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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三50-090

極めの巻 第12帖 (090)

 口先ばかりで、その場限りでうまい事申して御座るが、それは悪の花、心と行が伴わんからぢゃ。己(おのれ)自身のいくさが終ってゐないからであるぞ。そなたのもつ悪いくせを直して下されよ、それが御神業ぢゃ。神々様も自分のくせを直すために御苦労なさってゐるぞ、そのために生長する。昨日の自分であってはならんぞ。六十の手習でとまってはならん、死ぬまで、死んでも手習ぢゃ。お互におろがめよ、おがむと総てが自分となる、おがむところへ集まって来て弥栄ぢゃ。
平易意訳

 口先ばかりで、その場限りでうまい事言っていますが、それは悪の花です。心と行が伴わないからです。
 己(おのれ)自身のいくさが終っていないからなのです。
 そなたのもつ悪いくせを直して下さいよ、それが御神業です。
 神々様も自分のくせを直すために御苦労なさっているのです。そのために生長するのです。
 昨日の自分であってはならないのです。
 六十の手習でとまってはなりません、死ぬまで、死んでも手習です。
 お互におろがみなさい。おがむと総てが自分となります。おがむところへ集まって来て弥栄です。


解説と補足説明

yuru63:2013/09/17
 「なくて七癖」といわれています。
 くせを直すのは大変努力が要ります。しかしその努力も無意味ではなく役に立つのであれば、やりがいが出てきます。ここでは「悪いくせを直すことは御神業」とまで言っているのですから、なおさら やる気が出てきます。


年月日

昭和三十六年八月五日
 旧六月二十四日(1961年)

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