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ひふみ神示を太陽(ミロク)原理、神の数学、『太陽のサイト』・『宇宙の真相』・『終末と太陽の検証』・『ひふみ神示黎明編』、世界の民の会より解読。

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一二三神示

解読編CONCEPT

黄金の巻 第30帖 (541)

 一四三○ 【ビョーサマ・太陽(ミロク)を補佐する今生で30年準備されたお方】一四三○ (ビョーサマ)、改心を 早くするのが結構なのです。
 道を知るのみでは何にもなりません。
 道を味わいなさいよ。歩みなさいよ、大神の道には正邪がないのです。
 善悪がないのです。
 大神の道が人の世にうつって正と見え邪と見えるのです。
 人の道へうつる時は曇っただけのレンズを通すのです。
 レンズを通してものを見ると逆立するのです。
 神に善と悪があるように人の心にうつるのです。
 レンズを外しなさい。
 レンズを外すとは神示を読むことです。
 無き地獄を、人が生むのです。
 それが罪です。
 曲(くせ)なのです。
 今迄は太陽(ミロク)は眠り転生中の影の守護であったのですがこの度目覚めはじめて岩戸がひらいて表の守護となり、裏表揃った守護になったら、まことの守護なのです。
 悪も善も、もう隠れるところが無くなるのです。
 かのととり。
 一二十


解説と補足説明

一四三○ (ビョーサマ)について

「千平さんのメール(黎明編Mail023)より」

千平さんのメール

千成さん、掲載していただき、ありがとうございます。
私なりにも考察していきたいと思えたので、今後も宜しくお願いします。
さて、「さとさと」の部分ですが、漢数字に置き換えてみますと、三と十になります。

三十と読めば、日月神示「そなたが、三十に」との整合性が表われます。神示は立体的に読むことから考えると、「たをと」をどう解読するかで、「ビョーサマ」も見えてくるのではないかと思います。

いままでのよふなる事ハゆハんでな
これからさきハさとりばかりや
このさきハなにをゆうやらしれんでな
どふぞしかりしやんしてくれ
さとさと たおとたおと びょさま びょさま
このはなしあいづたてやいてたならばなにについてもみなこのとふり
これをはな一れつ心しやんたのむで

おふでさきの最後の最後に、
「この先は何を言うか知れない、しっかり考えなさい」

三十 三十 たをと たおと ビョーサマ ビョーサマ「この話しに合図立てあいが出るが、この神示と同一である」

「ここのところを、臣民、人民は、心を一つにして、よく思案をしなさい」

と書かれてあると考えると、おふでさきや、その直後の、大本神諭などなど、立体的に読み解く必要を感じます。直感的ではありますが。

千成さんのメール

千平さん
さとさとは、三十 三十 だったのですかぁ。
貴重な考察とっても助かります。

三十 三十 たをと たおと ビョーサマ ビョーサマの部分の たをと たおと は 尊い 貴い と読むのかもしれませんね。

すると、全体では
三十 三十 尊い 貴い 歳三十 歳三十 
という意味になります。

そなた、と呼びかけられる方が、2012年か2013年に三十歳になるようですが・・・

年月日

昭和二十四年十一月二十七日
 旧十月八日(1949年)

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