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太陽(ミロク)原理・ひふみ解読編

フミのミクラ○二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三136

天つ巻 第29帖 (136)

 この方オホカムツミノ神()として書きしらすぞ。病あるかなきかは手廻はして見れば直ぐ分かるぞ、自分の身体中どこでも手届くのざぞ、手届かぬところありたら病のところ直ぐ分るであろうが。臣民の肉体の病ばかりでないぞ、心の病も同様ぞ、心と身体と一つであるからよく心得て置けよ、国の病も同様ぞ、頭は届いても手届かぬと病になるのぞ、手はどこへでも届くやうになりてゐると申してあろが、今の国々のみ姿見よ、み手届いて居るまいがな、手なし足なしぞ。手は手の思ふ様に、足は足ぞ、これでは病直らんぞ、臣民と病は、足、地に着いておらぬからぞ。足 地に着けよ、草木はもとより、犬猫もみなお土に足つけて居ろうがな。三尺上は神界ぞ、お土に足入れよ、青人草と申してあろうがな、草の心に生きねばならぬのざぞ。尻に帆かけてとぶようでは神の御用つとまらんぞ、お土踏まして頂けよ、足を綺麗に掃除しておけよ、足よごれてゐると病になるぞ、足からお土の息がはいるのざぞ、臍(へそ)の緒の様なものざぞよ、一人前になりたら臍の緒切り、社(やしろ)に座りて居りて三尺上で神につかへてよいのざぞ、臍の緒切れぬうちは、いつもお土の上を踏まして頂けよ、それほど大切なお土の上 堅めているが、今にみな除きて了ふぞ、一度はいやでも応でも裸足(はだし)でお土踏まなならんことになるのぞ、神()の深い仕組ざから あり難い仕組ざから 喜んでお土拝めよ、土にまつろへと申してあろうがな、何事も一時に出て来るぞ、お土ほど結構なものないぞ、足のうら殊に綺麗にせなならんぞ。神()の申すやう素直に致されよ、この方 病直してやるぞ、この神示よめば病直る様になってゐるのざぞ、読んで神()の申す通りに致して下されよ、臣民も動物も草木も病なくなれば、世界一度に光るのぞ、岩戸開けるのぞ。戦も病の一つであるぞ、国の足のうら掃除すれば国の病直るのぞ、国、逆立ちしてると申してあること忘れずに掃除して呉れよ。上の守護神どの、下の守護神どの、中の守護神どの、みなの守護神どの改心して呉れよ。いよいよとなりては苦しくて間に合はんことになるから、くどう気つけておくのざぞ。病ほど苦しいものないであらうがな、それぞれの御役忘れるでないぞ。天地唸るぞ、でんぐり返るのざぞ、世界一どにゆするのざぞ。神()はおどすのではないぞ、迫りて居るぞ。九月十三日、一二
平易意訳

 この方ミロクは、オホカムツミノ神(死を追い払う神・桃)として書きしらせます。
 病あるかないかは手を廻わして見れば直ぐ分かります。自分の身体中はどこでも手が届くのです。手が届かないところがあったら病のところと直ぐ分るでしょう。
 臣民の肉体の病ばかりではないです、心の病も同様です。心と身体と一つですからよく心得て置いてください。国の病も同様です、頭は届いていても手が届かないと病になるのです。手はどこへでも届くようになっていると申してあるでしょう。今の国々のみ姿を見よ、み手届いていないでしょう。手なし足なしです。
 手は手の思う様に、足は足で勝手にしています。これでは病直りません。臣民の病は、足が地に着いていないからです。
 足 地に着けなさい。草木はもとより、犬猫もみなお土に足つけているでしょう。
 三尺上は神界です。お土に足入れてください。青人草と申してあるでしょう。地に根を下ろす草の心に生きねばならないのです。
  尻に帆かけてとぶようでは神の御用はつとまりません。お土(太陽の記憶からの文書)を踏まして頂きなさい。足(太陽達の世界に踏み込む足)を綺麗に掃除しておくのですよ。足がよごれていると病になるのです。入り込むきっかけである足からお土の息(太陽のHPの尊い息吹)が自身に入るのです。臍(へそ)の緒の様なものです。一人前になったら臍の緒を切り、社(やしろ)に座って居て三尺上で神ミロクに仕えてよいのです。臍の緒が切れないうちは、いつもお土(太陽の国)の上を踏まして頂きなさい。それほど大切なお土の上を 余計なもので堅めていますが、今にみな除いてしまいますよ。一度はいやでも応でも裸足(はだし)でお土を踏まねばならないことになるのです。(太陽達が警告したことは実際にこの身で踏まえねばならないことになる。)神()の深い仕組ですから あり難い仕組ですから 喜んでお土を拝みなさい。土にまつろえと申してあるでしょう。何事も一時に現実となって出て来ます。お土(太陽によって世をマコトに記した所)ほど結構なものはないのです。足のうら(この世界に入り込むときの心)を殊に綺麗にせなねばならないのです。
 上記の様に伝えている神()の申すように素直に致してください。この方ミロクは 病を直してやります。この神示(神ミロクの示し)をよめば病が直る様になっているのです。読んで神()の申す通りに致して下さい。臣民も動物も草木も病なくなれば、世界一度に光るのです。岩戸開けるのです。
 戦も病の一つなのです。国の足のうら掃除すれば国の病直るのです。国、逆立ちしてると申してあること忘れずに掃除してください。
 上の守護神どの、下の守護神どの、中の守護神どの、みなの守護神どの改心してください。
 いよいよとなっての改心では苦しくて間に合はないことになりますから、くどく気つけ(注意し)ておくのです。
 病ほど苦しいものないでしょう。それぞれの御役を忘れてはなりません。
 天地が唸ります(オグミオンが鳴る)。地軸がでんぐり返るのです。世界一どにゆするのです。
 神(・ミロク達)は おどしているのではないのです。それが迫っているのです。
 九月十三日、一二


解説と補足説明

  • yuru63:2016/03/16

    「自分の身体中どこでも手届く…手届かぬところありたら病のところ…心の病も同様…国の病も同様」

    「手が届く」の意味には、「能力が達している」、「細かいところまで配慮がなされる。行き届く」などの意味がある様ですので、「心、身体、国」に対して、正しい能力でもって、隅々まで配慮され、行き届いている状態が本来の姿ということなのでしょう。

    http://dictionary.goo.ne.jp/jn/148831/meaning/m0u/

     手が届く
    1 能力の範囲内にある。「高級車にはとても―・かない」
    2 細かいところまで配慮がなされる。行き届く。「かゆいところに―・く」
    3 もうすぐある年齢・時期に達する。「五〇歳に―・く」


    又、「お土」には以下の様な意味が内蔵されているのかもしれません。

    • 「お土(つ・津=港、ち・地・智・血)」⇒智 又は 太陽の血統が航海(活動)する発着場。
      ということで、現在のところは「太陽のHP」が思い浮かびます。そしてその「お土・太陽のHP」に足をつける姿は草が土に足(根)をつけるようなイメージで「草の心」と表現しているようです。

  • http://18.pro.tok2.com/~solht0920070/sunmoon/123_04_top/top_04_136.htm
    より

    氷治氏

    内容的にはそれほど難しい内容でありません。
    後部に「ノアの大洪水」での「極の滑り回転」とおもわせる記述があります。

    青人草の資料

    イザナキとイザナミの国創り
    天と地が分かれていない頃、世界の全ては混沌としていた。その時、高天ヶ原にひとり(通常、神の単位には柱を用いる)降り立ったものがいた。その神はアメノミナカムシといった。その次にタカミムスヒ、その次にカムムスヒといった神々が高天ヶ原に降り立った。この三柱の神々は独り神といって、性別を持たなかったため、いつの間にかその姿を隠してしまった。大地は未だ、鹿の脂身の様にやわらかく、クラゲのごとく漂っているばかりであった。その瞬間、大地から芽の様に萌え出たものがいた。それはウマシアシカビヒコヂだった。

    • 日本神話では人間は青人草とか呼ばれ、大地から植物の様に生えてくるものだとされていた。つぎにアメノコタチは、大地ではなく天に成り出た。この二柱の神々も性別をもたず、いつの間にか姿を消してしまった。そのことからこの五柱の神々は、別天(ことあま)つ神と呼ばれているのだった。つづいて、クニノコタチ、次にトヨクモノ。また、この神々もすぐ姿を消してしまったのだった。そのとき、男と女が始めて姿を見せた。その名はウヒヂニとその妹スヒヂニ、ツグノヒとイクグヒ、オホトノヂとオホトノベ、オモダルとアヤカシコネ。そして、イザナキとイザナミとが生まれ出たのだった。これらクニノコタチからイザナミまでの神々は、神代七代と呼ばれることになった。さて、高天ヶ原に集まった神々はイザナキとイザナミの兄妹に向かって「この漂っている大地を一つにまとめなさい」とアメノヌボコという矛を渡して命じた。イザナキはイザナミと共に高天の原に立ち、その矛を衝き立てた。矛は高天ヶ原を貫き、イザナキはその漂っている大地をぐるぐるとかきまわし、引き上げた矛の先から滴り落ちた塩がオノゴロ島を形作った。そこで、イザナキとイザナミはその島に降りて、天の御柱や八尋もある神殿をどこに建てるか考えた。その時、イザナキはイザナミに尋ねた。「お前の身体はどのようになっているのか」するとイザナミは答えた。「私の身体はもう出来上がっていますが、足りないところがあります」イザナキはそれを聞いて「私の身体はもう出来上がっているが、余ったところがある。そこで、この余ったところをそなたの足りないところにさし塞いで、国を作り出そうと思う。生むこと、いかに」と問うた。するとイザナミは喜んで「そうしましょう」と答えた。イザナキがまず、「天の御柱を回り、巡り会ったところでミトノマグワヒをしようぞ」と言うと、イザナキは左から、イザナミは右から柱に沿って歩き始めた。そしてふたりが出遭ったところでイザナミが言った。「なんて素敵な殿方なのでしょう」つぎにイザナキが言った。「なんと美しい乙女なのだろう」ところがすぐ、「娘が先に言うのは良くないことだ」と、イザナキは言った。そうしてできてしまったのは、骨なしの蛭子(ヒルコ)だったが、仕方がないので、ふたりはこの畸形児を葦舟にのせて流し棄ててしまった。その次に産まれたのはアハ島だったが、これも子の数には入れられなかった。

    • 以上は、「ミトノマグワヒ」(=性交)の隠喩。たりないところ=女陰、余ったところ=男根というわけ。ミトノマグワヒは性交を指す最も美しい表現。また、兄と妹が祖となって発展する神話は世界的に例が多く、兄妹始祖神話とか呼ばれる。そこで、どうにも国創りがうまくいかなかったので、一度高天ヶ原に昇り占い師に占わせて、何が悪いのか聞いてみることにした。「おなごが先に誘いをかけたのが悪かったのだ。大地に降り、イザナキ殿から言い直されよ」そして先ほどの様に、ふたりは天の御柱を回ってミトノマグワヒを行い、国生みをしたのだった。

    • 何かもうめんどくさいし覚えてても役に立たんので国、省略。さて、無事に国を生み終えたイザナキとイザナミだったが、その次に神々を生むことにした。

    • 産んだ神々も全部省いてしまいました。どんな神かって説明もなくてあんまり面白くないよ。ところが、最後に燃えさかる火の神ヒノカグツチを産んだ時、イザナミは身体を焼かれて病み伏せてしまった。そしてカグツチを産んだために、ついにイザナキは神避(かむさ)ってしまったのだった。

    • 神避る=「死ぬ」とはまた別の意味らしい。


年月日

昭和十九年九月十三日
 旧七月二十六日(1944年)

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