂などに別れを告げ、もう来ることはないだろうと思って胸が締め付けられました
このようにして、ルシアは1921年6月15日にひっそりとファチマに別れを告げたのでした
翌6月16日、ルシアは朝2時に起き、母マリア・ロサとレイリアまで出かける労働者のマヌエル・コレイラと一緒に、誰にも別れを告げずに、家を出ました
彼らはコヴァ・ダ・イリアを通って行きましたので、ルシアは最後の別れをこの尊い場所に告げることができました
シスター・ルシアの手記には書いてありませんが、彼女が後に1946年5月にファチマに巡礼したときにガランバ神父に語ったところによれば、このとき、聖母が無言のままルシアに御出現になったそうです
朝9時頃レイリアに着いたルシアと母親はレイリアの司教館に行きます
そのときに、ダ・シルヴァ司教はルシアにもう一度、これからは自分が何者であるかを人に告げてはならない、ファチマの御出現に関してもいっさい他言してはならない、という勧告をしました
ルシアはパトロンとなるドーニャ・フィロメナ・ミランダ−この人はルシアの堅信の秘蹟の代母となった人です−とレイリアの駅からポルトの近くのヴィラルに行く汽車に乗ります
駅で母と涙の別れをしました
6月17日朝早く、ドーニャ・フィロメナはルシアをアシロ・デ・ヴィラルのドロテア会の学院へ連れて行きます
ミサに与り、聖体拝領をした後で、院長のマザー・マリア・ダス・ドーレス・マガリャエスに紹介されます
彼女はルシアに司教と同じように、身元を明かさないようにという強い勧告をします
ルシアはこれからはマリア・ダス・ドーレスと名乗り、リスボンの近くの出身であると他人に言わなければなりません
14歳のルシアはこのようにして、世間から隠れて学院の寄宿生として勉学に励むことになりました

1923年から1924年にかけてルシアはカルメル会入会を強く望んでいました
幼きイエズスのテレジアが列聖されたばかりのことで、多くの女性がカルメル会に惹きつけられていたときで、ルシアもそうした女性の一人でした
しかし、1917年10月13日の聖母の御出現のときに、ルシアがカルメル会の修道服を着、スカプラリオを手にした聖母を見たことも関係があるのかも知れません
ルシアはおそるおそる院長にこの希望を打ち明けますが、一言のもとに退けられます
院長の意見ではカルメル会はルシアには会則が厳格すぎる、もっと単純な会則のところを選んだ方がよいというものでした
その後ルシアはドロテア会のシスターになる望みをマザー・マガリャエスに申し出ます
院長はまだ17歳で若すぎる、もう少し待ちなさいと言います
ルシアは沈黙と従順のうちに1年以上待ちます
18歳になったとき、院長がまだ修道女になることを考えているかと聞いたとき、ルシアはずっとそのことを考えてきた、修道女になりたいと言いました
このようにしてルシアは1925年8月24日堅信の秘蹟を受けました
そしてドロテア会入会志願者となりました
ダ・シルヴァ司教は修道会の修練院のあるトゥイへ出発する許可を喜んでルシアに与えました

10月24日学院でのお別れの会が開かれました
このとき身元を隠していたルシアの素性が明かされました
学院の少女たちは感動と涙でルシアにさようならを言いました
ルシアは管区長のマザー・モンファリムに伴われて、国境の近くのスペインの古い町トゥイへ向かう汽車に乗りました
このようにして少女ルシアはシスター・マリア・ルシア・デ・ヘスス・サントスになったのです
ルシアの喜びはどんなに大きかったことでしょう!

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ファチマに関して日本語で読める書物を数点紹介します

*矢代静一(文)・菅井日人(写真):奇蹟の聖地ファチマ、講談社
*菅井日人:聖母マリアの奇蹟 −メジュゴリエ/ファチマ/ルルド−、グラフィック社
*ヴィットリオ・ガバッソ、志村辰弥(共訳編):現代の危機を告げるファチマの聖母の啓示、ドン・ボスコ社
*渡辺吉徳(編訳):ファチマのロザリオの聖母、ドン・ボスコ社
*アントニオ・アウグスト・ボレッリ・マシャド著、特別寄稿 プリニオ・コヘイア・オリヴェイラ、成相明人訳:ファチマの聖母 そのメッセージは希望の預言か? 悲劇の預言か? 『フマネ・ヴィテ』研究会

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
作成日:97/11/04
最終更新日:98/02/20




戻り


===5===============

:マリアの汚れなき御心と霊魂の救い

http://www.d-b.ne.jp/mikami/fatima3.htm

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
目次

マリアの汚れなき御心と霊魂の救い

ポンテヴェドラ:1925年12月10日(木曜日)−5ヶ月の初土曜日の信心−

大いなる約束と6つの条件

トゥイ:1930年5月29日-30日の啓示

マリアの汚れなき御心と世界の救い
第二の秘密

世界平和のための条件

神の懲罰としての戦争
マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献
ロシアの誤謬と共産主義の悪
ロシアの奉献−1929年6月13日(火)トゥイの啓示−
彼らは私の要求を顧みることを望まなかった!

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
マリアの汚れなき御心と霊魂の救い
ポンテヴェドラ:1925年12月10日(木曜日)−5ヶ月の初土曜日の信心−

ルシアはポンテヴェドラのドロテア会修道院に志願者として1925年10月25日から1926年7月20日までいました
1925年12月10日木曜日の夕方、18歳の志願者ルシアに聖母マリアと幼子イエズスが御出現になりました
そのときの様子はルシアの証言によれば、次の通りです
聖母が御出現になり、彼女の横に輝く雲の上に高められて幼子イエズスがいらっしゃいました
聖母はルシアの肩の上に手を置かれ、棘によって取り巻かれた彼女の御心を片方の手に持たれて、それをルシアに示されました
そのとき、幼子イエズスがこう言われました

「あなたのいと聖なる御母の御心に同情しなさい
それは棘「いばら」で覆われています
恩知らずの人々はその棘で御心をいつも突き刺しています
そしてそれらの棘を取り除くために誰一人償いの業をしません」

次ぎに聖母がこう言われました

「私の娘よ、私の御心を見なさい
それは棘で取り巻かれています
その棘で恩知らずの人々は冒涜と忘恩によって絶えず私の御心を突き刺しています
少なくともあなたは私を慰めるよう努めてください
そして私の名において次のことを告げ知らせてください
私は、償いをするという意向をもって引き続き5ヶ月の間初土曜日に告悔をし、御聖体を受け、ロザリオ5連を唱え、ロザリオの15の玄義を黙想しながら15分間私と共にいるすべての人に、救いのために必要なすべての恵みをもって臨終のときに助けることを約束します」

ルシアはこの御出現とメッセージを直ぐに院長のマザー・マガリャエスに告げ、またポンテヴェドラ修道院の霊的指導司祭ドン・リノ・ガルシア神父にも報告しました
彼はルシアに後で必要になるかもしれないから、すべて書き留めておくように命じました
ルシアはこの出来事の詳細な説明をアシロ・デ・ヴィラルから来ている霊的指導司祭、ペレイラ・ロペス師のために書きました
12月29日に院長のマザー・マガリャエスはダ・シルヴァ司教に御出現の件を報告していますが、あまり正確ではなかったようです
ペレイラ・ロペス師はルシアに返事の手紙を出しました
その中で彼は留保を表明し、質問をし、待つように勧めました
2月15日にルシアは質問に答え、出来事の詳細な説明をする手紙をロペス師に送りました

この手紙の中でルシアはロペス師に、聖体拝領の際にイエズスに対してロペス師の手紙を読んであげ、こう申し上げた、と書いています
「おお、私のイエズスよ、あなたの恵みによって、祈り、苦行、信頼をもって私は従順が私に許し、そしてあなたが私に霊感をお与えになるすべてのことをなそうと思います
そのほかのことはあなたが御自身でなさらなければなりません」と
数ヶ月前に一人の子どもに出会った同じ場所で、ルシアはゴミを捨てに行った際に、またその子どもに出会います
以前に会ったときにルシアはその子に「めでたし」を一緒に唱え、「おお、天にいます私の御母よ、私にあなたの御子イエズスを与えて下さい」という祈りを教えたのでした
そしてこの日またその子どもに会ったので、「あなたは天の御母に御子イエズスを求めましたか?」と訊ねますと、その子どもは「あなたは、天の御母があなたに求められたことを世界に明らかにしましたか?」と言いながら、光輝く子どもに変りました
それで、ルシアはその子どもがイエズスであることが分かりこう言いました
「私のイエズス!あなたは読んでさしあげた手紙の中で私の霊的指導司祭が言われたことをご存じです
彼はこの幻視は繰り返されなければならない、私たちにそれを信じさせる事実がなければならない、そして院長様だけではこの信心を広めることはできない、と言われました」それに対してイエズスはこう答えられました

「院長一人だけでは何もすることができないことは確かです
しかし、私の恵みがあれば、彼女は何でもできます
あなたの霊的指導司祭があなたに許可を与えること、あなたの上長がそのことのためにこれを告知することが必要です
それが誰に明らかにされたかを人々が知らなくても、人々によって信じられるようになるためです」

「しかし、私の霊的指導司祭はその手紙の中で、この信心はすでに世間に存在すると言われました
と申しますのは、多くの霊魂は聖母の栄光のために毎月初めの土曜日に御聖体を受け、ロザリオの15玄義を唱えていますから」

「私の娘よ、多くの霊魂が始めていることは確かです
しかしほとんどの人は最後までやり通しません
そしてやり通す人は約束された恵みを受けるためにやり通すのです
熱心に5ヶ月の初土曜日の信心をする霊魂、あなたがたの天の御母の御心に対する償いをする霊魂は15連のロザリオを唱えるが、しかし生ぬるい、どうでもよい仕方でそうする霊魂よりもずっと私を喜ばせます」

「私のイエズス!多くの霊魂は土曜日に告悔するのを難しいと感じています
8日以内にする告悔を有効だと認めてくださいますか?」

「初土曜日に御聖体を拝領するときに恩寵の状態にあり、そしてマリアの汚れなき御心に対する償いをする意向を持っているならば、それ以後でも告悔の秘蹟を受けることができます」

「私のイエズス!ではこの意向を入れることを忘れた人はどうでしょうか?」

「告悔に行く最初の機会を利用して次の告悔のときにその意向を入れることができます」

イエズスとルシアの会話はこれで終わり、イエズスはルシアの前から姿を消されました

−−−
大いなる約束と6つの条件

聖母マリアの汚れなき御心に対する信心は人間にとって最も大切な永遠の救いが成就されるか否かを決定する臨終に際しての決定的な援助を約束しています
これには5つの条件とこの5つの条件を満たす際に必要な一般的意向が要求されます

1)5ヶ月続けて初土曜日にミサに与ること

初土曜日の信心はそれ以前からも行われていましたが、初めのうちは15ヶ月続けて行うことが一般的でした
1889年には教皇レオ13世はこの信心を実行する人に全贖宥という特権を与えました
聖ピオ10世は12ヶ月の初土曜日の信心を公式に認め、それを実行する人に全贖宥を与えています
条件は告悔、聖体拝領、教皇の意向のための祈り、でした
1912年6月13日に同じピオ10世はポンテヴェドラを予告するかのように、「神の御母、汚れなきマリアに対する信者の信心を促進し、不敬虔な人々によってマリアの御名と特権に対して犯された侮辱に対する償いをするために、初土曜日の信心に対して全贖宥を認め、これを煉獄の霊魂にも適用できるとされました
条件は告悔、聖体拝領、教皇の意向のための祈り、汚れなきおとめを称えて償いの精神で敬虔に信心を行うことでした」1920年11月13日教皇ベネディクト15世は8ヶ月の初土曜日信心に対して新しい贖宥を与えることを認めました
このような伝統を持つマリア信心を私たち弱い人間にもっと容易なものとすることをポンテヴェドラで聖母は約束なさったのです

2)その間毎月一度告悔の秘蹟を受けること

イエズスがルシアにお答えになったように、告悔は初土曜日当日にしなければならないわけではありません
もちろん、初土曜日になるべく近い日にすることが勧められますが、毎月1回告悔の秘蹟を受ければよいのです

3)償いの聖体拝領をすること

償いの聖体拝領は償いの信心の中で最も重要なものです
フレール・ミッシェルはその意味と重大さを理解するためには1916年秋の天使による三人の子どもたちの聖体拝領を考えるべきだと言っています
また、パレ・ル・モニアルでの聖心によって要求された9ヶ月の初金曜日での聖体拝領との関連も考えられます
土曜日にミサに与り、聖体拝領ができない場合には、司祭の許可を得るという条件で(個人が勝手に決めてはならない)、日曜日に代えることができます

4)毎日ロザリオの祈りを唱えること

1917年の御出現では毎回聖母は毎日ロザリオを唱えることを人々にお求めになりました
これはマリアの汚れなき御心に対して犯される侮辱に対する償いのためです

5)ロザリオの15玄義を15分間黙想すること

ロザリオを唱えることに加えて、聖母はロザリオの15の玄義を15分間黙想することを求めておられます
これは1玄義を15分間ずつというのではなく、全部で15分間ということですから、簡単にできることです

6)マリアの汚れなき御心の侮辱に対する償いという意向を入れること

この一般的な意向がないならば、上に挙げた5つの行いは無意味になります
聖母が示された棘に取り巻かれた汚れなき御心は罪人たちの冒涜と忘恩が棘のように聖母の御心を苦しめていることを示しています
聖母の御心を慰めるということは私たちの愛と償いの行為によって聖母の御心からそれらの棘を取る去ることを意味しています

−−−
トゥイ:1930年5月29日-30日の啓示

シスター・ルシアはこのときトゥイの修道院にいました
彼女の霊的指導司祭ゴンサルヴェス神父は書面でいくつかの質問を彼女にしましたが、その四つ目の質問は次のようなものでした
「聖母の悲しみを称えるために、なぜ5回の初土曜日なのですか、なぜ9回あるいは7回ではないのですか?」その同じ夜、シスター・ルシアは主に、この質問に対する答えを願いました
この日の夜、いつものように聖時間の祈りをしているときに、この点に関して主から次の啓示を受けました

「わが娘よ、その答えは簡単です
マリアの汚れなき御心に対して犯される5種類の罪と冒涜があります

1.汚れなき御孕りを否定する冒涜
2.聖母の処女性を否定する冒涜
3.聖母が神の御母であることを否定する冒涜
同時に聖母が人々の御母であることを拒否する冒涜
4.子どもたちの心の中にこの汚れなき御母に対する無関心あるいは軽蔑、あるいは憎しみをさえ植えつけることをねらう人々の冒涜
5.聖母の御像や御絵において聖母を直接侮辱する人々の罪

ここに、わが娘よ、マリアの汚れなき御心がこの小さな償いの業を私に思いつかせた理由があります」

−−−
マリアの汚れなき御心と世界の救い

第二の秘密

1917年7月13日金曜日に三人の子どもたちに地獄を見せた後聖母は次のように言われました

−あなたがたは哀れな罪人たちが行く地獄を見ました
彼らを救うために、神は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます−

これは第一の秘密の結論に相当する部分です
聖母は続いて第二の秘密を明らかにされました
第一の秘密が個人の救いに焦点を当てているのに対して、この第二の秘密は民族と教会の運命に関わって語られています
現代世界の平和が問題とされています
平和は人間が神に背くとき人間に与えられないということを聖母は告げておられます

−私があなたがたに言っていることがなされるならば、多くの霊魂が救われ、平和が来るでしょう
戦争は終わるでしょう
しかし、人々が神に背くことを止めないならば、ピオ十一世の御代の間にもっとひどい戦争が起こるでしょう
未知の光によって照らされる夜を見るとき、これが神によってあなたがたに与えられる大きなしるしであるということを知りなさい
神は戦争、飢饉、教会と教皇の迫害によって世界をその罪のために罰しようとしておられるのです−

−このことを避けるために、私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために来るでしょう
もし私の要求が顧みられるならば、ロシアは回心し、平和が来るでしょう
もしそうでないならば、ロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう
善い人々は殉教し、教皇は多く苦しみを受け、さまざまの民族が絶滅させられるでしょう−

ここで問題になっていることは、個人の霊魂の救いではなくて、民族の戦争あるいは平和、教会の自由あるいは平和です
聖母のこの第二の秘密の主題はキリスト教世界の救いだと言えるでしょう
第二の秘密を正確に理解するためには、私たちは聖母の「神は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます」という言葉に常に立ち帰らなければなりません
神の大いなる御計画はすべての霊魂によってばかりでなく、すべての民族によって聖母の汚れなき御心が愛され、称賛され、栄光を帰されることです
神はこの聖母の汚れなき御心にキリスト教世界の上に比類のない恵みの宝を注ぐことをお委ねになりました
神が望まれたことはキリスト教世界が聖母を単に私的にだけでなく、公的に荘厳に崇敬することでした
「世界の中に聖母の汚れなき御心の信心を打ち立てること」は個人の心の中の問題にとどまるのではなくて、公的な教会の、世界の問題です
ジャシンタが入院するためにリスボンに行く前にルシアに語った次の言葉はこのことを非常によく説明しています
「..私が天国へ行くのはそれほど先のことではないでしょう
あなたは神が聖母マリアの汚れなき御心に対する世界の信心を確立することを望んでおられるということを人々に知らせるために地上に残るでしょう
このことをあなたが言わなければならないとき、隠してはいけません
神は聖母マリアの汚れなき御心を通じて恵みを私たちにお与えになりますから、彼らがその恵みを聖母にお願いしなければならないということをすべての人に告げてください
そしてイエズスの聖心は聖母マリアの汚れなき御心がイエズスの側で崇敬されることを望んでおられるということを知らせてください
そして人々にまた平和のために聖母マリアの汚れなき御心に祈るように告げてください
なぜなら、神は平和を聖母に委ねられたからです」

−−−
世界平和のための条件

1917年7月13日に、聖母は3人の子どもたちに平和の条件についてこう述べられました
「世界のために平和を得、戦争を終わらせるために、ロザリオの聖母をたたえて毎日ロザリオの祈りを続けることを私は望んでいます
なぜなら、ただロザリオの聖母だけがあなたがたを助けることができるからです」ロザリオを毎日祈るようにという招きを聖母は御出現の度に繰り返されました
世の人々は行動しなければお祈りしても無駄である、と言いますが、聖母はまずロザリオを祈りなさいとわたしたちに勧めておられます
現在もこの聖母の招きは真実だと思います
シスター・ルシアはこのことの緊急性を絶えず強調しています

聖母はロザリオの祈りの他に、すでに述べた「5ヶ月の初土曜日の信心」を1925年にポンテ・ヴェドラで、そして1929年に後に述べる「聖母マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献」をトゥイで、シスター・ルシアに要求されました
この三つの条件が神がマリアを通して世界に示された平和の条件です
「私があなたがたに言っていることがなされるならば、多くの霊魂が救われ、平和が来るでしょう
戦争は終わるでしょう」1917年7月の時点で言われたこの預言は、第一次世界大戦の終結を予告したものです
すでに1914年7月に始まっていたこの戦争(オーストリア・ドイツ・トルコ・ブルガリアの同盟国側2400万とセルビア・イギリス・フランス・ロシア・イタリア・ベルギー・日本・アメリカ・中国・ルーマニアなど連合国側4300万が戦ったヨーロッパを中心とした大戦争)は丸3年経ってもまだいつ終わるかその行方がわからなかったときに、聖母はその終結を予告されたのです

聖母がおっしゃっている平和は聖母が「平和の元后(女王)」(Regina Pacis)として世界にお与えになる「キリスト教的平和」(Pax Christiana)であって、「世が与えることが出来ない平和」(illam,quam mundus dare non potest, pacem)です
しかし、第一次世界大戦の終結(1918年11月)の後、世界の平和は長続きしませんでした
すでに第一次大戦の最中、1917年11月7日(ロシア暦10月25日)にロシアではレーニンの率いるボルシェヴィキがケレンスキー臨時政府を倒してソヴィエト政府を樹立する共産主義の支配を始めていました
しかし、共産主義の悪が世界に拡がる前に、世界は第一次世界大戦をはるかに上回る恐るべき第二次世界大戦を経験しなければなりませんでした
ドイツのナチズム、イタリアのファシズム、日本のウルトラ・ナショナリズムという全体主義的・無神論的国家主義による世界再分割の要求貫徹のための侵略戦争という形を取ったと思います
世界の人々は聖母の忠告を無視して神に背くことを止めなかったわけです
神との平和のないところに人間の平和はあり得ないということは、現在もいっこうに変わっていないのではないでしょうか

−−−
神の懲罰としての戦争

現代の人々は、神を信じる人も含めて、神の懲罰ということを信じたがりません
ですから、ファチマの聖母が次のように言われるとき、反発したり無視したりします
何度も引用していますが、聖母は1917年7月13日ルシアにはっきりとこう言われたのです
そしてこの預言通りのことが起こりました

「しかし、人々が神に背くことを止めないならば、ピオ十一世の御代の間にもっとひどい戦争が起こるでしょう
未知の光によって照らされる夜を見るとき、これが神によってあなたがたに与えられる大きなしるしであるということを知りなさい
神は戦争、飢饉、教会と教皇の迫害によって世界をその罪のために罰しようとしておられるのです」

ピオ十一世の教皇在任期間は1922年から1939年です
1931年日本は中国侵略を開始し、日華事変を引き起こし、1933年にはヒットラーが再軍備に着手、イタリアは1935年エチオピアを侵略、1938年3月ドイツがオーストリアを併合、39年8月にポーランドに要求提出、聖母の預言通りに実質的に第二次世界大戦が開始されていました

聖母が預言された「未知の光によって照らされる夜」は1938年1月25日の夜から26日の朝がたにかけてヨーロッパ・北アフリカの空に展開されました
それは専門家が「北極光」(aurora borealis)と呼んだ異常な輝きのことです
1938年1月26日のリヨンの新聞Nouvelliste de Lyonはそれを次のように報じています

「昨夜、西ヨーロッパの空を異常な大きさの北極光が波打った
それは多くの部局で大騒動を引き起こしたが、最初はそれが大火事だと信じた
...アルプス地方全域において、多くの人々はこの不思議な光景に非常な興味をそそられた
空は非常に強烈な鮮血色の輝きを発しながら移動する一つの巨大な炉のように燃え立たせられていた
炉の縁はあたかも太陽がまさに昇ろうとしているかのように、白色であった
それは明らかに北極光であったが、しかし、グルノーブル大学理学部のペルス教授によれば、一つの例外的に巨大な北極光であった」

『フランス天文学協会ブレティン、天文学、気象学、地球物理学月刊誌』は50ページにわたる特集でこの現象を次のように報告しています

「例外的な美しさをもった北極光が1938年1月25日火曜日の夕方から26日水曜日の朝にかけてフランス、そしてヨーロッパのほとんどすべての国々において見ることが出来た
スイス、イギリスそして同様に西部、南西部、プロヴァンスに至る南東部地域、そしてさらに南部、イタリアやポルトガル、シシリー、ジブラルタル、そして北アフリカにおいてさえ、この現象はこれらの地域の緯度にしては例外的な強度を示した

天気は曇りだった
そして夕暮れ頃にはすこし霧雨になった
太陽は一日中見ることができなかった
しかし今、日没後2時間以上たって、雲がなくなり晴れた
北東、北、そして北西の地平線は、夜明けが再び一面に始まるかのように、明るくなった
実用的な目的からはそれは夜明けであった
しかし、不思議な光をもった夜の曙である
それは北極光である

青白い、美しい、青緑の光が北東から北西の空に展開している
徐々に上方へと空が深紅色に変わり、そして不規則的な赤い弧が現れる
紫色に染められた雲の一種が北東に圧縮し、それからあたかも一つの神秘的な息によって吹き払われたかのように、北西の方向へと移動して行く
それは積み重なり、波のようにうねり、消え、そしてまた現れる
一方、その色が真っ赤な色からだいだい色にそして黄色に変わって行く巨大な光線は星を覆いながら、天頂にまで登って行く
その光景は、消えたり現れたりしながら、光の振動で変化し、生き物のようで、心を奪うものである

通りではパニックが起こっている
『パリが火事だ!』地方のいくつもの村では消防隊が動員されている
...巨大な深紅の光が空いっぱいに拡がっていた」

同じ雑誌はフランスと外国の特派員からの多くの報告を載せています

アルプス・ピック・デュ・ミディの観測所で:
「この珍しいオーロラはピック・デュ・ミディ観測所で観測された最初のものであった
それはこの緯度としては非常に稀な現象である
...最初の印象は一つの巨大な火災のそれであった...」

メーヌ・エ・ロワールのラ・シャペル・サン・ローで、10歳になる生徒の記録:
「昨晩は一つの大きな雲があった
それは血で染めた紙のようだった
それからその雲は大きくなった
それは大きな赤い糸の列になり、上の方へ上がって行った
その下にチョークの線のような白い糸の列が現れた」

オワーズで、アンリ・ブラン氏:
「最初、それは巨大な地獄の気味の悪い反射だと思われた
...この現象の変則と強度に打たれて村人たちの多くは彼らの家の窓枠から幾分神経質になって観察した
...これらの赤い色の輝きが見られ、また消えた
そして後でかなり長い時間が経って再び現れた
...これらの光り輝く現象はときどき非常に空高く上がり、そして色、輝きにおいてそれらは一つの猛烈な近くの地獄の非常に生々しい反射にまったく比較され得るものであった
...この例外的な天空の光景の強烈さ、その素晴らしい輝き、その巨大な範囲、特にわれわれの地域におけるこの強度で[見られることが]非常に稀であること、一年のうちでこの季節に見られることはさらにもっと稀であることなどは、直ちに社会に教えるべき価値があるとわれわれには思われる...」

ピカルディーで:
「5時15分に私は北北西の方向に、私が最初遠くにある地獄の結果であると考えた一つの赤熱に気づいた
...10分後に大きな紫色の点がオリオンの方へまっすぐに私たちの頭上を越えて拡がって行った
次ぎに他のもっと小さい、もっと青白い点が現れ、そして消えて行った
しばらく後に、燃える空が私たちの顔に反射した
私の側でその現象に賛嘆していた妻が、私には非現実的に思われる赤い反射の中で私に現れた
7時45分に、赤い輝きはその最高の強度に達した
ほとんど空全体が火事になっているように見えた
第二の[天にできた]ひだは素早く燃え上がった
その輝きは私が腕時計を見て時間を言うことができるほどの明るさだった
その光景は並外れていた
ニュースを求めて私の側にやって来た一人の農夫は非常に真剣に、それは世の終わりを告げていると信じた
...明らかにこの常ならぬオーロラによって頭がおかしくなった雄鳥が日の出であるかのようにときをつくり始めた!」

カーンの小神学校で:
生徒たちは寄宿舎から「大きな赤いシーツ」を見た
「そのシーツを通していくつかの星を見ることができた」

ヴォークリューズのある証人は同じ表現を使っている:
「空に非常に大きい赤いシーツを見て私は驚いた
しばらくの間それは周辺の地域のどこかでの火事であると私には思われた
その燃える光が雲に反射していた
...私はその現象が続いている間村と周辺の地域の犬どもが吠え始めたことに気がついた
彼らは10時半頃まで吠えるのをやめなかった」

北アフリカからの証言:
「このオーロラはチュニジアのほとんどすべての場所から見ることができた
それは、同様なものが1891年以来報告されたことがなかったから、一つの非常に稀な現象である
...一般に、それは巨大な赤い色あるいは桃色の光のように見え、多かれ少なかれ白い縞が入っていた
...非常に驚いた土地の人々はその中に神の怒りの警告を見た
ヨーロッパ人たちはそれは一つの巨大な遠くの火事であると考えた

この現象それ自体は超自然的な奇跡ではなく、単に「一つの例外的な自然現象」に過ぎませんが、しかし、それは前もって予告されたものであり、神が世界をその罪のために罰しようとしておられる「しるし」として神によって与えられたものだと理解されるのです
現象自体が客観的に意味を持っているというのではなく、その現象に神は一つの意味をお与えになったと考えることができます
この現象の直後にシスター・ルシアは司教、カノン・ガランバ、修道会の上長、聴罪司祭たちにこの現象の超自然的、預言的な意味を説明しました
しかし、教会の司牧者たちはシスター・ルシアがこの自然現象における神の意志の意味を説明したことを無視して、信徒たちにそのことを明らかにしませんでした
「人々が神に背くことをやめ」て痛悔し、回心するようにという天の要求は聞き入れられず、世界は戦争、それも史上最大、最悪の戦争になだれ込んで行きました

1946年にジョンゲン神父がシスター・ルシアになぜ戦争前にこのことを公表しなかったのか?と問うた時、それに対して彼女は「誰もそのことを私に求めなかったからです」と答えています
シスター・ルシアが預言者のように、完全に独立して行動することを意図して、彼女の上長の同意なしに、彼女自身の権威に基づいて秘密を明らかにするということは神の御意志ではなかったのです
神の御意志はシスター・ルシアの上長、聴罪司祭や司教たちが協力することを通して聖母マリアの秘密が世界に公表されることでした
ですから、戦争が終わってから公表された秘密の責任をシスター・ルシアに負わせることはできませんし、ましてシスター・ルシアが事が起こった後になってそれを秘密の内容としてでっちあげたというダニス神父の主張はとんでもない誤解です

フレール・ミッシェルによれば、ファチマにおいて神が第一に目的とされたことは、人々に直接的に、そして民主的に、彼らに回心するように警告を発することではありませんでした
シスター・ルシアが自分のイニシャティヴで秘密の預言を公表したのであれば、そうだったでしょう
そうではありませんでした
神の御計画はそれとはまったく異なっていました
神はマリアの汚れなき御心への信心を通じて世界を救うことを望まれました
しかし、神はまたカトリック教会の司牧者たちがその神的な権威を用いてその信心を荘厳に確立することをも望まれたのです
シスター・ルシアが1917年に聖母から託された秘密を教会の上長たちに知らせて、彼らを通して時期が来れば世界へ、信徒たちへ公表されることを願って、自ら公表することをしなかったのは、神の御意志に忠実であった証拠です

1941年8月31日に書かれた第三の手記においてシスター・ルシアは懲罰を告知する大いなるしるしの後に彼女が経験した不安な期待の数ヶ月について彼女の司教に思い起こさせました

「そうであると思いますが、(この天空の現象の正確な本性に関して)神は、その正義が罪ある国々をまさに打とうとしているということを私に理解させるためにこのことを利用されました
この理由で、私は初土曜日の償いの聖体拝領とロシアの奉献をしつこく懇願し始めました
私の意図は全世界のためばかりでなく、特にヨーロッパのために憐れみと赦しを得ることでした
...
神がその無限の御憐れみにおいて、恐るべき瞬間が近づいたということを私に感じさせられたとき、猊下は、機会が提供されるときにはいつでも、私がどのようにそれを指摘する機会を捉えたかを思い起こしてくださるでしょう」

ところで、1904年3月30日、ポルトガルのポルトの北にある小さな村バラザルに生まれたアレクサンドリナ・マリア・ダ・コスタは1955年10月13日に亡くなるまで多くのカリスマや神秘的な恵みを受けて聖なる生活を送り、1967年1月14日ブラガで列聖調査が行われ、1973年4月14日にはその調査が成功裡に終わりました
このアレクサンドリナに、1935年8月1日、主が御出現になって、教皇に手紙を書いて、世界をマリアの汚れなき御心に奉献するように求めなさいと次のようにおっしゃいました
「かつて私は私の聖心に人類を奉献するように求めた
今、私は私のいとも聖なる御母の汚れなき御心に人類を奉献するように求める」彼女の聴罪司祭のイエズス会士ピニョ神父は1936年9月11日にパチェッリ枢機卿に手紙を出しました
枢機卿は聖座にアレクサンドリナの調査を命じ、1937年にブラガの大司教にさらに彼女についての情報を提供するよう求めました
1938年6月にファチマに黙想のために集まった(この時司教たちに説教したのはピニョ神父でした)司教たちは、ダ・シルヴァ司教が教皇に聖母マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献の願いを出してすでに1年を経過しても何の返事も貰えなかったので、今度はポルトガルの司教たちの連名で、聖マリアの汚れなき御心への世界の奉献の要求を教皇に対して送りました
ポルトガルにおけるマリアの汚れなき御心によって働かれたきわだった平和の奇跡に教皇の注意を喚起しようとしてのことでした

教皇ピオ十一世はこのポルトガルの司教団の要求に沈黙を守りました
カレイェイラ枢機卿が1967年に証言したところによれば、レイリアの司教には戦争の7ヶ月前に戦争が切迫していること、その暴力と範囲が伝えられていました
1939年2月6日付けのシスター・ルシアの手紙には、「聖母によって予告された戦争」が切迫していること、「ポルトガル司教団によってなされたマリアの汚れなき御心への奉献のおかげで」ポルトガルには聖母の御保護が約束されていることが述べられていたようです
また、次のように書かれていたと言われています

「主たる懲罰は霊魂たちにおける神の国を破壊しようとした国々に対する懲罰でしょう
ポルトガルも同様に罪があり、懲罰のあるものを受けるでしょう
しかし、マリアの汚れなき御心がポルトガルを護るでしょう
よき主はポルトガルが償いをなし、自らと他の国々のために祈ることを求めておられます
スペインは罰せられるべき最初の国でした
スペインはまだ終わっていないその懲罰を受けました
そして他の国々に対する懲罰の時が迫っています
神は霊魂たちにおける神の国を破壊しようと欲するすべての国々をその血において純化することを決断なさいました
にもかかわらず、神は、もし人々が祈りそして痛悔するならば、怒りを和らげ、赦しを与えると約束なさいました」

この手紙が書かれて数日後、1939年2月10日教皇ピオ十一世は亡くなられました

シスター・ルシアは1939年3月(あるいは5月)に、主から次のメッセージを受け取りました

「初土曜日にマリアの汚れなき御心を讃えて償いの聖体拝領が広められらることを願い、しつこく願いなさい
私の正義の厳正さがさまざまの国々の罪を罰する時が来ている
それらのうちのあるものは絶滅させられるであろう
遂に霊魂たちにおける私の支配を破壊しようとする者たちの上に私の正義の厳格さが厳しく降るであろう」

1939年3月19日アパリシオ神父に宛てた手紙の中でシスター・ルシアはこう述べています
「世界の平和かそれとも世界の戦争かということは、マリアの汚れなき御心への奉献と共にこの信心の実行にかかっています
これが私がそのように大いにそして特別にそれが広められることを望んだ理由です
なぜなら、それは私たちのよき主と私たちの愛する天の御母の御意志だからです」

それから3ヶ月後、6月20日シスター・ルシアはアパリシオ神父に次のような手紙を送りました
「聖母は、もしこの信心が広められ、実行されるならば、戦争の懲罰を遅らせると約束なさいました
私たちはその信心を広めるために努力がなされる程度に応じて彼女が懲罰をそらされるのを見ます
しかし、私は私たちが今している以上にはすることができないということ、そして神がその怒りにおいてその憐れみの手を挙げられ、世界をこの懲罰によって荒らされるにまかせられるということを恐れています
それは以前には決してなかったそのように恐ろしい、恐ろしい懲罰でしょう」 シスター・ルシアが以前の聴罪司祭であるアパリシオ神父に説明した同じことを、彼女はきっと司教や修道会の上長にも説明したことは疑いのないところでしょう

しかし、時はもう遅すぎました
1939年8月22日、独ソ不可侵条約が締結され、9月1日ヒットラーはポーランドを侵略し、その2日後イギリスはフランスを誘ってドイツに宣戦布告しました
たびたびの天の警告は顧みられませんでした
ヨーロッパはこの戦争の中に自らを盲目的に投げ込みました
これは聖母が忠告なさった人類の懲罰だったのです
もう一度1917年7月13日の聖母の預言をまとめて聞きましょう

「戦争は終わるでしょう
しかし、人々が神に背くことを止めないならば、ピオ十一世の御代の間にもっとひどい戦争が起こるでしょう
未知の光によって照らされる夜を見るとき、これが神によってあなたがたに与えられる大きなしるしであるということを知りなさい
神は戦争、飢饉、教会と教皇の迫害によって世界をその罪のために罰しようとしておられるのです
...このことを避けるために、私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために来るでしょう
もし私の要求が顧みられるならば、ロシアは回心し、平和が来るでしょう
もしそうでないならば、ロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう
善い人々は殉教し、教皇は多く苦しみを受け、さまざまの民族が絶滅させられるでしょう」

実にこの戦争で4000万人以上の人が死にました

−−−
マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献

ロシアの誤謬と共産主義の悪

私は1939年まで先回りしましたが、もう一度1917年まで戻る必要があります
1929年まで明らかにされませんでしたが、すでに何度も見たように、この1917年の、特に7月13日の聖母の預言は世界史に深く関わっています
聖母はロシアの誤謬ということをはっきりと述べられました
聖母マリアが1917年7月13日の預言でロシアについて述べられたことは、世界平和がロシアの奉献とそれに伴うロシアの回心にかかっているということでした
ロシアの回心がなければ、世界には第一次世界大戦よりもはるかに恐ろしい戦争が起こるという預言は実現しました
戦争だけではなく、教会の迫害、教皇の苦しみ、民族の絶滅が預言されました

第一次世界大戦がまだ終わっていない1917年、聖母の御出現が始まる3ヶ月ほど前の2月にロシアのペトログラードで反乱が起こり、皇帝ニコラス2世は3月15日退位を迫られました
4月レーニンが密かにスイスからドイツ政府の保護の下に鉛で封印された列車に隠れてロシアに戻りました
ニューヨークのユダヤ人銀行家たちの財政援助を受けたボルシェヴィキは合計すれば32万部にもなる17の日刊紙を発行してプロパガンダを強めていました
7月にフリーメーソンで民主主義者のケレンスキーが政権を握りますが、9月に起こった軍のコルニロフ将軍の反乱に対して、政権を渡すことを拒否してボルシェヴィキに援助を要請したことが彼の命取りになりました
ボルシェヴィキがコルニロフの軍隊に対するレジスタンスの指導権を握り、軍隊の大多数がコルニロフに従わないのを見て、コルニロフ将軍はボルシェヴィキの側につきます
ケレンスキーは9月14日共和国樹立を宣言しますが、時すでに遅しで、セント・ベテルスブルグそしてモスクワのソヴィエトがボルシェヴィキにはせ参じます
10月25日ボルシェヴィキは冬宮を攻撃して占領し革命は勝利しました

この後に起こったことはまさに聖母の預言だった教会の迫害でした
1918年1月20日、教会と国家の分離、教会財産の没収、その法的諸権利の抑圧を布告する法令が出されました
ボルシェヴィキの戦闘的無神論はまず第一の敵であるキリスト教の撲滅に乗り出したわけです
ボルシェヴィキの憎しみはしかし宗教の枠を越えて、ボルシェヴィキでないすべての者に向けられました
教会に忠実な信徒であったロマノフ王朝の最後の人々は1918年7月16日から17日にかけて、エカテリンブルグで側近の人々と共に暗殺されました
襲ったのはドイツの囚人たちだと言われていますが、実際はモスクワから送られたユダヤ人の暗殺者たちでした
ボルシェヴィキが取ったやり方は、ソルジェニーツィンの言い方を借りれば、「ジャコバン・テロリズム」でした
フランス革命でもそうでしたが、自由、平等、友愛をスローガンにしながら、実行したのは組織的、制度的な恐怖による自由と平等の抑圧、いな圧殺でした

1917年10月、農民たちは富裕な土地所有者から没収した土地を与えられましたが、その土地の収穫を全部供出させられたので、至る所で反乱を試みました
8月9日にレーニンは「容赦ない大衆恐怖の効果をあげる」ことに決め、この時に強制収容所を作っています
この強制収容所では秘密警察がまだ射殺していなかった政権の敵たち、すなわち、ボルシェヴィズムに反対する、あるいは反対しそうなインテリ、農民、軍人などあらゆる人たちが容赦なく消されました

1919年11月にモスクワの総主教ティホン師はヨーロッパに向けて悲痛な訴えを出しました
「司教、司祭、修道者、修道女たちが『反革命』という曖昧な口実のもとに<ひとまとめにして>銃殺されています
残酷さに磨きをかけて彼らには秘蹟という至高の慰めが拒絶され、一方彼らの親族は彼らの遺体をキリスト教の儀式に従って埋葬することができないのです」

1922年にメルシエ枢機卿が最初の数字を公にしました
「迫害の犠牲者の統計は恐るべきものである
1917年11月以来、兵卒26万人、将校5万4千人、土地所有者1万8千人、労働者19万2千人、農民81万5千人、司教28人、司祭1,215人が死刑にされた
...司教,司祭たちの数には、聖なる器物の没収を命じる法令に協力することを拒否したことでこの数ヶ月間に判決を受け、処刑されたまだ知られていない数の正教およびカトリックの両方の司祭たちの数をつけ加えなければならない」

実際、1922年2月26日の法令は、聖別されたものを含む教会のすべての財産を没収しました
信徒たちはそれに反対することを試みました
次のように言われています
「3ヶ月の間に、信徒たちと軍隊の間に1,414件の流血事件が報告された」
レーニンは政治局員全員を教育するためにこのことを利用しました
彼はこう言います
「今は数年の間彼らがどんな種類の抵抗も考えないために教訓を与える、まさに最もよい機会だ
...われわれは反動的なブルジョワと反動的な聖職者たちの代表を出来る限り多く逮捕しなければならない
...1922年には全部で8,100人の司祭、修道者、修道女が銃殺された」

革命はいたるところに荒廃をもたらしました
飢饉がロシアに襲いかかりました
無数の農民が革命以来殺され、移住させられて減った上に、1918,1919,1920年の3年間全収穫物を強制的に供出させられて、農民たちは赤軍と共産党員のためにだけ種を蒔き、働くことに意気阻喪しました
労働者もサボタージュを繰り返し、工場や輸送機関は散発的にしか機能しなくなりました
1921年には事態は恐るべきものとなりました
食糧、衣料、燃料がなく、病院には医薬品がなくなり医師、看護婦がいなくなりました
セント・ペテルスブルグでは多くの人々によって木造家屋が燃やされたりしました
レーニンと共にロシアに戻ったジノヴィエフは、1918年9月にこう述べたと言われています
「われわれは勝つであろう
ロシア人のうち、9千万人はソビエトの権力下に置かれる
残りの人間?われわれは彼らを絶滅するつもりである」
ツァー(ロシア皇帝)の帝国は1億8千万人を擁していました
戦争と革命が人口を約1億3千万人に減らしました
それでも、ジノヴィエフの計算によればまだ4千万人多いということになります
1918年ペトログラードのソビエト公式機関には次の言葉が掲げられていました
「われわれはわれわれの心を残酷に、過酷に、容赦のないものにするであろう
われわれはこの血の海のダムを開くであろう
同情や憐れみを持つことなく、われわれはわれわれの敵を無数に殺すであろう
われわれは彼らを彼ら自身の血の中に沈めるであろう」
しかし、機関銃を用いるよりももっとすばやく、もっと静かに、手続きも要せずに、飢饉が彼らの意図を実行しました

1924年レーニンが死んだ後、ライバルたちを倒したスターリンは1929年に決定的な権力を確立します
1925年には「戦闘的無神論者連盟」が作られ、その機関誌「ベズボジニク」は講演会を開催し、涜神的なデモをやったりしました
この連盟は特に青少年の間に無神論を広め、またより効果的に宗教に対する闘争をするために映画を見せ、博物館を作りました
1929年4月9日の法律は迫害をさらに強める口実を与えました
これによって歴史的建造物を含む多くの教会が取り壊されました
8月27日には「連続した週」の制度が導入されましたが、これは日曜日(主日)を停止するためでした
秘密警察(KGB)は数年の間にウクライナのカトリック聖職者を全滅させました
1929年11月スターリンはコルホーズ(集団農場)制度を実施し、富農(クーラーク)の追放(dekulakization)を実行しました
富農たちは家族もろとも暖房のない貨車で数千マイルを僻遠の地であるウラル、シベリア、カザフスタンなどに送られ、多くの者が途中で死ぬか、あるいは到着すると死にました
これら追放された人々は人気のない場所すなわち森林地帯、山岳地帯、草原地帯に置き去りにされました
富農追放による農村の荒廃は1932-33年に飢饉を招き、それはその範囲とその犠牲者の数において1921-22年の飢饉よりもひどいものでした
国家は飢饉を農民に対する市民戦争の武器として利用し、飢饉の度を強めることに貢献しさえしていました
農民たちが飢餓で死んでいるときに、政府は小麦の輸出をし続けていたのですから
犠牲者の数を正確に知ることはできません
確実に言えることは秘密警察がスターリンに350万人のクーラークの抑圧について報告したということです
スターリン自身がチャーチルに「集団農場化の期間に1千万のクーラークに対して正義が行われた
彼らの大部分は絶滅させられ、他の者はシベリアに送られた」と得意げに語りました
まじめな人口統計学者たちは1929−1933年の飢饉の犠牲者の数を少なくとも1千500万人と見積もっています
すぐに絶滅させられずに生き残った人々が送られたのはグーラーグ(収容所)でした
彼らは1928年の工業化5カ年計画のための無限に供給可能な原料として奴隷労働に従事させられました
以後ソビエト連邦共和国は「収容所群島」と化しました

私たちはマルクスやレーニンの著作を研究するよりも、ボルシェヴィキ・ロシアの歴史の中に共産主義の真実の姿を見なければなりません
「木はその実によって知られる」からです
ボルシェヴィキ革命は常にどこででも非人間性の深みに落ち込みました
そして誤謬と悪魔的な支配を拡大し、虚偽、暴力、殺人を制度的、法的に拡大しながら、真実と正義と平和の名を騙りました
私たちはソビエト連邦の崩壊を目の当たりにしてもまだ共産主義の真の姿に幻想を抱いているところがあるかも知れません
ソビエト連邦の崩壊を単なる経済システムの破綻として理解するのは間違いです
自由経済に移行すれば、「ロシアの誤謬」が終わりを告げたと考えるのは誤解です
共産主義は単なる経済のシステムではありません
聖母マリアが預言された戦争、飢饉、教会の迫害は「ロシアの誤謬」の具体的な現れとして、第二次世界大戦が始まるずっと以前、1917年以来ロシアの地で実現されていたのです
しかも、この共産主義の悪はロシアの地にとどまらずに、その後全世界へと拡大されて行ったことは歴史が証明しています

−−−
ロシアの奉献−1929年6月13日(火)トゥイの啓示−

私は5ヶ月の初土曜日の信心に関して、シスター・ルシアがトゥイの修道院で1930年5月29-30日にイエズスから受けた啓示について話しましたが、実はその1年くらい前、1929年6月13日に彼女は同じ修道院で幻視を経験していました
それは汚れなき御心の聖母マリアを伴った聖三位一体御出現とロシアの奉献に関するイエズスの啓示でした
1936年5月に彼女の霊的指導司祭であったゴンサルヴェス師がシスター・ルシアに自伝を書くように求めて、書かれた[オリジナルのものはルシアによって破棄されましたが、1941年4月にゴンサルヴェス師がルシアに会って再現しました]記録から、そのときの様子を知ることができます

「ゴンサルヴェス神父様はときどき私たちの聖堂に告解を聞きにお見えになりました
私は神父様に告解をしていました
神父様に対しては落ち着きを感じることができましたので、ここに上長として3年間いらっしゃった間ずっと神父様に告解をしていました

「この度、私たちの主はロシアの奉献のお望みとロシアを回心させる御約束とを聖なる教会に知らせるように私にお望みになる時が来たことを私にお知らせになりました
...そのお知らせは次のようにして起こりました」

「(1929年6月13日)私は木曜日から金曜日にかけて午後11時から真夜中までの聖時間をしたいと私の上長と聴罪司祭に求めて許しを得ました」

「夜独りで聖堂の真ん中の聖体拝領台の前で跪き、天使の祈りをひれ伏して唱えました
疲れを感じて、立ち上がり、跪きました
そして腕を十字架の形に伸ばして祈りを続けました
唯一の光は聖櫃からの光でした」

「突然ある超自然的な光が聖堂全体を照らしました
そして祭壇の上に天井まで届く一つの光の十字架が現れました」

「十字架の上の部分、いっそう明るい部分に一人の人のお顔と胸から上のお身体を見ることができました」

「その方の胸の上には同じように光り輝く一羽の鳩がいました」

「そして十字架に釘づけにされて、他のお方の身体がありました」

「その少し下に、空中にカリスと大きなホスチアがかかっており、それらの上には十字架に付けられたお方の顔とそのお胸の傷から数滴の血が滴り落ちていました
これらの血の滴はホスチアの上を流れくだり、カリスの中へ落ちていました」

「十字架の右側下方に、汚れなき御心をその手にされた聖母がいらっしゃいました
...[それは汚れなき御心を...その手にされたファチマの聖母でした
...その御心は剣の突き刺さった、あるいはバラに取り囲まれた御心ではなく、茨に取り囲まれ炎の冠のついた御心でした]」

「(十字架の)左側には何か大きな文字があり、あたかも祭壇の上に流れ落ちる水晶のきれいな水のようでしたが、『恩寵と憐れみ』という言葉を形作っていました」

「私はそれが、私に示された至聖三位一体の神秘であるということ、そして私が明かすことを許されていないこの神秘についての光を受けたということを理解しました」

「それから、聖母が私にこうおっしゃいました
『神が教皇に、この手段によって救うことを約束なさりながら、世界の全司教と一致して、私の汚れなき御心へのロシアの奉献をするようにお求めになる時が来ました』」

「『私に対して犯される罪のために神の正義が断罪する霊魂たちがあまりにも多いので、私は償いを求めるために来ます
この意向のためにあなた自身を犠牲にし、祈りなさい』

「私はこのことについて私の聴罪司祭に説明しました
彼は私たちの主が為すように望んでおられることを書くように私に命じました」

「しばらく後に、私たちの主は、内的語らいという手段によって、不満を表明されながら、次のように私におっしゃいました
『彼らは私の要求を顧みることを望まなかった!....フランスの王のように彼らは後悔し、私の要求を顧みるであろう
しかしもう遅いであろう
ロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、すでにその誤謬を世界中に広めてしまっているであろう
教皇は多く苦しまなければならないであろう』」

シスター・ルシアは1930年に同じくゴンサルヴェス師に書いた手紙の中で、少し言い回しを変えて天の要求を次のように述べています

「よき主は、もし教皇様が御自身、同じことをするようにカトリック世界のすべての司教様に同様に命じて、イエズスとマリアの聖なる御心に対して償いとロシアの奉献の荘厳な行為をなさるならば、ロシアにおける迫害を終わらせることを約束なさっています
教皇様はそのとき、この迫害が終わるときには、すでに述べました償いの信心の実行を認め、勧めると約束なさらなければなりません」

1917年7月13日にルシアたちが見せられた地獄は哀れな罪人たちの霊魂がが行く地獄でしたが、1929年6月13日に聖母がルシアにおっしゃりたかったことはこうではないでしょうか?
「あなたは真の共産主義グーラーグの生ける地獄に見捨てられた哀れな人々を圧倒する飢饉、戦争、迫害を見ました」
彼らを救うために聖母は執拗にこう言われたのでしょう
「神は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます」
1929年はすでにスターリンがグーラーグの血に染まった恐怖を最高度にまき散らしていた時期ですが、そのときに、神はルシアに教会がロシアを聖母マリアの汚れなき御心に奉献すれば、ロシアの回心を約束することを、教会に知らせるように望まれたのでした
神の御約束は「ロシアの迫害を終わらせること」であり、「ロシアを救うこと」でした
残虐な殺戮、冷酷に計画された飢饉、諸々の迫害、秘密警察の襲撃、愚かで非人間的な集団化、これらすべてのことは神の御母、すなわちロシアの人々がそのイコンを密かに崇敬し続けたテオトコス(神の御母)、の強力な仲介によって終わらせられるべきものでした

ソルジェニーツィンはその著『西欧の誤り』(1980年)の中で、ソビエトのイデオロギー的、軍事的膨張主義についてこう言っています
「共産主義は、公然たる戦争によってであれ、政府転覆的ないしテロリスト的な活動によってであれ、あるいは社会構造の安定をなくさせることによってであれ、世界征服の野望を自ら断念することはできない
...共産主義それ自身からは何一つ希望され得ない
共産主義の教義とは何一つ妥協は不可能である
われわれは、全世界における共産主義の全体的な勝利か、それとも至る所でのその完全な消滅かのいずれかを予見することができる
ロシアにとって、中国にとって、そして全世界にとって唯一の救いは共産主義を拒否することのうちに存する
さもなければ、世界は破滅させられ、絶滅させられる危険を冒すのである」

これはまさに、1917年7月13日ファチマにおける聖母の預言を思い起こさせる発言です
「もし私の要求が顧みられるならば、ロシアは回心し、平和が来るでしょう
もしそうでないならば、ロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう
善い人々は殉教し、教皇は多く苦しみを受け、さまざまの民族が絶滅させられるでしょう」
ロシアにとって、そして全世界にとっての唯一可能な救いはロシアの回心です
そしてこのロシアの回心の方法は、1929年6月13日トゥイにおいて、神の恩寵と憐れみのうちにシスター・ルシアに示されたのです
つまり、世界の全司教たちと一致した、教皇による聖母マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献を神はお望みになりました
ロシアの奉献による神の平和の実現はこのようにして教皇様の決断にかかることになりました

−−−
彼らは私の要求を顧みることを望まなかった!

ピオ十一世の教皇在位中にロシアはマリアの汚れなき御心に奉献されませんでした
また、5ヶ月の初土曜日の信心もローマによって公式に承認されませんでした

ポンテヴェドラおよびトゥイでの御出現でルシアに明らかにされた神の御意志、すなわち5回の初土曜日の信心は修道会上長のマザー・マガリャエスや聴罪司祭のイエズス会神父ジョゼ・アパリシオ師の努力によってドロテア会の学校の生徒たちおよび父兄たちの間に急速に広まりました
1927年12月17日シスター・ルシアは聖櫃の側でイエズスのお声を聞きます
聖母から初土曜日の信心に関してルシアが聞いたことを書きとめなさい、ということでした
1928年9月9日に彼女はカノン・フォルミガオに会い、初土曜日の信心について話します
カノン・フォルミガオはポンテヴェドラの御出現の最初の使徒となるべき人でした
1929年6月1日教皇使節ジョヴァンニ・ベダ・カルディナーレがトゥイの修道院にルシアに会いに行きました
ルシアはこのとき教皇の代理者であるこの人に勇気を出して初土曜日の信心について教会の承認を求め、そのことを翌日ダ・シルヴァ司教に手紙で報告しています
司教の反応はルシアをがっかりさせるものだったようです
アパリシオ神父は1929年8月16日にトゥイにルシアを訪ねた後、ダ・シルヴァ司教にルシアが聖母のために初土曜日の信心が広められることを切に望んでいる旨手紙を書いています
ルシアは2度目の手紙をダ・シルヴァ司教に書きますが、司教からは返事を得ることはできませんでした
司教は9月29日にアパリシオ神父に手紙を書き、こう言っています
「初土曜日の信心はよいものです
しかし、その時はまだ来ていません
このことはそれが修道院や学院内で広められるべきでないということを意味するものではありません」
アパリシオ神父はそのことをルシアに知らせ、12月15日ルシアはアパリシオ神父に返事を書き、その中でこの時点でもまだダ・シルヴァ司教からの返事を貰っていないことを明かしています

1930年5月の終わり頃ルシアはゴンサルヴェス神父の命令によって次のような手紙を書きました

「これはマリアの汚れなき御心への償いの信心およびロシアにおける迫害に関して神と私の霊魂との間に起こったと思われることです」

「私たちのよき主は私の心の奥深くで、1925年に神御自身と祝せられたおとめが、この小さな信心を通じて、マリアの汚れなき御心に背いた霊魂たちに許しをお与えになるためにお求めになったマリアの汚れなき御心に対する信心を教皇様が承認なさるように願うことを私に強く要求なさっていると思われます
祝せられたおとめ御自身はこの信心を実行する霊魂を、その死の時にその救いに必要なすべての恩寵でもって助けることを約束なさいました
この信心は次のことから成っています
引き続く5ヶ月の初土曜日に御聖体を拝領すること、ロザリオの祈りをすること、ロザリオの玄義を黙想しながら聖母を訪問すること、同じ目的をもって告解に行くこと
告解の秘蹟は他の日に受けることができます」

「もし私が誤っていないならば、よき主は、もし教皇様御自身がイエズスとマリアの聖なる御心へのロシアの償いと奉献という荘厳で公的な行為をしてくださるならば、同様にまたカトリック世界のすべての司教様たちに同じことをするようにお命じになるならば、そしてもし教皇さまがこの迫害が終わったときにすでに述べました償いの信心の実行を承認し、推奨なさるならばロシアの迫害を終わらせることを約束なさいました」

「私は思い違いをしているのではないかと大変恐れているということを申し上げます
そしてこの恐れの原因は私が主を親しく見ていなくて、ただ主の神的現存を感じたにすぎないという事実です」

「修道院長様にこのことを申し上げることについて私が抱きました躊躇の気持ちはどこから来るのか、正確には分かりません
恐らく一部は院長様がこのすべてのことをお認めにならないかもしれない、あるいはそれは妄想、あるいは悪魔の暗示や何かそのようなことだとおっしゃるかもしれないという恐れかもしれません」

「私はうやうやしく閣下の御手に接吻いたします」

ゴンサルヴェス神父はルシアのこの手紙を5月29日に受け取り、それを読んでその日のうちにルシアに対して次の質問状を出しました
彼は司教や教皇に伝達するための完全に明白な文書を欲したのです

「どうか出来る限り便箋で次の質問に答えてください
1.土曜日の信心があなたに啓示されたのはいつ、どのように、どこでか
換言すれば、その日付(もしあなたが知っているならば)、機会、そして様式
2.要求される条件
すなわち、この信心の成就に際して要求されることは何か
3.利益
すくなくとも一度それを実行する人々にどのような恵みが約束されるのか
4.聖母の悲しみのために9回あるいは7回ではなくて、なぜ5回の土曜日なのか
5.土曜日に条件をすべて満たすことができない場合それは日曜日に満たすことができるか
例えば、 田舎に住んでいる人々は遠く離れて住んでいるから、(土曜日に)そうすることができないことが非常に多い
6.可哀想なロシアの救いに関して、あなたは何を望みまた欲するか

このゴンサルヴェス神父の質問に対してルシアは同じ日の5月29日の夜、礼拝と償いの聖時間の時に問われた質問に答えるために必要な内的照らしを願ってそれを受けました
数日のうちにルシアは返事を書き、ゴンサルヴェス師はそれを1930年6月12日に受け取りました
問いに対する返事についてはすでに触れた通りです
1から3についてはルシアが1925年12月10日ポンテヴェドラで、4から6については1930年5月29日トゥイで受けた啓示です

ゴンサルヴェス師はルシアから返事を受けた翌日6月13日にルシアのこの手紙のコピーをレイリアのダ・シルヴァ司教に送りましたが、司教はこの問題についてすでに知っており、それについて考えようとしている旨7月1日にゴンサルヴェス師に答えています
ダ・シルヴァ司教は8月28日初めてトゥイに来て、ルシアと会って話をしています

ダ・シルヴァ司教の返事に失望したゴンサルヴェス師は別のルートで教皇ピオ十一世にルシアの手紙の内容を伝えた模様です
その時期は1930年7月から1931年8月の間だと、フレール・ミッシェルは考えています

1929年6月13日トゥイに御出現になったときのことをルシアはこう述べています
「聖母が私にこうおっしゃいました
『神が教皇に....世界の全司教と一致して、私の汚れなき御心へのロシアの奉献をするようにお求めになる時が来ました』ルシアはその前にこうも述べています
「私たちの主はロシアの奉献のお望みとロシアを回心させる御約束とを聖なる教会に知らせるように私にお望みになる時が来たことを私にお知らせになりました」神は不可能なことを決して要求なさいませんから、1929年-1931年は神の御計画を実現するに最も好都合な時期だったはずです
最も好都合であるという理由の第一は、この時期ファチマ御出現の調査記録が教皇の下に届き、太陽のダンスや奇跡的な癒しや無数の回心によってレイリアの司教によるファチマ御出現の公式承認が為された時期であり、聖母のメッセージの重大性を教皇は知っておられたからです

次ぎに聖心へのロシアの奉献についても、歴史的に先例がありました
1899年6月11日教皇レオ十三世はイエズスの聖心に全世界を奉献されましたし、聖ピオ十世は毎年それを更新することを命じられました
そしてピオ十一世自身1925年にこの奉献を王たるキリストの祝日に更新すべきことを命じられました
カトリックから分離した正教の、そしてボルシェヴィキのロシアを、ロシアの政府や正教指導者が参加することなしにローマカトリックの教皇と全司教が奉献することに神学的な困難があったのでしょうか?
レオ十三世は1989年5月25日回勅『聖なる年』(Annum Sacrum)の中で、全世界および全民族は異端的、分派的あるいは異教的であるとしても、イエズスの聖心に奉献されることができると説明しました
「キリストの力は同様にまたキリスト教信仰の外部に生きているすべての人々にも及ぶ」からです

第三に、聖マリアの汚れなき御心がイエズスの聖心と密接に結びつけられることが天の意志でした
ロシアの奉献は「イエズスとマリアのいと聖なる御心に対して」なされなければなりませんでした
この奉献を可能とし、かつ容易にする素晴らしい、摂理的な準備がすでにできていました
かなり前から聖マリアの汚れなき御心への奉献の請願が聖座には来ていました
例えば、1900年にリヨン・フルヴィエール国民マリア会議が請願を行い、また同年デシャン師によってトゥールーズにマリア十字軍が設立されましたが、その目的はマリアの汚れなき御心への個人、家庭、小教区、司教区そして全人類の奉献を促進することでした
聖ピオ十世教皇の在位期間にはこの請願は非常に多くなりました
1917年7月13日に聖母マリアは「私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために[後に]来るでしょう
もし私の要求が顧みられるならば、ロシアは回心し、平和が来るでしょう」と預言され、世界の奉献ではなくて、ただボルシェヴィキ・ロシアだけの奉献をお求めになりました
1929年6月13日に預言通り聖母はその時が来たことをルシアにお知らせになり、それを教皇に知らせ、教皇がそれを実行することを望まれたわけです
もし教皇が聖母の要求をキリスト教世界に知らせ、実行されていたならば、全キリスト教世界の間にマリア信心の熱狂と巨大な運動が起こっていたでしょう

最後に、ロシアの誤謬の広まりはどうだったのでしょうか
ピオ十一世が教皇座についた1922年以来、ロシアは教皇の最大関心事でした
教皇はロシア人の悲惨を少なくし、血生臭い迫害を終わらせるためにあらゆることを試みました
1922年、教皇は「世界の救世主、ロシアを救い給え!」という射祷に贖宥を与えました
しかし、1924年にはボルシェヴィキ革命がキリスト教世界の一部であるメキシコで猛威を奮い始めました
1928年ヴァチカンとソビエト政府とのすべての関係が断絶し、スターリンは以前よりもっと冷酷に迫害と虐殺を再開しました
1929年8月19日教皇はロシア人民を幼き聖テレジアの保護に委ね、贖宥のついた祈りを出しました
1929年11月、ローマ、パリ、ロンドン、プラハ、ジュネーブ等の都市でロシアが経験している迫害について人々に知らせるための会議が開かれました

ピオ十一世はそれ以上のことを何かしなければならないということを理解されました
彼は1930年2月2日ポンピリ枢機卿に宛てて公開書簡を書かれ、次のように述べておられます

「ロシアの無数の人々の間で毎日繰り返され、ますます悪化している神と霊魂に対する恐るべき罪と冒涜を考えるとき私たちは深い悲しみを感じます
この聖なる普遍的、使徒的なローマ教会の多くの信徒、修道者そして寛大な聖職者たちがこれらのロシアの人々に属しています
彼らは壮烈なまでに、そして殉教するまでに信仰が深く、寛大でした

非常に多くの冒涜と不敬の行為が新たになされ、当局によって公的に為されていることはより普遍的で荘厳な償いを要求します
今年クリスマスの聖なる日々の間に単に数百の教会が閉鎖され、多くのイコンが燃やされ、すべての労働者や学校の子どもたちが労働を強制され、日曜日が廃止されただけでなく、工場労働者は男も女も公式の棄教と神に対する憎しみの宣言に署名することを強制されました
さもないと、彼らはパンの配給切符、衣料、宿泊を取り上げらるのです
それらのものなしには、この哀れな国のすべての住民は飢えと悲惨と寒さで死ななければならないのです
他のこともいろいろありますが、昨年クリスマスの聖なる日々に、全ての都市と多くの村々で、恥ずべきカーニヴァルの見せ物が組織されました
外国の外交官たちが自らの目で見たように、首都モスクワの中心でもそうでした
彼らは聖なる祭服を着て、嘲笑しながら十字架を担い、十字架に唾を吐きながら、多くの無頼漢を乗せた戦車の行進を目撃しました
一方他の装甲車群は巨大なクリスマス・ツリーを運んでいましたが、ツリーにはカトリックとオーソドックスの司教たちを表す人形が首吊りにされていました
町の中心には他の若者たちの愚連隊が十字架に対するあらゆる種類の涜神行為を犯していました

ですから、私たちはできる限り努力してこれらすべての涜聖行為に対する償いの行為をし、また全世界の信徒を償いをするように招きたいと思っています
それで私たちは、猊下よ、1930年3月19日、聖ヨゼフの祝日に聖ペトロ大聖堂に来て、そこで使徒の頭の墓の上で、この苦しい試練がついに終わり、人々が私たちの唯一の救い主にして解放者である主イエズス・キリストの唯一の群へできるだけ早く立ち返るように、そのように困難で苦しみに満ちた試練に会っている多くの霊魂の救いのために、また愛するロシアの人々の救済のために、イエズスの神的な聖心への犯罪的な攻撃に対する償いのミサを捧げることに決めました
聖心に赦しを願い、犠牲者たちと殺人者たちにも御憐れみを求めた後に、私たちは神の御母、聖なる汚れなきおとめマリア、その浄配、普遍教会の守護者、ロシアの特別の保護者である聖ヨゼフ、聖なる天使たち、洗礼者聖ヨハネ、聖クリゾストモス、聖キリルと聖メトディウスおよび他の多くの聖人たち、そして特に、私たちが特別にこれらの霊魂の未来を委ねた幼きイエズスの聖テレジアに嘆願します」

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ファチマに関して日本語で読める書物を数点紹介します

*矢代静一(文)・菅井日人(写真):奇蹟の聖地ファチマ、講談社
*菅井日人:聖母マリアの奇蹟 −メジュゴリエ/ファチマ/ルルド−、グラフィック社
*ヴィットリオ・ガバッソ、志村辰弥(共訳編):現代の危機を告げるファチマの聖母の啓示、ドン・ボスコ社
*渡辺吉徳(編訳):ファチマのロザリオの聖母、ドン・ボスコ社
*アントニオ・アウグスト・ボレッリ・マシャド著、特別寄稿:プリニオ・コヘイア・デ・オリヴェイラ、成相明人訳:ファチマの聖母 そのメッセージは希望の預言か?悲劇の預言か?『フマネ・ヴィテ』研究会
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
最終更新日:99/11/24



戻り


===6===============

明らかにされたファチマの秘密:The Fatima Crusader Issue より:第三の秘密の実体:

http://www.d-b.ne.jp/mikami/fatsec.htm

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
序論

5月13日から10月13日の一連の御出現において一般公衆に対して聖母によって与えられたファチマのメッセージの他に、聖母は1917年7月13日にシスター・ルシアと教会当局によってすべての信者に後に与えられることになった一つの秘密を明かされた

その秘密は三つの異なった部分に分けられる
そしてシスター・ルシアは彼女の司教の承認と共に1941年に最初の二つの部分を明らかにした
第三の部分は1944年1月2日から1月9日の間に書き止められた
それは彼女の司教への聖なる従順の下に、そしてファチマの聖母がシスター・ルシアに、実際神が秘密の第三の部分が今書かれるべきであると確証なさった後に書かれたのである
(秘密の第三の部分は通常第三の秘密として言及される)
教皇とレイリア司教はそれを直ちに読むことができた

聖母は秘密のこの第三の部分は遅くとも1960年までには信者に知らされることを求められた
秘密の第一および第二の部分と同様に、それは明快で、容易に理解されるものである
秘密の第二の部分と同様にそれは預言的である
われわれは今第三の秘密を生き延びているのである
あなたは永遠の破滅からあなたの霊魂とあなたの愛する者の霊魂を救うためにその内容を知る必要があるだろう

第三の秘密はフレール・ミッシェル によって明らかにされてきた
彼は4年間の研究の後にこの研究を書くのに最も資格のある人物である
彼の結論は16年間にわたってファチマの公式の記録保管人であったアロンゾ神父の結論と同じである
あなたはこの研究を読み終えるときには、あなたが実際第三の秘密の実体を知っているということを知るであろう

これは一つの深い、読みやすいそしてにもかかわらず深く感動させられる研究である
というのは、それはヴァチカンが34年間にわたって葬ってきた秘密に確実に迫っているからである
この記事は教会に対して、数百万の霊魂の救いに対して、そして究極的に世界史に対して大きな衝撃を与えるはずである

ファチマのメッセージは一つの天上の光、二十世紀に対する恩寵と救いの機会、教会史のなかで比べるもののない一つのメッセージそして一つの出来事、今日までなお明らかにされていないわれわれの時代の最も重大で重要な出来事である
それゆえ、またこの研究は、それが最終的に、それがひとたび広く知られるようになると教会と世界をアンティキリストの勢力から救うであろうショッキングな、しかし役に立つ秘密をあなたに告げるから、重大で重要である

現在これらの悪魔的な勢力は数百万の霊魂を永遠の破滅へ、そして全世界をアンチキリストへの奴隷化へと陥れようとしている
一方で、多くの国が「絶滅させられ」、「地の表から拭い去られ」るであろう

これらの言葉を読み、それらについて熟考し、そしてそれらを他の人々に分かちなさい
この研究の内容はファチマの第三の秘密を明らかにしているから、それが広く知られるということが最も重要であり最も緊急を要することである

この知識はサタンがわれわれを繋ぎ止めている鎖から人類と教皇を救う力を最終的に解き放つであろう
この秘密は教皇ヨハネ・パウロ二世がファチマで「諸国および全人類の上に迫っている殆ど黙示録的な脅威」と呼ばれたものを避けるための鍵である

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「明らかにされたファチマの秘密」
聖三位一体のフレール・ミッシェル
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ファチマの第三の秘密は公式にはまだ明らかにされていないので、一見するとわれわれはその内容について何も知り得ないということは明らかであるように思われる
しかしながら、これはただ見かけの上でだけそうである
なぜなら、この重要な秘密が、それが1917年に聖母によってアルジュストレルの三人の羊飼いの子どもたちに明らかにされたとき、あるいは1944年にシスター・ルシアによって書き留められたとき、あるいはなお再び1960年に教皇ヨハネ23世によって世界に公式に明らかにされるはずであったときには、絶対的に知り得ないものであったとしても、そのことは今日ではもはや通用しないのである
なぜなら、40年以上にわたって、それに関する多くの確実な事実が知られるようになったからである
それらは今日、そこから歴史家がその全歴史を跡づけ、その本質的な内容をかなりの程度確実に明らかにすることができる確実な情報の一つの印象的な量を形成している
そのようなものは第三の秘密の神秘に完全に捧げられている『ファチマに関する全真実』という私の三巻の書物を書くことにおける私の二重の関心であった

簡潔に纏めなければならなかったので、それを単純化し、そしてその多くの部分を要約したけれどもそうしながら、私があなたに提示しようとしているのはこの詳細な論証である
しかし、私は聖母のこの最後の秘密がどれほど重要であるかをあなたに示すためにそれについて十分に語るであろう
聖母の要求に従ってそれが世界に明らかにされるということが、いかにファチマのメッセージのまさに核心であるか、そして最後にそのことが教会の善のためになぜ緊急のことであるのかを示そうと思う

I. 第三の秘密のドラマ

シスター・ルシアが最初にファチマの秘密の三つの異なった部分への区分について言及したのは1941年7月/8月の彼女の第三の覚え書きにおいてであった
「秘密は三つの異なった問題から構成されています」と彼女は書いている
「そして私はそれらのうちの二つを明らかにするでしょう」

第一は地獄の幻視と霊魂の救いのために神によって人類に提供された至高の救済策としてのマリアの汚れなき御心の指摘である
「霊魂を救うために神は私の汚れなき御心への奉献を世界の中に確立することを望んでおられます」

第二は、マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献と月の第一土曜日の償いの聖体拝領の実践を通じて神が世界に与えようと望まれている奇跡的な平和に関する偉大な預言である(注1)
「もし人々が私の命令を守るならば、ロシアは回心し、世界は平和を保つでしょう」
そしてまた、もし人々が聖母の要求に従わないことに固執するならば、恐るべき罰が下されることの告知もある

秘密の第三の部分に関しては、1941年にシスター・ルシアは今のところ彼女はそれを明らかにすることを許されていないと述べている

−−−
秘密の書き下ろしと伝達

この重要なメッセージの書き下ろしと伝達についてのドラマチックな説明は1943年に始まる
摂理の時刻がそのとき打ったのである
シスター・ルシアはそのとき、スペインのトゥイのドロテア会修道院で生活していた
1943年6月に彼女は突然重い病気にかかった
彼女の状態は非常に危険だったので、レイリアの司教、ダ・シルヴァ司教は心配になった
彼は彼女が聖母の第三の秘密を明らかにする前に死ぬのではないかと恐れ、それは教会に対する一つの例外的な恩寵の喪失であろうと考えた
司教の友人であり忠告者であった聖堂参事会員カランバはそのとき、彼に一つの非常に賢明な考えを示唆した
すなわち、司教は少なくともシスター・ルシアに直ちに第三の秘密のテキストを書き下ろすことを求め、そして次に彼女が後に開封されるように蝋で封印された封筒の中にそれを入れるということである

それゆえに、1943年9月15日にダ・シルヴァ司教はトゥイに行き、シスター・ルシアに「もし彼女が本当にそう望むならば」秘密を書き下ろすように頼んだ
しかし、この幻視者は確かに聖霊に鼓舞されてこの曖昧な命令に満足しなかった
彼女は彼女の司教に一つの書かれた命令、形式的で完全に明確な命令を要求した−それは非常に重要なことである
ファチマの聖母の最後のメッセージは以前の聖母の他の要求と同じように、驚くべき約束と結びついていた
それはわれわれの二十世紀に、その最も緊急な必要に応じるために、神によって提供された一つの例外的な恩寵である
しかし再び、教会の司牧者たちが、神がその無原罪の聖母の甘美な黙想を通じて世界に与えることを欲しておられる恩寵のこの流出の道具となるために天の計画に対して十分な信仰と従順を持つ必要がある
1943年に神はそれがレイリアの司教であることを欲された
レイリアの司教はこのメッセンジャーが第三の秘密を書き下ろすことを要求した

最後に、1943年10月半ばにダ・シルヴァ司教は決心した
彼はシスター・ルシアに、彼女に彼女が彼に嘆願した明白な命令を与えて、手紙を書いた
しかしながら、今や諸困難が起こった
シスター・ルシアはその当時殆ど3カ月の間ある不可思議なそして恐るべき不安を経験した
彼女は、彼女が仕事机の前に坐り、秘密を書き下ろすためにペンをとる度毎に、そうすることを邪魔されるのを感じたと語った
明らかに、われわれは無原罪の聖母のメッセンジャーに対するサタンの最後の攻撃をそこに見なければならない

この偉大な預言がサタンの霊魂に対する支配と教会のまさに核心へと入り込もうとするサタンの計画に対するどのように恐るべき武器であるか、遂行されようとしていた壮大な出来事の大きさをこのように示した幻視者によって堪え忍ばれたそのような試練を考えるならば、秘密は紙の上に書き留められるべきである

クリスマスイヴの日に、シスター・ルシアは彼女が与えられた命令にまだ従うことができないということを彼女の指導者に打ち明けた

最後に、1944年の1月2日に(このことは殆ど知られていない)、祝福されたおとめマリア御自身が再びルシアに御出現になった
聖母はルシアにそのようなことは真に神の意志であるということ、そして聖母は彼女に命令されたことを書くことを完成するための光と力を与えるということを確約なさった

シスター・ルシアがその受取人であるダ・シルヴァ司教に完全に確実にそれを伝えるために払った極端な配慮は彼女がこの記録に帰している例外的な重要性の一つの新しい証拠である

彼女はそれを司教以外の他の誰にも委ねることを望まなかった
貴重な記録を入れた蝋で封印された封筒をシスター・ルシアの手から受け取ったのはグルザの大司教、フェレイラ司教であった
彼はそれを同じ日の夕方ダ・シルヴァ司教に手渡した

秘密の教会当局への伝達に関しては最も重要な次の四つの事実を強調する必要がある

事実#1.
秘密の直接の受取人はダ・シルヴァ司教であり、そして彼はそれを直ちに読むことができたはずであった
シスター・ルシアは聖母からそう言われたと司教に語った
しかし、引き受けなければならない責任によって恐れをなして、彼はそれについて知識を持つことを敢えてせず、欲しなかった
彼はそこでそれを聖座に委ねようと試みた
しかし、ローマはそれを受け取ることを拒否した
そこで、もしダ・シルヴァ司教が死ぬようなことがあれば、その封筒はリスボンの大司教、カレイェイラ枢機卿に委ねられることになった
それゆえに、1960年以後にしばしば繰り返して言われてきたように、第三の秘密が明白にそしてもっぱら教皇に向けられたものである、と言うことは誤りである

事実#2.
しかしながら、シスター・ルシアがピウス十二世がそれ以上遅れることなしに秘密を知ることを望んだということを、私は私の書物においてそれについてのいくつかの証拠を挙げている
不幸なことにそのことは起こらなかった

事実#3.
ダ・シルヴァ司教が封筒を開けることを望まないことに固執していることを確証して、シスター・ルシアは、ガランバ聖堂参事会員の言葉によれば、「第三の秘密は彼女が死ぬか、あるいは1960年には、どちらが最初に起こっても、開けられて世界に対して読まれるべきであるということを司教に約束させた」
シスター・ルシアの繰り返された陳述についての一つの説明がわれわれに与える一連の証言はこの事実が絶対的な確実さで確立されることを可能にした

事実#4.
最後に、シスター・ルシアの死後直ちに、あるいはいずれにせよ遅くとも1960年には秘密を公開するというこの約束は聖母マリア御自身による一つの要求に確実に一致している

事実、1946年にバルタス聖堂参事会員が幻視者になぜ1960年まで待つ必要があるのかと尋ねたとき、シスター・ルシアは彼にダ・シルヴァ司教がいる前で、「聖母がそう望んでおられるからです」と答えた

手短に述べたが、私はそのことを私の書物の中で堅固に確立した
そしてわれわれは聖母の最後の秘密が最終的に教会の司牧者たちによって信じられ、そして信者たちに公開されることを神が望まれたというすべての証拠を持っている
このことは最も早くて1944年の初めに、あるいは遅くとも1960年までにはなされていなければならなかった
というのはシスター・ルシアはさらにこう説明したからである
「それはそのときにはもっと明白になっていたでしょう」
(注2)

−−−
ローマへの移送

私はここで第三の秘密の歴史における一つのなお不可解なエピソードにとどまっていることはできない
1957年に聖座はそのときまでレイリア/ファチマの司教の宮殿に保管されていた第三の秘密のテキストを要求した
このイニシャティヴを取ったのは誰か?どのような意図で?諸事実の詳細な分析によって私はもっともらしい仮説を立てることはできたが、しかしいかなる確実さにも達しなかった

1957年3月半ばに、ダ・シルヴァ司教は彼の副司教ヴェナンシオにその貴重な記録を当時のリスボンのローマ教皇大使チェント司教に渡す責任を委ねた
ヴェナンシオ司教は彼の司教に、最後に秘密を読み、そしてローマにマニュスクリプトを送る前にそのコピーを作るように懇願した
しかし老司教は彼の拒否に固執した
ヴェナンシオ司教−彼は1983年2月13日にファチマで私にこのことを語ったが−は封筒を光のほうへと持ち上げている間に、それを眺めることに満足しなければならなかった
彼はその正確な大きさを測った一枚の紙片が封筒の中にあるのを見ることができた
われわれはこのようにして第三の秘密がそれほど長いものではない、恐らく20行から25行くらいの長さのものであるということを知るのである
すなわち、それは第二の秘密と同じ位の長さである
このことはある捏造者たちがファチマの真の秘密であるとして公衆に対して押しつけている余りにも長いいくつかのテキストを確かに真正のものではないとして拒否することをわれわれに許すものである

1957年4月16日に、封印された封筒がローマに到着した
それからどうなったであろうか?それは教皇ピオ十二世のオフィスの中の「聖座の秘密」と記された一つの小さな箱の中にに置かれた(注3)
このことをジャーナリストのロベール・セルーに打ち明けたのはマザー・パスカリーナであり、彼が近頃この事実を確証したのである

−−−
教皇ピオ十二世は秘密を読まれたか?

驚くべきことだと思われるであろうが、その答えは殆ど確実にノーである
アロンゾ神父と同様に、私はこの結論に対していくつかの堅固な議論を与える
明らかに、オッタヴィアーニ枢機卿、そして教皇ヨハネ二十三世の秘書であったモンシニョル・カポヴィッラの証言がある
彼らはわれわれに教皇がそれを教皇ピオ十二世の死の1年後、1959年に開けたとき、封筒はなお封印されたままであったと語った

それゆえに、シスター・ルシアが1957年12月26日に、当時ジャシンタとフランシスコの列聖訴訟のポストゥラトルであったフエンテス神父に宛てた荘厳な言葉をわれわれは理解するのである
彼女はこう言っている
「聖母は非常に悲しんでおられます
なぜなら、聖母のメッセージに対して誰も何の注意も払わないからです
...よい人たちも悪い人たちも...

よい人たちは彼らの道を続けています、しかしメッセージには注意を払わないで...私は詳細な点について何も別のことを言うことはできません
というのはそれはまだ秘密ですから...ただ教皇とファチマの司教だけが聖母の意志に従ってそれを知ることができるでしょう...しかし、彼らは影響されることを望まなかったのでそれを知ろうとはしませんでした」

それゆえに、教皇ピオ十二世は明らかに1960年を待つことのほうを選ばれた
しかし彼はそれ以前に亡くなられた
教会にとって何という損失だろう!(注4)

−−−
一致した熱心な期待

歳を取った人々はそのことを記憶しているが、1960年が近づくにつれて、全キリスト教徒は約束された秘密の公開を信頼して待った
そしてあなた達イタリア人(ここにいる)、あなた達は1959年に全国でマリアの汚れなき御心に対する献身の大運動が起こったことを知っている
数カ月間にわたってファチマのおとめがその跡を熱狂的な群衆を引きつけながら、そしていたるところで聖母の恩寵の奇跡、けた外れの熱狂、回心の奇跡、鳩の奇跡(注5)を振りまきながら、[イタリア]半島を縦横に通った
1959年9月13日には全司教がマリアの汚れなき御心にイタリアを荘厳に奉献した
不幸なことに、その運動は教皇ヨハネ二十三世によって殆ど鼓舞されなかったので、彼の沈黙と留保は注意されないままで過ぎ去ることはできなかった

教皇ヨハネ二十三世は秘密を読まれ、そしてそれを公表することを拒否される われわれは教皇が1959年8月17日にカステルガンドルフォで第三の秘密の封筒を、当時聖座の公式官であったモンシニョル・フィリップによって、彼のもとに持って来させられたことを知っている
教皇への秘密のこの伝達がこのように一つの公式的な性格を持ち、そしてその周りにある種の荘厳さを集めているということに注意しよう
そのことはその当時ファチマが遇せられた尊敬を示している
教皇ヨハネ二十三世は封筒を直ちに開けられなかった
彼は「私は私の告解聴聞者と共にそれを読むことを待っている」と宣言することに満足された
モンシニョル・カポヴィッラは正確にこう述べている
「数日後に秘密は読まれた」
「しかし、[ポルトガル語という]言語に特有の表現によって起こる困難のゆえに国務省のポルトガル語の翻訳者、モンシニョル・パウロ・ホセ・タヴァレスの援助が要求された」
彼は後にマカオの司教となった
後に教皇ヨハネ二十三世はそれを聖座の長官、オッタヴィアーニ枢機卿に読ませられた

ここで簡単な括弧書きを入れておこう
確かにわれわれは「私的な啓示」を判断することは当局に属しているということをよく知っている
1960年には、教会がすでに公式に、グルーナー神父がさっきわれわれに思い出させてくれたように、議論の余地のない預言と輝かしい奇跡によって他のいかなる御出現よりもさらにより堅固に証明されたファチマの御出現の神的な真性性を承認していたということは明らかであった
シスター・ルシアを通じて伝えられた、いと祝せられたおとめの命令に一致して責任を負わされた二人の高位聖職者、レイリアの司教とリスボンの大司教は遅くとも1960年までには完全な内容を公表するように公式的に努力した
15年間以上にわたって、いかなる権威のある宣言も枢機卿、司教そして聖堂参事会員のガランバ師やバルタス師あるいはメシアス・ディアス・コエルホ神父のような有名なファチマ専門家たちによって世界中にこだましたこれらの繰り返された約束を反駁することはできなかった
教皇ピオ十二世の同意によって1942年に最初の二つの秘密の公開はさらに一つの前例をなした
その結果、信者はこの約束された啓示を最高の権威から期待する権利を完全に持っていたのである
彼らは少なくとも教皇の側での一つの正確なそして率直な説明に対する権利を持っていた

悲しいかな、1960年2月8日に突然、ファチマの第三の秘密は公表されないということが簡単な新聞発表を通じて知らされた
それはそのまさに本性によって完全に無責任である一つの無名の決定であった
それを動機づけた理由は何であったのか?

ヴァチカン・コミュニケはただつじつまの合わない、そして矛盾さえしたいいわけを提供しただけである
この無名の新聞発表の終わりの部分は裏切りでさえある
「教会はファチマの御出現を承認しているけれども、三人の羊飼いの子どもたちがおとめマリアが彼らに告げられたと言ったそれらの言葉の真実性を保証する責任を取ることを望まない」(注6)
このように、明らかにヴァチカンはダニス神父の支持され得ない立場(このつじつまの合わない論調の詳細な説明と分析は第一巻にある)(注7)を自らのものとしたばかりでなく、このコミュニケはさらに問題を生み出すものであった
それはシスター・ルシアの信頼性とファチマ・メッセージ全体に最も恥ずべき疑惑を公的にそして何ら妥当な理由もなしに投げかけているのである

モンシニョル・カポヴィッラによれば、数人のローマの高位聖職者たちが相談を受けたということである
しかし、確かなことは責任を負っているポルトガルの当局者が明らかに無視されたということである
ヴェナンシオ司教もカレイェイラ枢機卿もローマによって相談を受けなかった、あるいは知らされなかったのである

1960年2月8日のこの悲しむべき新聞発表を再読し分析すると、あるいはさらに、「チヴィルタ・カットリカ」紙においてカプリーレ神父によって6月に発表された憐れむべき記事を研究することによってさえ、ファチマの主題の関してローマ自身における責任ある当局者たちによって発言されてきたつじつまの合わないこと、不正確なことそして誤りの多くの例によってわれわれは落胆させられる
このことはあなたたちに、1960年までにその秘密を明らかにしなさいと要求された無原罪のおとめ、使徒たちの元后の明白な意志に何の注意も払わないという決定がいかに正当化されないものであり、正当化され得ないものであるかを、告げている
それがファチマ論争に大きな害を与えたこともまた確かである

われわれは、いと祝せられたおとめに対する信心がカトリック教会のまさにふところにおいて目に見える仕方で、そして次に驚くべき仕方で減退し始めたのは「マリアの秘密」に対するこの公式の無視以後のこの時期からであったと言うことができる
これまで以上にシスター・ルシアの次の言葉が当てはまる
「祝せられたおとめは非常に悲しんでおられます
なぜなら、誰も聖母のメッセージに注意を払わないからです」
そしてこの誤りは数え切れないほどの結果をもたらすことになった、とわれわれは敢えて言わなければならない
なぜなら、ファチマの諸々の預言や命令を無視することにおいて無視されてきたのは、世界を前にしてあざ笑われてきたのは、神御自身だったからである
無原罪のお方、母親としての警告を通じて告げられた条件的な罰はそのとき悲劇的、不可避的に下されることになったのである

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
II.  第三の秘密は明かされていないか?

オッタヴィアーニ枢機卿は、教皇ヨハネ二十三世は秘密を「一つの非常に深い、暗い井戸のようである資料保管所の一つの中に置いたので、その底には紙が落ち、誰ももうそれを見ることができない」と語った
われわれはシスター・ルシアの手書き原稿がどうなったかを非常によく知っている
われわれはそれの本質的な内容を発見することさえできる
1917年7月13日にわれわれの時代のために聖母がお与えになったこの警告の中で聖母はわれわれに何を告げておられるのか?
まず第一に、われわれはこの秘密に関して四つの確実なそして客観的な事実を確立することができる
そしてそれらは秘密の解明においてわれわれの歩みを大いに進歩させることができるものである

1.第一の主要な事実:
われわれは第三の秘密の文脈を知っている
厳密に言えば、1917年7月13日に完全に啓示された実際にはたった一つの秘密がある
ところで、この複合的全体について現在のところわれわれは四つの部分のうちの三つの部分を知っている
われわれは秘密の始まりの部分、最初の二つの部分、そして聖母がわれわれに約束しておられる
「最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう
教皇はロシアを私に奉献するでしょう
そしてロシアは回心し、世界に平和の時期が与えられるでしょう」
という結論によって確実に形成されている最後の部分を知っている
シスター・ルシア自身が秘密の第二の部分に関して、第三の秘密がたまたま挿入されることになると書いたのは、テキストにおいて「等々...」に続くこのすでによく知られた文脈においてである
そのようなことが最後の秘密の内容の発見において先へ進むことをわれわれに許すためにわれわれにとって一つの重要な道しるべである事実である
後者はその直接的な文脈と一致し、そしてファチマのメッセージの全体と調和的に一致しなければならない

2. 第二の重要な事実:
もしそれが啓示された状況がその基本的な統一性をわれわれに証明するならば、その書き下ろしのドラマティックな状況はそれ自身においてわれわれにその悲劇的な重大さを明らかにする

3. 第三の非常に解明的な事実:
1960年以来、諸教皇がそれを公表することを拒否してこられたのはその内容のせいであり、そしてただこの理由でだけである

−−−
まず第一に、すでに見たように、教皇ヨハネ二十三世は全カトリック教会の熱狂的なそして切望的な期待にもかかわらず、それを公表することを拒否された

パウロ六世はまっすぐに同じ態度を採用された
1963年6月21日に教皇に選出され、しばらく後に彼は秘密のテキストを要求された
このことはこの主題に関する彼の生き生きとして関心を証明している
誰も教皇ヨハネ二十三世がそれに関してしたことを知らなかったので、彼らはヨハネ二十三世の秘書であるモンシニョル・カポヴィッラに尋ねた
彼は手書き原稿がどこに置かれていたかを指摘した
教皇パウロ六世はその時点でそれを確かに読まれた
しかし彼はそれについて語られなかった
しかしながら、あなたたちも知っているように、1967年2月11日、ファチマ御出現の50周年が近づいたので、オッタヴィアーニ枢機卿は教皇の名において、ファチマの第三の秘密の主題に関して、それがまだ公表されないということを説明するために一つの長い宣言を作った
私の書物の中で、私はこのテキストを引用しそして分析した
ポルトガルの専門家たちに従って、私はどんな犠牲を払っても秘密を公表しないことを正当化するためにこの聖座の高位聖職者、教会における真理の至高の保証者がつじつまの合わないこと、そして明らかな虚偽を大量に集めることを強いられているということを検証せざるを得なかった(注8)
そして悲しいことには、われわれは1984年に彼の後継者であるラッツィンガー枢機卿によって述べられた理由はもはや首尾一貫していないということを見るであろう

ヨハネ・パウロ一世はファチマの聖母に非常に献身しておられた方であった
彼は1977年にコヴァ・ダ・イリアへの巡礼に行かれた
そして非常に奇妙な事実であるが、シスター・ルシア自身が彼と会うことを要求した
それゆえにルチアーニ枢機卿はコインブラのカルメル修道院へ出かけ、この幻視者と長い間話をした
私はシスター・ルシアが彼と第三の秘密について語り、そして彼にその本質的な内容を明かしたということを検証する位置にいる
彼はその秘密によって非常な感銘を受けた
彼はイタリアに帰った時に周りの人々に、彼がどのように感動させられたか、そしてそのメッセージがどのように重大なものであるかを話した
彼はそれからファチマについて精力的な言葉で語りまた書いた
そして彼が明らかに聖人であると考えたシスター・ルシアへの感嘆と完全な信頼を表明した(私はこれらの未公刊の事実についてのすべての証明を第四巻において示すであろう)
教皇になる以前に、彼は明らかに何かあることをする前には世論を準備することを望まれた
不幸なことに、彼は何かあることを言うことができる前に悲劇的にわれわれから取り去られた

ヨハネ・パウロ二世は1982年5月13日にファチマの巡礼に出かけられる前に、ポルトガル語に特有である、秘密のある表現を翻訳してもらうために教皇庁からポルトガル人の翻訳者の援助を求められた
それゆえに、彼もまた第三の秘密を読まれたのである
しかし彼もまた公表することを選ばれなかった

最後に、われわれはラッツィンガー枢機卿がまた同様にそれを読まれたということを知っている
というのは、彼はイタリアのジャーナリスト、ヴィットリオ・メッソーリに、彼がそれを読んだということを語られたからである
ラッツィンガー枢機卿は、その内容を非常に異なった言葉でほのめかしながら、−それはわれわれにとって意味があるが−1984年11月と1985年6月の二度の機会に、それについて書いてさえおられる
私は自分の書物の中で、これら二つの続けて公刊された版の梗概について公刊し注解した(注9)

4. 第四の主要な事実:
第三の秘密の預言は1960年以来、われわれの目の前に現在の時点においては公表されていない
実際、ファチマの預言の実現には一つの時間表、一つの年表がある

一方において、秘密の結論によって告げられた時間にはわれわれはまだ到達していないということは実際確かである
なぜか?そうされなければならず、そしていつかそうされるであろうように、ロシアがまだマリアの汚れなき御心に奉献されなかったからである
シスター・ルシアは1984年3月25日の行為の後でさえこのことを明らかに知らせた
ロシアはまだ回心していないし、そして世界は平和ではない、それから遙かに遠い!それゆえに、われわれはまだ預言の終わりにはいないのである

他方において、第三の秘密において告げられた諸々の出来事は単にわれわれの未来に関係があるだけではない
なぜなら、われわれはもう一つの導きのしるし、すなわち1960年という年を持っているからである
聖母は秘密は1960年には公表されるべきことを要求なさった
というのはルシアはオッタヴィアーニ枢機卿に「1960年にはメッセージはより明瞭に現れるでしょう」と語ったからである
ところで、一つの預言を何の疑いもなしにある特別の日付以後からより明らかにするようになる唯一の理由はその実現の始まりである
そしてわれわれは「第三の秘密において聖母によって予言された罰はすでに始まりました」と言っているルシアからのもう一つ別の言明を持っている

預言の出発点と終局点がこのように決定されたので、われわれは確実に、現在われわれは聖母が言っておられる時期に生きている、と言うことができる
それゆえ、われわれは第三の秘密を生きているのである
われわれはそれが告げている諸々の出来事の証人である

−−−
誤った秘密と誤った仮説

この信頼できるデータに基づくならば、われわれは25年間にわたって次々と公刊されてきた誤った秘密の全系列を捨てることができる
私はそれらのすべてを私の著作において引用している
そして私は例えば、それらのうちの最も有名なもの、ドイツの雑誌「ノイエス・オイローパ」によって1963年に普及された、そして無数の雑誌において絶えずリプリントされている「秘密」がいんちきであるということを論証した
このテキストの中にはこのことを十分に証明するいくつかの恐るべき誤謬がある
さらに、それは真の秘密の単なる「抜粋」の問題であるけれども、とわれわれは告げられるのであるが、これらの「抜粋」はすでにルシアが第三の秘密の全体を書き下ろした紙片の少なくとも四倍の長さのものになってしまうのである(注11)

われわれは同様にまた、多くの誤った仮説を捨てることができる
確かに、カプリーレ神父が敢えて主張するように、われわれは単なる「祈りと償いへの招き」に関わっているのではない(注12)
おとめマリアは1917年10月13日の公的なメッセージを一語づつ繰り返させた一つのメッセージを打ち明けるために1944年あるいは1960年まで待つようにルシアに求められたのではない!

[(フランス語から英語への)翻訳者の注:それは25行の秘密を書き下ろす際に、1943年10月から1944年1月までに経験した極端な困難を説明しないであろう
もしそれが単なる祈りと償いへの呼びかけであったならば、そのような困難は存在しなかったであろう]

それは幸福の問題でもない
ファチマの第三の秘密は、公会議は「一つの新しいペンテコステ」、「教会にとっての一つの新しい春の時期」であろうと宣言している教皇ヨハネ二十三世の楽観主義の見解とも一致しない
もしそうであったならば、彼自身が、あるいは彼の後継者たちがそれをわれわれに公表したであろう
カレイェイラ枢機卿はまさに正当にもこう言っている
「もしそれが楽しいものであったなら、われわれはそう告げられていたであろう
われわれは何事も告げられなかったのであるから、事実はそれが悲しいものであるということである」
その通りである
それは明らかに重大で悲劇的なものである
それはまた世界の終わりの告知でもない
というのは、ファチマの預言は一つの驚くべきそして無条件の約束でもって終わっているからである
それは時を選ばずいつも説かれるべき約束である
というのは、それは揺るがすことのできない希望の源泉だからである
すなわち、
「終わりに、私の汚れなき御心は勝利するでしょう
教皇はロシアを私に奉献し、ロシアは回心するでしょう
そして平和の時期が世界に与えられるでしょう」

それは第三次世界大戦の告知であろうか?
核戦争の告知であろうか?
そう考えることは理に叶っているであろう
なぜなら、ここでは預言は最も明快な政治的分析を確証する以外のことを何もしないだろうからである
おとめマリアはわれわれをそのように悲劇的に脅かしているこの最も恐るべき未来の戦争を予言されたのであろうか?

アロンゾ神父と共に、私はこれは明らかに第三の秘密の本質的な部分ではないと考える
そして私はこのことを確実な理由で言うのである:
すなわち、物質的懲罰の、新しい戦争の、そして教会に対する迫害のこの予言は第二の秘密の特別な内容を構成する
われわれはなおこれらの単純な言葉の恐るべき重要性について反省したであろうか?
すなわち、「善人は殉教するでしょう、教皇は多く苦しむでしょう、様々の国民が絶滅させられるでしょう」
シスター・ルシアはフエンテス神父にこう打ち明けた
「祝せられたおとめは私たちに多くの諸国民が地の表から消えるでしょう、ロシアは、もしわれわれがあの不幸な国民の回心を前もって獲得していないならば、全世界を(その罪のゆえに)罰するために天によって選ばれた懲罰の道具となるでしょう」(注13)

それが、「絶滅させられる」という言葉がその明白な意味において:
すなわち、絶滅させられる、完全に破滅させられる、と文字通り受け取られることが恐れられる理由である
1917年には起こりそうもないことであったが、この悲劇的な脅威は核時代における今日のわれわれにとってはもはやこじつけの議論ではない

それゆえに、なおわれわれを脅かしているすべての物質的な罰は、核戦争のような、あるいは全地球への共産主義の拡大のような最も恐るべき罰でさえ、聖母によってその第二の秘密においてすでに予言されているということは明らかである
そしてわれわれは遅すぎるようになる前にそれらを回避するための超自然的な手段をも知っているのである(注14)
アロンゾ神父によれば、われわれは秘密の第三の部分においてはこれらの物質的な懲罰については何も繰り返されていないということを確実に知ることができる
あるいは、少なくともそれについて再び言及されているとしても(まったくあり得ることであるが)、このことは第三の秘密の本質的な部分ではないだろうと、私は付け加えるであろう
実際、秘密は三つの相互に関連した、しかし異なった部分から構成され、そして天によって確定されたその公開の日付が同じ日付ではないから、秘密の第三の部分が数行のスペースのうちに第二の部分と同じことを繰り返していない、と確実に言うことができる

−−−
霊的な懲罰

疑いもなく、第三の秘密は一つの霊的な懲罰に主として言及しているのである
飢饉、戦争、迫害よりもそれはもっと悪く、もっと恐ろしいものである
なぜなら、それは霊魂、その救い、あるいはその永遠の破滅に関わっているからである
1966年にヴェナンシオ司教によってファチマの公式記録保管人として指名された故アロンゾ神父は、これが第三の秘密が含んでいるものである、ということを証明した
彼は、不幸なことに公刊することを禁止された14巻から成る彼の批判的な大著の巻の一つにおいてそれについて書いた
しかし、彼は1981年12月12日の彼の死の前に、彼の結論を様々のパンフレットそして神学雑誌の多くの論文においてわれわれに知らせることができた

私の個人的な研究は新しい記録が確証させることになった彼のテーゼについて明らかにし、完成しそしてより特殊的であることを私に許しただけである

ここに最も重要なことがある
1984年9月10日にレイリア・ファチマの現在の司教コスメ・ド・アマラル司教はウィーンの技術大学の大講堂(アウラ・マグナ)において、質疑の中で次のように述べた
「ファチマの第三の秘密は原爆や核弾頭あるいはSS20ミサイルについて語っているのではない
その内容はただわれわれの信仰にのみ関わるものである
この秘密を破局の告知あるいは核によるホロコーストと同一視することはこのメッセージの意味をゆがめるものである
ある大陸の信仰の喪失はある民族の絶滅よりも悪い
そして信仰がヨーロッパにおいて常に減退しつつあるということは真実である」(注15)

十年間、このファチマの司教は第三の秘密の内容に関して完全な沈黙を守ってきた
彼がそのように断固として一つの公式的な陳述をするために口を開くとき、われわれは彼がこのことを前もってシスター・ルシアに相談せずに言ったのではないと、道徳的に確実に言うことができる
1981年に彼がすでに幻視者にその主題に関して質問したと言いながら、いくつかの誤った秘密を反駁していたから、われわれはこのことについていっそう確信を持つことができる

このことは、アロンゾ神父のテーゼは今やファチマの司教によって公式に確証されたということを意味する
それは教会内における恐るべき危機である
それは、もし無原罪の聖母の要求が十分に遂行されないならば[起こる]、まさにわれわれの時代に対して聖母が予言した信仰の喪失であり、そしてわれわれが1960年以来目撃してきたのはこのドラマである
本質的なことが言われたので、私は今や第三の秘密の真の内容に関する私の証明の主要な段階に言及することに満足するであろう

−−−
信仰の喪失

第一章において(注16)私は第三の秘密が特殊的に信仰の喪失を取り扱っているということを証明する諸理由を挙げた
それはわれわれがすでに知っている秘密の主要な要素である
実際、われわれはそれの内容だけ以上のことを知っている
シスター・ルシアはわれわれに対してそれの第一の文章を指摘しようと望んだ
「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保存されるでしょう....云々」幻視者が秘密の最初の二つの部分を書き下ろし、そして彼女の覚え書きにおいて第二番目に秘密の結論を書いたときに、確実にそして意図して付け加えたこの短い文章は決定的に重要である
それは非常に明確に第三の秘密への鍵をわれわれに提供する

ここにアロンゾ神父の賢明な注解がある
「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保存されるでしょう」この文章はまったく明確に他の諸国民に降りかかるであろう信仰の危機的な状態を意味する
すなわち、ポルトガルがその信仰を守るであろうのに対して、信仰の危機が存在するであろうということを意味する」アロンゾ神父はさらに次のように書く
「それゆえに、マリアの御心の偉大な勝利に先行する時期に秘密の第三の部分の対象である恐るべき事柄が起こるであろう
どのようなものか?
『もしポルトガルにおいては信仰の教義は常に保存される』ならば、われわれはそのことから、完全に明瞭に、教会の他の諸部分においてはこれらの教義は曖昧なものとなるか、あるいはさもなければ失われさえするであろう、と推論することができる」

専門家の大部分すなわちマルティン・ドス・レイス、ガランバ参事会員、ヴェナンシオ司教、ルイス・コンドル神父、メシアス・ディアス・コエルホ神父はこの解釈を採用した
先の11月18日、彼がパリで行ったコンフェランスの中でローランタン神父は彼自身もこの解決に賛成であると述べた(注17)

ラッツィンガー枢機卿自身この意味において、第三の秘密は「信仰とキリスト者の生活を脅かす危険」に関わると言いながら、ヴィットリオ・メッソーリに対して語ったということを付け加えよう
最後に、われわれが言ったように、ファチマの現在の司教はそれ以上になお明白である
彼はそれが数カ国の国民と全大陸のスケールにおける信仰の危機であるということを理解させた
そのような喪失は聖書の中にその名前を持っている
すなわち、それは棄教である
この言葉は秘密のテキストのうちに見出される可能性がある

−−−
司牧者のたじろぎと罰

他の章において(注18)、私はそれ以上のことがあるということを示している
すなわち、第三の秘密は確かに25年間教会に打撃を与えてきた前例のない信仰の危機における聖職に任じられた霊魂、司祭、そして司教自身でさえの重い責任を強調している
私はそれらのいくつかの証明、いくつかの非常に明瞭な指摘を提供する
私はここであなたたちにアロンゾ神父を引用することで満足しなければならない
「それゆえに、第三の秘密のテキストは教会内部の信仰の危機と司牧者自身の怠慢、そして高位聖職者による重大な司牧的怠慢を具体的に示しているということは完全にありそうなことである」

これらの非常に重大な言葉を、アロンゾ神父は確かに書かなかったし、またそれらを全体的なインパクトを注意深く考えることなく非常に明瞭にそしてあからさまに公刊しなかった
ファチマの公式の記録保管者として、彼は労働とさまざまのインタビュー、シスター・ルシアとのさまざまの会話の10年の後に、少なくとも幻視者の暗黙の同意において確信させられることなしにそのように大胆なそしてそのように赤熱した立場を採用しなかっただろうか?その答えはまったくいかなる疑念をも許さないものである

聖職階級の諸欠陥のこの宣言は三人の幻視者たちが教皇のために絶えず祈り、多く祈り、犠牲を捧げることへと自らを強いることになったつきまとって離れない関心、シスター・ルシアがこのテキストを思い切って書き下ろ前に直面しなければならなかった乗り越えることがでいないほどの不安の三ヶ月を説明する
それは最後に楽観論者のヨハネ二十三世以来の諸教皇があらゆる犠牲を払ってもそれを隠そうと努めながら、後のその公表まで躊躇し、遅らせ、絶えず延期したのはなぜかを説明する

−−−
悪魔的な方向逸脱の波

第三章において(注19)、私はシスター・ルシアが明らかに、われわれの時代における悪魔の解放を強調している彼女の言葉や手紙のいくつかの中で第三の秘密の一つの主題を反響させているということを示している
すでに1957年に、彼女はフエンテス神父にこう打ち明けた

「いとも聖なるおとめは私に、聖母に対する一つの決定的な戦いにまさに参加しようとしている...そして悪魔は何が最も神に反することであるか、そして何が最も多くの霊魂を可能な限り最も短い時間で悪魔に獲得させるか、を知っている、言われました
悪魔は神へ聖別された霊魂を獲得するためにはあらゆることをします
なぜなら、このやり方で、悪魔はその指導者に見放された信者の霊魂を離れさせることに成功するでしょうし、そのことによってますます容易に悪魔は彼らを捉えるでしょうから」

しかし、彼女が教会の現在の危機を記述するためにいくつかの際だった表現を用いているのは特に1969-1970年のほとんど知られていないがしかし非常に重要な一連の手紙の中でである
そして、非常に謙遜で、また権威を非常に尊敬している一つの霊魂の持ち主のペンを通じて、そのような強い表現は明らかに信仰の防御と教会の福祉に関するその最後のメッセージにおける汚れなきおとめのまさに口から聞いた言葉の反響である、ということをよく注意しよう

彼女はある司祭に次のように書いている

「私はあなたの手紙によって、あなたがわれわれの時代の方向逸脱によって心を奪われているのが分かります
実際、非常に多くの人々が世界に吹き荒れている悪魔的な波によって支配されるままにわが身を委せているということ、そして彼らが誤りを見ることができない点まで盲目になっているということを悲しく思います!
主たる誤りは彼らが祈りを放棄したということ、彼らがこのようにして神から疎遠になったということです
そして神なしにはすべては欠けたものです」

「悪魔は非常に狡猾で、私たちを攻撃するために私たちの弱点を探しています」

「もし私たちが神から強さを得るために勤勉で注意深くないならば、私たちは倒れるでしょう
なぜなら、私たちの時代は非常に邪悪であり、そして私たちは弱いからです
ただ神の強さだけが私たちをしっかりと立たせることができるのです」

マリア信心の擁護に熱心に関わっているある友人への手紙の中で、シスター・ルシアは次のように書いている

「人々に毎日ロザリオを唱えるようにさせてください
聖母は、私たちが誤った教義によって欺かれないように、悪魔的な方向逸脱のこれらの時代にわれわれを強めるかのように、御出現の度に必ずそのことを繰り返しておられます
...不幸にも、宗教的な事柄において人々はその大部分が無知であり、そして導かれるところへはどこへでも連れて行かれることを許しています
それゆえ、彼らを導く義務を持っている者の大きな責任は...」

「世界を襲い、霊魂を欺いているのは一つの悪魔的な方向逸脱です
『悪魔』に対して立ち上がることが必要です」

1970年9月16日に、彼女はある宗教的な友人にこう書いています:
「私たちのお可哀想な主よ、主はそのように大きな愛でもって私たちを救われました
そして主はそのようにわずかしか理解されていないのです!
そのようにわずかしか愛されていないのです!
そのように悪しくしか仕えられていないのです!
そのように大きな混乱を見ること、そして責任ある地位を占めているそのように多くの人々のうちにそれを見ることは苦痛なものです!
...私たちにとって、私たちにとって可能な限りたくさん、私たちは一つのなおより親密な主との一致を通じて償いをしなければなりません
...あなたが言っていることがらを見ることは私を苦しめます
しかし今はそのことがここでもまた同じように起こっています!
...事実は悪魔が善の見せかけの下に悪へ導くことに成功しているということ、そして盲目になった人々が他の人々を導き始めているということです
...これは主が福音書において私たちに語られたことに似ています
そして多くの霊魂はその中へ連れて行かれることを自らに許しています
私は、神の教会における平和のために、司祭たちやすべての聖別された霊魂たちのために、特にそのように欺かれそして間違った方向へ導かれている人々のために、喜んで私自身を犠牲にし、私の命を神に捧げます!」

われわれは教会における悪魔の徒党に対して抵抗しなければならない

おとめマリアに信頼する者にとって、悪は「堕落のうちにある」、「不道徳と驕りの誤謬の闇の中に沈んでいる」われわれの世界の中だけにあるのではない
悪はまた教会それ自身の中にも存在する
そこでは、悪魔は、常に「大胆な厚かましさで先頭を切っている」彼の「追従者たち」と彼の「徒党」を持っているのである
彼らに直面して、抵抗する勇気を持たない非常に多くの「臆病な人々」が存在する
そして、シスター・ルシアは多くの司教たちが彼らの中に数えられる、と述べることを恐れない
さらに、それは単に生ぬるさあるいは司牧的な怠慢の問題ばかりではなくて、攻撃されているのは信仰それ自身であるということをシスター・ルシアは明らかに理解させようとしている
彼女は「誤った教義」そして「悪魔的な混乱」「盲目」について語っており、そしてこのことは教会においてまさに「大きな責任を持っている」人々の間に見られるのである
彼女は非常に多くの司牧者たちが「世界に吹き荒れている悪魔的な波によって支配されるままにわが身を委せている」という事実を深く悲しんでいるのである
誰が、サタンがその主人公である世界
...へと自らを明け渡した教会の危機をこれ以上によく記述することができるであろうか?

しかし、シスター・ルシアは「聖母は悪魔的な方向逸脱のこれらの時代が来なければならなかったことを知っておられた」と強調している
幻視者のこれらすべての言葉は、そしてわれわれが引用することができる非常に多くの他の人々の言葉は、1917年7月13日にその第三の秘密において聖母が、もし聖母の要求が従われないならば、教会を突然襲うであろうこの「悪魔的な方向逸脱」を特別に予言しておられたとすれば、完全に説明されるのであり、そして非常にはっきりと目立つのである

聖書によって告知されている「時の終わり」の大棄教

第三の秘密の内容に関して彼女に質問したある人に対して、シスター・ルシアはある日次のように答えた

「それは福音書の中に、そして黙示録の中にあります
それらを読みなさい」と

彼女は同様にまたフエンテス神父に、聖母が「私たちが世の最後の時代にいる」ということを明瞭に彼女にお見せになったということを打ち明けた
このことは、世の終わりの時、そして最後の審判の時を意味するのではないということを、われわれは強調しなければならない
というのは、マリアの汚れなき御心の勝利が最初に来なければならないからである

第三の秘密の内容を慎重にほのめかしているラッツィンガー枢機卿自身次の三つの重要な要素に言及した
すなわち、「信仰を脅かす諸々の危険」、「最後の時代の重要性」そして「この第三の秘密に含まれている」預言は「聖書に告知されてきたものと一致している」という事実である
われわれは、ある日ルシアが黙示録の第8章と第13章を指摘したということさえ知っている

それが、私が今日そのように無視されたわが主の、聖パウロの、そして聖ヨハネの偉大な教えを、私の書物の最後の二つの章で取り上げる理由である!
すなわち、諸困難の告知、異端、そして最後に「最後の時代」に教会の中で起こるであろう大棄教である
そして聖書の、−特に黙示録の−諸預言と、二十世紀の初頭のファチマの聖母の偉大な預言との客観的な比較は実際非常に多くのそしてまったく驚くべき平行を示している

−−−
III. 最終的にファチマの聖母に聴き従うことが緊急である

われわれは教会のすべての信徒たちにマリアの秘密の完全なそして全部のテキストを、その明快な真理性、その預言的な豊かさそしてその神的な透明性において、遅滞することなく知らせることよりも重要で必要でそして緊急なことはないということを理解するために十分に述べた
ここで、この公開の緊急性の基礎となっている多くのそして堅固な諸理由を引用することが適切であろう

第三の秘密はなぜ明らかにされるべきであるか

1.「聖母がそれを望まれているからである」

実際、われわれは聖母の意志は、聖母がそれを三人の羊飼いたちに明らかにされた1917年7月13日の恩恵の瞬間以来少しも変化していないし、また聖母がトィイの修道院においてシスター・ルシアに御出現になり、彼女にそれのテキストを書き下ろすように求められた1944年1月2日以来変化しなかったということを知っている
聖母はこの預言的な神命が明らかにされること、それが知られることを望んでおられるのである
そして聖母のメッセージを伝える者であるシスター・ルシアはこの公開を望み続けたし、彼女が許された限り、彼女は権威のうちにある人々からそれを緊急に要求した、ということをわれわれは知っている

2. 諸々の霊魂の善のためである

なぜなら、非常にしばしば繰り返された誤りとは反対に、秘密はもっぱら教皇にだけ向けられたものではないからである
二人の先行者たちと同様に、それはすべての信徒にむけられたものである
教会の子として、われわれはすべてマリアの子どもである
われわれはすべてわれわれの天の御母がこの非常に危険な時期に、われわれ−われわれ自身とわれわれの子どもたち、われわれにとって大切であるすべての人々−を救うために、われわれの祖先から受け取った真のカトリックの信仰をわれわれの心のうちに損なわずに生き生きと保つために、われわれに宛てられた救いの警告を知る権利を持っている

3. この秘密が明らかにされない限り、世界の平和は悲劇的に脅威にさらされたままであり続けるであろう!

私はそのことをこう解釈する
われわれは、神がそうであるようにとそれを要求されたように、ロシアがマリアの汚れなき御心に奉献されない限り、ロシアは回心させられないであろうと固く信じる
そしてロシアが回心させられない限り、その無神論的そして迫害的なボルシェヴィズムからそしてロシアを奴隷化している悪魔的な諸力の支配から解放されない限り、核の黙示録の危険は世界に対する一つの恐るべき脅威として残るであろう

神は世界の平和がわれわれの世紀においては、ファチマに御出現になった神のいと聖なる御母の命令に対する教皇および司教たちの熱心な子としての従順に依存しているということを望まれた
ところで、無原罪の仲介者に対する信仰の、信頼する従順のこの行為−それを通じてわれわれの司牧者たちはロシアの奉献を遂行するであろう−は同様にまた、−私はとりわけ、とさえ言いたいが−秘密の受容と公開を前提とする
それは一つの歴史の教訓である:
1960年以来、聖母の秘密の意図的な、無礼な秘匿は聖母の他の諸要求をまさに正確に遂行することの拒否と手に手を携えてきた
他方において、第三の秘密の公開は教会がファチマ・メッセージの神的な確実性と重要性を公式に承認したという明白なしるしであろう
ロシアの奉献に対する主要な障碍の一つはその場合には取り除かれるであろう!

4. 最後にそして特に、教会の善のためである

疑いもなく、教会がその歴史において最も重大な危機を経つつある間に、あらゆる種類の異端が教えられ、広められ、神の民を至る所で毒しつつある間に、1960年以来、パウロ六世の表現を用いるならば、教会の「自己破壊」が続いている間に、そして「悪魔の煙」(注20)が聖なる場所の中に浸透したときに、われわれが経験しつつあるまさにこの「信仰の危機」に関して−おとめマリアの救いに役立つ言葉を無視し、軽視し、軽蔑し続けることは非常に残念なことであり、そして確かに犯罪的でさえあろう
天の元后が1917年という早い時期にその危険を予言されたのであるから、そして聖母が確かにそれの真の原因を指摘されたのであるから、そしてさらに、聖母が効果的な救済策を提示されたのであるから、1960年に公に知らされるように意図されたこれらの救済策がなおわれわれに明らかにされなければならないということは一つの恐るべき恥ではないだろうか?
25年間にわたって数百万の霊魂がこの「悪魔的な方向逸脱」において苦しみ、そして天が彼らに提供している例外的な援助をかたじけなく受けようとする教会の司牧者なしに永遠に失われるという危険に曝されてきたということはけしからぬことではないだろうか?

われわれは繰り返し教皇に願わなければならない

今やファチマの秘密の公開のためにわれわれの繰り返しの嘆願を教皇に提出し続けることをわれわれに義務づける非常に多くの理由が存在する
それは聖母の名誉のためであり、われわれの兄弟たちの救いのためであり、世界の平和のため、教会の刷新のためである
最近の偽りの報告がわれわれに信じさせようとしているように、ファチマの秘密は「それが誤解される恐れがある」から公開されることはできないと告げられることがないようにしよう
1917年に、われわれがそれ以来目撃してきた当時予見できなかった非常に多くの出来事を予見し、告知された預言者たちの元后が、聖母の秘密を教会にとって完全に役立たないものとする点まで、この危険を予見することに失敗されたというようなことが可能であろうか?これは考えられ得ないことである!そうではない
聖母の秘密は解釈において少しも曖昧さや困難を持たない明らかなものである、ということについてわれわれは確信を持つことができる
次のように言うことさえ敢えてしようではないか!すなわち、むしろわれわれの司牧者を不安にさせているのはそのあまりにも大きな明瞭性のゆえではないだろうか?それゆえに、教皇が神からすべての障碍を最終的に克服することを彼に許す光と強さを受けることができるようにたゆまずに祈ろうではないか
すでに遅いのであるが、しかし、イエズスはシスター・ルシアを通して「イエズスとマリアに依り頼むのに決して遅すぎるということはないであろう」と告げておられる

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
最後に、そして次のことで私は結論を出そうと思う
もし教皇がまだその個人的な権威を行使することによって聖母の最後の秘密を公開する決断をすることがおできにならないならば、彼は秘密は信徒に知らされるべきであるという聖母のはっきりした命令に従うために、少なくとも教皇庁の長官、あるいはレイリアの司教、あるいは幻視者自身に、完全な自由を許されるべきではないだろうか?

第三の秘密は「禁書目録に載せられている」のか?

なぜなら、25年間以上にわたってファチマの秘密が、そしてそれだけがある仕方で禁書目録に載せられているということは一つの驚くべき事実だからである(注21)
シスター・ルシアが、そして彼女だけが沈黙を強いられている
1966年11月15日に教皇パウロ六世は教会によってまだ承認されていない新しい御出現、啓示、あるいは預言を認可なしに広める書物やパンフレットの公刊を禁じた教会法法典の第1399項と第2318項とを廃止された
そしてこの新しい廃止は今や新しい法典の中にあるのである(注22)
その結果、1966年以来この最もすばらしい啓示を誰でも公刊しキリスト者の間に広めることができる
いかなる欺瞞も、そして悪魔的な行為も、何一つもはや禁じられていない
あらゆる事柄は公刊することを認可されている
そして「虚偽の君」は世界中に偽の御出現といかさまのメッセージを増やすことによって巧みにこの認可を利用している
それらは至る所に自由に広まり、そして無数の信徒を迷わせている
最も確実にそして最も問題なしに神からのものであるファチマのメッセージ、秘密だけが公刊することを破廉恥にも禁じられている唯一のメッセージである

結論は明らかである
ファチマの幻視者に語らせるべき時もまた到来しているのである
そして彼女を通して無原罪のおとめ、神の母でありわれわれの母、われわれすべての愛すべきそしてすべてのものが愛している仲介者そして共なる救済者も語られる時が来ているのである
聖母に聴くことは緊急のことである
というのは、聖母が1917年7月13日に御自身でわれわれに告げられたように、「聖母だけがわれわれを救うことができる」からである(注23)

われわれの最後の希望−ファチマの聖母

聖母の三つの秘密は実際、神が聖母にゆだねられたその三重の力と三重の使命をわれわれに明らかにしている
神はわれわれの世紀に聖母のこの使命を最も人目をひく仕方で明らかにすることを望まれた
神が霊魂、すべての霊魂を回心させ、それらを救おうと望まれるのは聖母を通してであり、地獄の幻視と聖母の無原罪の御心の啓示、第一の恐るべきそして驚くべき秘密を通してである
なぜなら、聖母は「憐れみの御母」であり「天の門」だからである
神がキリスト教世界を救い、恐るべき諸戦争と共産主義の奴隷化からわれわれを救い出すために求めておられるのは聖母を通して−聖母の第二の秘密における命令、約束、脅威を通してである!
なぜなら、神は聖母を「平和の元后」として立てられたからである
さらに、神が教会の上に押し寄せてきているあの「悪魔的な波」、聖所においてさえ支配権を持っている不信仰そして現代の棄教を広めそして助長しているあらゆる暗黒の諸力を今日克服するために望んでおられるのは聖母を通して、聖母の第三の秘密の預言を通してである
なぜなら、聖母は「真の信仰の擁護者」であり、そして聖母だけがその御子から全世界における諸々の異端のすべてを克服する力を受けられたからである
すなわち、'Cunctas haereses tu sola interemisti in universo mundo!'「あなただけが全世界において全異端を克服された!」

われわれの大きな希望!

そして聖母の偉大な秘密がわれわれに明らかにしている無原罪の仲介者のこの三重の使命は同様にまたわれわれのくじくことのできない希望のための揺るがすことのできない基盤である
確かに、聖母の秘密が最終的に完全に明らかにされ、そして真正のものとして認められるとき、ロシアが最終的に聖母に荘厳に奉献されるとき、そして初土曜日の償いの信心が公式に承認されるとき、忠実で力強いおとめ、「信じる者の童貞」、「力ある童貞」がそのすばらしい約束を果たされるということをわれわれは確信することができるのである

喜びに満たされてわれわれはそのときイエズスの聖心の普遍的な支配を準備する聖母の汚れなき御心の勝利を目撃するであろう
めざましい回心の奇跡を通じてその悪魔たちから解放されたロシアはローマの統一の羊の群に戻るであろう
カトリック信仰がすべての諸民族に説かれるであろう
そして無数の霊魂は一人の牧者の導きの下にキリストの唯一の聖なるカトリックの使徒的ローマ教会における救いの泉へと喜びのうちに進むであろう!

その通り、この時間は来るであろう
しかし、われわれ自身愛をもってこの瞬間以後聖母のすべての要求を遂行することによってそれを早めなければならない

なぜなら、聖母はわれわれを必要としておられるからである
聖マキシミリアノ・コルベがいつも言っていたように、
「現代は悪魔によって支配されており、そして悪魔は未来にはもっと多くさえなるであろう
...無原罪の聖母だけが神からサタンに対する勝利の約束を受けられた
しかし、天の栄光のうちにおられる聖母は聖母と共に働くわれわれを今日必要としておられる
聖母は御自分に完全に奉献され、聖母の手の中でサタンを克服する一つの力となる、そして聖母の導きの下に神の国を確立するための効果的な手段となる霊魂を求めておられる」

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
脚注

1. 付録を見よ
2. フレール・ミッシェルの書物『第三の秘密』、33-56ページおよび467-478ページを見よ
3. これは少なくともマザー・パスカリーナがジャーナリストのロベール・セルーに1957年5月14日にヴァティカンでの写真報告集会の機会に確証したことである(『第三の秘密』、484-486ページ)
[マザー・パスカリーナは教皇ピオ十二世の世話をした数人のシスターたちの監督をしていた]
4. 『第三の秘密』、486-502ページ
5. 巡礼の像の行列の間に、鳩が放された
ときどき鳩たちは飛び去るよりもむしろ像の足下に群をなした
(『第三の秘密』、99-103,251,533,534ページ)
6. 『第三の秘密』、578-586ページ
7. このつじつまの合わない主題は『科学と諸事実』、381-434および482-528ページにある
[ダニス神父は彼が最初に1944年にこの主題を公刊したとき、ルーヴァン大学の神学教授であった
基本的に、彼はシスター・ルチアの覚え書き(1935-1941年に書かれた)は信頼できないものであると主張した
]これは上に注記したように、フレール・ミッシェルによってその第1巻において完全に反駁されている
8. 『第三の秘密』、721-734ページ
9. 枢機卿の「ヴァリエーション」からわれわれが引き出すことができる結論については『第三の秘密』、818-840ページ
10. この日に教皇ヨハネ・パウロ二世は世界をマリアの無原罪の御心に奉献したが、世界のすべての司教たちに彼らの関係する教区からこの行為に参加するように求めた後に、ロシアについては(名を挙げずに)間接的に言及した
11. 『第三の秘密』、英語版642-663ページ
12. 『チヴィルタ・カットリカ』の1960年6月の版
13. フエンテス神父へのこの宣言は、アロンゾ神父と私もまた示しているように、確実に真正なものである
私はこのことを私の書物『第三の秘密』、503-510、549-554ページにおいて論証した
それについて私が、アロンゾ神父に従って、その議論の余地のない真正性を示している、1957年12月のフエンテス神父へのシスター・ルチアの宣言(『第三の秘密』、503-510、549-554ページ)はファティマのメッセージの一つの際だった綜合である
私の友人たちへの書簡において1962年に公刊され、そして再び1974年に『二十世紀におけるカトリック反宗教改革』(No.87,p.12,フランス語版)においても公刊された、このテキストは常に非常に時宜にかなっていたが、広まり続けるに値するものである(テキストについては『第三の秘密』、504-508ページを見よ)
14. それによって世界平和がもたらされるであろう主たる超自然的な手段は、1925年12月10日と1929年6月13日に聖母によって要求された、教皇と世界の全司教とによるマリアの無原罪の御心へのロシアの奉献と初土曜日の償いの聖体拝領(付録を見よ)である
15. 地獄の永遠の火から救われるためには各々のカトリック者はその信仰を失ってはならないということはカトリック教会の教義であるから、司教はそのように強い声明を出すことができた
明らかに身体的な絶滅は永遠にわたっての地獄への霊魂の喪失ほどには悪いものではない
それが第三の秘密において宣言されたこの懲罰が戦争や死よりも悪い理由である
16. 『第三の秘密』、683-693ページ
17. われわれの知識によれば、ただアントニオ・マリア・マルティンス神父とゲラルデス・フレイレ神父だけが他の仮説を主張し続けている
それによれば第三の秘密はポルトガル、その海外植民地そして全世界への共産主義の拡大に関わっているとされる(『第三の秘密』、735-744ページ)
18. 『第三の秘密』、694-720ページ
19. 『第三の秘密』、745-762ページ
20. 教皇パウロ六世は1968年12月7日に行った教会の「自己破壊」を嘆いた
1972年6月29日のある説教において教会に入り込んだ「サタンの煙」に言及した
『第三の秘密』、849ページ、注1および2を見よ
22. 新教会法法典は1983年1月25日に公布された
23. 一つのファティマの秘密の三つの部分はこの日付で与えられた
われわれはそれらを(一つの話し方において)三つの秘密と呼ぶことができるであろう
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
終わり
96/11/27 三上 茂 試訳



戻り


===7===============

ヨハネの黙示録:第8章(CHAPTER 8):

http://web1.kcn.jp/tombo/v2/REVELATION08.html

1.小羊が第七の封印を解いた時、半時間ばかり天に静けさがあった

2.それからわたしは、神のみまえに立っている七人の御使(みつかい)を見た
そして、七つのラッパが彼らに与えられた

3.また、別の御使が出てきて、金の香炉を手に持って祭壇の前に立った
たくさんの香が彼に与えられていたが、これは、すべての聖徒の祈に加えて、御座の前の金の祭壇の上にささげるためのものであった

4.香の煙は、御使の手から、聖徒たちの祈と共に神のみまえに立ちのぼった

5.御使(みつかい)はその香炉をとり、これに祭壇の火を満たして、地に投げつけた
すると、多くの雷鳴と、もろもろの声と、いなずまと、地震とが起った

6.そこで、七つのラッパを持っている七人の御使が、それを吹く用意をした

7.第一の御使が、ラッパを吹き鳴らした
すると、血のまじった雹(ひょう)と火とがあらわれて、地上に降ってきた
そして、地の三分の一が焼け、木の三分の一が焼け、また、すべての青草も焼けてしまった

8.第二の御使が、ラッパを吹き鳴らした
すると、火の燃えさかっている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた
そして、海の三分の一は血となり、

9.海の中の造られた生き物の三分の一は死に、舟の三分の一がこわされてしまった

10.第三の御使が、ラッパを吹き鳴らした
すると、たいまつのように燃えている大きな星が、空から落ちてきた
そしてそれは、川の三分の一とその水源との上に落ちた

11.この星の名は「苦よもぎ」と言い、水の三分の一が「苦よもぎ」のように苦くなった
水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ

12.第四の御使が、ラッパを吹き鳴らした
すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一とが打たれて、これらのものの三分の一は暗くなり、昼の三分の一は明るくなくなり、夜も同じようになった

13.また、わたしが見ていると、一羽(わ)のわしが中空を飛び、大きな声でこう言うのを聞いた
「ああ、わざわいだ、わざわいだ、地に住む人々は、わざわいだ」
「なお三人の御使(みつかい)がラッパを吹き鳴らそうとしている」




戻り


===8===============

ヨハネの黙示録:第13章(CHAPTER 13):

http://web1.kcn.jp/tombo/v2/REVELATION13.html

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1.わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た
それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた

2.わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった
龍(りゅう)は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた

3.その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった
そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い、

4.また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか、だれが、これと戦うことができようか」

5.この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた

6.そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名(みな)と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した

7.そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた

8.地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう

9.耳のある者は、聞くがよい

10.とりこになるべき者は、とりこになっていく
つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない
ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある

11.わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た
それには小羊のような角が二つあって、龍(りゅう)のように物を言った

12.そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた
また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた

13.また、大いなるしるしを行って、人々の前で火を天から地に降らせることさえした

14.さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた

15.それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた

16.また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、

17.この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした
この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである

18.ここに、知恵が必要である
思慮のある者は、獣の数字を解くがよい
その数字とは、人間をさすものである
そして、その数字は六百六十六である



戻り


====参考文献終わり====






 >>目次2012へ