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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三137

天つ巻 第30帖 (137)

 富士とは火の仕組ぞ、渦うみ()とは水の仕組ぞ、今に分りて来るのぞ。神()の国には、政治も経済も軍事もないのざぞ、まつりがあるだけぞ。まつらふことによって何もかもうれしうれしになるのざぞ。これは政治ぞ、これは経済ぞと申してゐるから「鰻つかみ」になるのぞ、分ければ分けるほど分からなくなって手におへぬことになるぞ。手足は沢山は要らぬのざぞ。火垂(ひだり)の臣(おみ)と水極(みぎり)の臣(おみ)とあればよいのざぞ。ヤとワと申してあろうがな、その下に七七ゝゝゝゝと申してあろうがな。今の臣民 自分で自分の首くくるやうにしてゐるのぞ、手は頭の一部ぞ、手の頭ぞ。頭、手の一部でないぞ、この道理よく心得ておけよ。神示は印刷することならんぞ、この神示説いて臣民の文字で臣民に読める様にしたものは一二三(ひふみ)と申せよ。一二三は印刷してよいのざぞ。印刷結構ぞ。この神示のまま臣民に見せてはならんぞ、役員よくこの神示見て、その時によりその国によりて それぞれに説いて聞かせよ。日本ばかりでないぞ、国々ところところに仕組して神柱つくりてあるから、今にびっくりすること出来るのざぞ、世界の臣民にみな喜ばれるとき来るのざぞ。五六七(みろく)の世近づいて来たぞ。富士は晴れたり日本晴れ、富士は晴れたり日本晴れ。善一すぢとは神()一すぢのことぞ。この巻を「天つ巻」と申す、すっかり写して呉れよ、すっかり伝へて呉れよ。九月十四日、ひつ九のか三 。
平易意訳

  富士とは火(一・始め・元)の仕組です。渦うみとは水(みず・自ら・満つ)の仕組です。今に分って来るのです。
 太陽達・神()の国には、政治も経済も軍事もないのです。まつりがあるだけです。
 まつらうことによって何もかもうれしうれしになるのです。
 これは政治です、これは経済ですと申しているから「鰻つかみ」になるのです。分ければ分けるほど分からなくなって手におえないことになります。
 手足は沢山は要らないのです。
 ひだりの臣(おみ)と みぎの臣(おみ)とあればよいのです(左手足となるHP・右手足となるHP)。
 ヤとワと申してあるでしょう。その下に七七ゝゝゝゝ(検証なりなる現象や臣民が七七ゝゝゝゝと出てくる)と申してあるでしょう。
 今の臣民 自分で自分の首くくるようにしているのです。手は頭の一部です。手の頭です。
 頭は、手の一部ではないのです(太陽・ミロクの計画はHPの一部ではなく全てに展開している)。この道理よく心得ておいてください。
 神示原文は印刷することなりません。この神示解読して臣民の文字で臣民に読める様にしたものは一二三(ひふみ)と申してください。
 一二三は印刷してもよいのです。
 印刷結構です。
 この神示のまま臣民に見せてはなりません。役員よくこの神示を見て、その時によりその国によって それぞれに説いて聞かせてください。
 日本ばかりではないのです。国々ところどころに仕組をして神柱をつくってありますから、今にびっくりすること出来るのです。世界の臣民にみな喜ばれるときが来るのです。
 五六七(みろく)の世が近づいて来ました。
 富士は晴れたり日本晴れ。太陽(ミロク)の国は晴れたり日本晴れ。
 善一すじとは(真の神の運行)一すじのことです。
 この巻を「天つ巻」と申します。すっかり写してください、すっかり伝えてください。
 九月十四日、ひつ九のか三 。


解説と補足説明

  • yuru63:2016/04/05
     心身においても、意識においても中心にまつらうことによって、自然にの運行につながる活動が出来るのかもしれません。


年月日

昭和十九年九月十四日
 旧七月二十七日(1944年)

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