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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三079

下つ巻 第37帖 (079)

 世が変りたら天地光り人も光り草も光り、石も物ごころに歌ふぞ、雨もほしい時に降り、風もほしい時に吹くと雨の神、風の神 申して居られるぞ。今の世では雨風を臣民がワヤにしているぞ、降っても降れず、吹いても吹かん様になりてゐるのが分らんか。盲つんぼの世の中ぞ。神のゐる場所塞いで居りて お蔭ないと不足申すが、分らんと申しても余りであるぞ。神ばかりでもならず、臣民ばかりではなおならず、臣民は神の入れものと申してあろが、あめのひつくの民と申すのは、世界治めるみたまの入れもののことぞ、民草とは一人をまもる入れものぞ、ひつくの臣民は神がとことん試しに試すのざから、可哀そうなれど我慢して呉れよ、その代り御用つとめて呉れたら、末代名を残して、神からお礼申すぞ。何事も神は帳面につけとめてゐるのざから間違ひないぞ、この世ばかりでないぞ、生れ代り死に代り鍛へてゐるのぞ、ひつくの臣民 落ちぶれてゐると申してあろがな、今に上、下になるぞ、逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいたぞ、逆立ち苦しかろがな、改心した者から楽にしてやるぞ、御用に使ふぞ。八月三日、ひつ九のか三。
平易意訳

 世が変りましたら天地が光り人も光り草も光り、石も物ごころに歌います。雨もほしい時に降り、風もほしい時に吹くと雨の神、風の神 申して居られます。
 今の世では雨風を臣民がワヤにしているのです。降っても降れず、吹いても吹かない様なっているのが分りませんか。
 盲つんぼの世の中です。
 太陽(ミロク)達のいる場所(太陽達の国)を塞いで居て お蔭ないと不足申しますが、分らないと申しても余りです。
 この度の仕組は太陽(ミロク)ばかりでもならず、臣民ばかりではなおならず、臣民は神の入れものと申してあるでしょう。あめのひつくの民と申すのは、世界治めるみたまの入れもののことです。民草とは一人をまもる入れものです、ひつくの臣民は あめのひつくの神がとことん試しに試すのですから、可哀そうですが我慢してください。その代り御用つとめてくれましたら、末代名を残して、神からお礼申します。
 何事も太陽(ミロク)の仕組の神は帳面につけとめているのですから間違いないのです。この世ばかりではありません。生れ代り死に代り鍛えているのです。ひつくの臣民 落ちぶれていると申してあるでしょう。今に社会の上層部が下になります。逆立ちが元に返って、元のよき楽の姿になるのが近づきました。逆立ち苦しいでしょう。改心した者から楽にしてやります。御用に使います。
 八月三日、ひつ九のか三。


解説と補足説明

  • yuru63:2014/01/08
     天界の太陽達の国を地上世界に現わそうとする仕組があるのかもしれません。


年月日

昭和十九年八月三日
 旧六月十五日(1944年)

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