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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三119

天つ巻 第12帖 (119)

 遠くて近きは男女だけではないぞ、神()と人、天と地、親と子、喰べる物も遠くて近いがよいのざぞ、カミそまつにすればカミに泣くぞ、土尊べば土が救って呉れるのぞ、尊ぶこと今の臣民忘れてゐるぞ、神()ばかり尊んでも何にもならんぞ、何もかも尊べば何もかも味方ぞ、敵とうとべば敵が敵でなくなるのぞ、この道理分りたか。臣民には神(○ゝ)と同じ分霊(わけみたま)さづけてあるのざから、みがけば神()になるのぞ。神示は謄写(とうしゃ)よいぞ、初めは五十八、次は三四三ぞ、よいな。八月の五日、ひつくのか三。
平易意訳

 遠くて近いのは男女だけではないです。神と人、天と地、親と子、喰べる物も遠くて近いのがよいのです。カミ(噛み砕くこと)をそまつにすればカミに泣きます。太陽(sol)の情報を尊べばその情報が救ってくれるのです。尊ぶこと今の臣民忘れています。神ばかり尊んでも何にもなりません。何もかも尊べば何もかも味方です。敵とうとべば敵が敵でなくなるのです。この道理分りましたか。
 臣民には太陽(ミロク)と同じ分霊(わけみたま)を授けてあるのですから、みがけば神になるのです。
 神示は謄写(とうしゃ)はよいです。初めは中心(五十)を開き(八)、次は三(みち・検証という道)の読み(四三)かたをするのです、いいですか。
 八月の五日、ひつくのか三 。


解説と補足説明

  • yuru63:2015/04/07
     「神示は謄写(とうしゃ)よいぞ」
     読み砕き謄写された神示は、原書からは変化していて、完全な写しではないと感じるかもしれませんが、神示の真意は謄写後もその輝きを失うことはなく伝えられる様になっているのかもしれません。
     意味の解るような文にしようとすると、ふでに存在する何種類かの解釈のうちの一つを選ぶことになるのですが、どの解釈を選んでも大きな視点からすれば同じ事柄が伝わってきます。
     ダジャレで言えば、「原書からは遠いが意味は近い(遠くて近い)」かな?


年月日

昭和十九年八月五日
 旧六月十七日(1944年)

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