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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三120

天つ巻 第13帖 (120)

 空に変りたこと現はれたなれば地に変りたことがあると心得よ、いよいよとなりて来てゐるのざぞ。神()は元の大神様に延ばせるだけ延ばして頂き、一人でも臣民助けたいのでお願ひしてゐるのざが、もうおことはり申す術(すべ)なくなりたぞ。玉串 神()に供へるのは衣(ころも)供へることぞ、衣とは神()の衣のことぞ、神()の衣とは人の肉体のことぞ。臣民をささげることぞ、自分をささげることぞ、この道理分りたか。人に仕へるときも同じことぞ、人を神として仕へねばならんぞ、神として仕へると神となるのぞ、ざからもてなしの物出すときは、祓ひ清めて神()に仕へると同様にして呉れよ、喰べ物 今の半分で足りると申してあるが、神に献げたものか、祓ひ清めて神に献げると同様にすれば半分で足りるのぞ、てんのゐへん気つけて居れよ。神()くどう気つけて置くぞ。神()世近づいたぞ。九月六日、一二のか三。
平易意訳

 異常気象が多発するようになったら、地球の大地・内部に異変が起きていると思いなさい。いよいよとなって来ているのです。
 太陽(ミロク)は元の大神様に延ばせるだけ延ばして頂き、一人でも臣民助けたいのでお願いしているのですが、もう おことわり申す術(すべ)なくなりました。
 玉串 神(太陽達)に供へるということは衣(ころも)供へることです。衣とは神の衣のことです、神の衣とは人の肉体のことです。
 臣民をささげることです、自分をささげることです、この道理分りましたか。
 ミロク(人)に仕えるときも同じことです。ミロク(人)を神として仕えねばなりません。神として仕えると神となるのです。ですから、もてなしの物出すときは、祓い清めて神に仕へるのと同様にしてください。喰べ物 今の半分で足りると申してありますが、神に献げたものか、祓ひ清めて神に献げるのと同様にすれば半分で足りるのです。てんのいへんに気をつけてください。
 太陽達はくどく気づかせて置きます。
 神世が近づきました。
 九月六日、一二のか三 。


解説と補足説明

  • http://18.pro.tok2.com/~solht0920070/sunmoon/123_04_top/top_04_120.htm
    より

    氷治氏

    内容としては岩戸開きの時期を引き延ばしているのですが、それも限界ですと説明して、異常気象=大地の異常(地震・噴火・津波・海水異常などなど)の報告を聞くようになったら、それは異常気象だけでなく大地の異常でもあり、岩戸開きの時期が近づいたと認識するように注意を促している内容です。そして、ミロクについて説明しています。

    たまぐし(玉串):神への捧げ物として地鎮祭に使う、榊の小枝


年月日

昭和十九年九月六日
 旧七月十九日(1944年)

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