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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三081

富士の巻 第01帖 (081)

 道はいくらもあるなれど、どの道通っても、よいと申すのは、悪のやり方ぞ、元()の道は一つぞ、初めから元()の世の道、変らぬ道があれば、よいと申してゐるが、どんなことしても我さへたてばよいように申してゐるが、それが悪の深き腹の一厘ぞ。元()の道は初めの道、神()のなれる道、神()のなかの ゝ なる初め、 ゝ は光の真中(ゝ)、 は四の道、此の事、気のつく臣民ないなれど。「一が二」わかる奥の道、身魂掃除すれば此のことわかるのざ、身魂磨き第一ぞ。八月十日、 の一二
平易意訳

 道はいくらもありますが、どの道通っても、よいと申すのは、悪のやり方です。元の道は一つ太陽達の救済の道です。初めから元宇宙の世の道、変らぬ道(道理・真理)があれば、それでよいと言っていますが、どんなことしても我さへ立派に行えばよいように言っていますが、それが悪の深き腹の一厘です。
 元のの道は初めの道であり、太陽達の仕組が成る道です。太陽(ミロク)のなかのゝ(大天使)が 救済の神ミロクとなることから初めました。 ゝ は太陽(ミロク)の光の真中です。 太陽達の仕組は四(世・詞・思)の道が計画されています。此の事に気のつく臣民ないのですが。
 「一が二(大天使の計画が『太陽のサイト』と現れること)」が わかる奥の道は、身魂掃除すれば此のことわかるのです。臣民は身魂磨きが第一です。
 八月十日、 の一二


解説と補足説明

  • yuru63:2014/01/16
     臣民は『太陽のサイト』がどれほどの存在であるかがわかるには身魂掃除が必要であると説明しているようです。
     奥にある「ゝ」に気のつく臣民がないと云っています。


年月日

昭和十九年八月十日
 旧六月二十二日(1944年)

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