悪自由、悪平等の神が最後の追込みにかかってゐるなれど、もう悪の世はすんで岩戸がひらけてゐるのざから、何とやらのように前から外れてアフンぢゃ、七重の花が八重に、八重が九重、十重にひらくのであるぞ、七重はキリストぢゃ、八重は仏教ぢゃ、今の神道ぢゃ、今までの教はつぶれると申してあろうがな。兎や角申さず掴(つか)める所から神をつかんでついて御座れよ、水は流れる所へ流れてゐるであろうがな、あの姿。 |
悪自由、悪平等の神が最後の追込みにかかっているのですが、もう悪の世はすんで岩戸がひらけているのですから、何とやら【当(あ)て事(こと)と畚褌(もっこふんどし)は先(さき)から外(はず)れる】のように前から外れてアフンです。「七重の花」が「八重」に、「八重」が「九重」に発展することで、神ミロクのキ(ゝ・0)を入れた「十重」にひらくのです。七重の解読段階ではキリストの教えに似ています。八重の解読は仏教に似ています。今の神道のような説明となります。今までの教【今までの一般的な考え方による解読】はつぶれると云ってあるでしょう。【「神ミロクの仕組・キ」という本質を把握して解読・説明を行なわねばなりません。】
兎や角言わず掴(つか)める所から太陽(ミロク)をつかんでついてきなさい。水は流れる所へ流れているでしょう。あの姿です。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/5036/m0u/
「当(あ)て事(こと)と畚褌(もっこふんどし)は先(さき)から外(はず)れる」: |
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