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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三50-124

五葉の巻 第10帖 (124)

 悪自由、悪平等の神が最後の追込みにかかってゐるなれど、もう悪の世はすんで岩戸がひらけてゐるのざから、何とやらのように前から外れてアフンぢゃ、七重の花が八重に、八重が九重、十重にひらくのであるぞ、七重はキリストぢゃ、八重は仏教ぢゃ、今の神道ぢゃ、今までの教はつぶれると申してあろうがな。兎や角申さず掴(つか)める所から神をつかんでついて御座れよ、水は流れる所へ流れてゐるであろうがな、あの姿。
平易意訳

 悪自由、悪平等の神が最後の追込みにかかっているのですが、もう悪の世はすんで岩戸がひらけているのですから、何とやら【当(あ)て事(こと)と畚褌(もっこふんどし)は先(さき)から外(はず)れる】のように前から外れてアフンです。「七重の花」が「八重」に、「八重」が「九重」に発展することで、神ミロクのキ(ゝ・0)を入れた「十重」にひらくのです。七重の解読段階ではキリストの教えに似ています。八重の解読は仏教に似ています。今の神道のような説明となります。今までの教【今までの一般的な考え方による解読】はつぶれると云ってあるでしょう。【「神ミロクの仕組・キ」という本質を把握して解読・説明を行なわねばなりません。】
 兎や角言わず掴(つか)める所から太陽(ミロク)をつかんでついてきなさい。水は流れる所へ流れているでしょう。あの姿です。


解説と補足説明

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/5036/m0u/

「当(あ)て事(こと)と畚褌(もっこふんどし)は先(さき)から外(はず)れる」:
越中褌が前から外れやすいように、自分の方で当てにしていたことは先方の都合でだめになることが多い。


年月日

昭和三十六年九月一日
 旧七月二十二日(1961年)

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