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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三102

富士の巻 第22帖 (102)

 まつりまつりと、くどく申して知らしてあるが、まつり合はしさへすれば、何もかも、うれしうれしと栄える仕組で、悪も善もないのぞ、まつれば悪も善ぞ、まつらねば善もないのぞ、この道理分りたか、祭典(まつり)と申して神()ばかり拝んでゐるやうでは何も分らんぞ。そんな我れよしでは神()の臣民とは申せんぞ、早うまつりて呉れと申すこと、よくきき分けて呉れよ。われがわれがと思ふてゐるのは調和(まつり)てゐぬ証拠ぞ、鼻高となればポキンと折れると申してある道理よく分らうがな、この御道は鼻高と取りちがひが一番邪魔になるのぞと申すのは、慢心と取りちがひは調和(まつり)の邪魔になるからぞ。ここまでわけて申さばよく分かるであろう、何事も真通理(まつり)が第一ぞ。八月の二十九日、 の一二
平易意訳

 まつりまつりと、くどく申して知らしてありますが、この世の全てとまつり合わしさえすれば、何もかも、うれしうれしと栄える仕組で、悪も善もないのです。神仕組に従い まつれば悪も善の働きをします。まつらねば善もないのです。この道理分りましたか。祭典(まつり)と申して神ばかり拝んでいるようでは何も分りません。
 そんな我れよしでは太陽(ミロク)の臣民とは申せないのです。早くまつりてくれと申すことの意味は複数あります、よくきき分けてください。
 われがわれがと思っているのは天地と調和(まつり)していない証拠です。鼻高となればポキンと折れると申してある道理よく分るでしょう。この御道は鼻高と取りちがいが一番邪魔になるのですと申すのは、慢心と取りちがいは「まつり」という御用の邪魔になるからです。
 ここまで詳しく申せばよく分かるでしょう。何事も真通理(まつり)が第一です。
 八月の二十九日、 の一二


解説と補足説明

  • yuru63:2014/08/12
     神示の云う「まつり」は、この世と調和することから、仕組や、働きに関することなど多数の意味を伝えているようです。


年月日

昭和十九年八月二十九日
 旧七月十一日(1944年)

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