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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三50-013

扶桑の巻 第13帖 (013)

 称言(たたえごと) 太祝詞(ふとのりと)こと 今ぞ高らに。

 木でも草でも皆、中から大きくなるのざと申してあろう、つけ焼刃や膏薬はりで大きくなるのでないぞ、三千年に一度と言ふ、又とない結構な時がめぐりて来てゐるのであるぞ、為せば成るぞ、六ヶ敷いこと申してゐるのではない、自分の中の自分を掃除して自分の外の自分を洗濯して磨けと申しているのぞ、みがけば神と同列のミタマぞ、釈迦ぞ、キリストぞと申してあろう。内にあるものを磨けば外からひびくものも磨かれた、けがれのないものとなるのぢゃ、中の自分を掃除しないで居るといつ迄たっても、岩戸がひらけてゐても岩戸はひらけん。

 太陽(ミロク)を称える言葉の 太祝詞(ふとのりと)こと(検証)を 今こそ高らかに。

 木でも草でも皆、中から大きくなるのだと云ってあるでしょう。つけ焼刃や膏薬はりで大きくなるのでないのです。三千年に一度という、又とない結構な時がめぐりて来ているのですよ。為せば成るのです。難しいことを云っているのではないのです。自分の中の自分を掃除して自分の外の自分を洗濯して磨けと云っているのです。みがけば神ミロクと同列のミタマです。釈迦レベルです。キリストレベルですと云ってあるでしょう。
 内にあるものを磨けば外からひびくものも磨かれた、けがれのないものとなるのです。中の自分を掃除しないで居るといつ迄たっても、岩戸がひらけていても岩戸はひらけません。


解説と補足説明

  • yuru63:2016/01/18
     「三千年に一度という、又とない結構な時」と云っています。勇んで「自分の中の自分を掃除して自分の外の自分を洗濯して磨け」と思う今日です。


年月日

昭和三十六年五月五日
 旧三月二十一日(1961年)

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