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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三151

地つ巻 第14帖 (151)

 この道分りた人から一柱でも早う出てまゐりて神の御用なされよ。どこに居りても御用はいくらでもあるのざぞ。神の御用と申して稲荷(いなり)下げや狐つきの真似はさせんぞよ。この道はきびしき行(みち)ざから楽な道なのぞ。上にも下(しも)にも花さく世になるのざぞ、後悔は要らぬのざぞ。カミは見通しでないとカミでないぞ、今のカミは見通しどころか目ふさいでゐるでないか。蛙(かえる)いくら鳴いたとて夜あけんぞ。赤児になれよ、ごもく捨てよ、その日その時から顔まで変るのざぞ、神()烈しく結構な世となりたぞ。九月二十三日、ひつ九のか三。
平易意訳

  この道分った人から一柱でも早く出てまいって太陽達の御用なさってください。
 どこに居りましても御用はいくらでもあるのです。
 太陽(ミロク)の御用と申して稲荷(いなり)下げや狐つきの真似はさせませんよ。
 この道はきびしき行(みち)ですから楽な道なのです。
 上(かみ)にも下(しも)にも花さく世になるのです。後悔は要らないのです。
 カミは見通しでないとカミでないです。今のカミは見通しどころか目をふさいでいるではないですか。
 蛙(かえる)がいくら鳴いたとて夜はあけません。
 赤児になりなさい。こだわりを捨てなさい。その日その時から顔まで変るのです。太陽(ミロク)の活動が烈しく結構な世となりましたよ。
 九月二十三日、ひつくのか三。


解説と補足説明

  • yuru63:2017/11/11
     「蛙(かえる)がいくら鳴いたとて夜はあけません。」… 「今のカミ」を「蛙」と表現しています。明け告げる鳥でなく夜に鳴く蛙という意味がある様です。


年月日

昭和十九年九月二十三日
 旧八月七日(1944年)

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