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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

予言・預言の検証編太陽の検証

一二三50-0126

五葉の巻 第12帖 (126)

 八のつく日に気つけてあろうが、八とはひらくことぞ。今が八から九に入る時ぞ、天も地も大岩戸ひらき、人民の岩戸ひらきに最も都合のよい時ぞ、天地の波にのればよいのぢゃ、楽し楽しで大峠越せるぞ、神は無理申さん、やればやれる時ぞ、ヘタをすると世界は泥の海、神々様も人民様も心の目ひらいて下されよ、新しき太陽は昇ってゐるでないか。
平易意訳

 八のつく日(8体の天使が付いている太陽)に気づかせてあるでしょう。八とはひらくことです。
 今が八【真相公開】から九【仕組の極まり・太陽の目覚め】に入る時です、天も地も大岩戸ひらきです。人民の岩戸ひらきに最も都合のよい時なのです。天地の波【天地(宇宙)の営みの流れ】にのればよいのです。楽し楽しで大峠を越せるのです。神ミロクは無理を云いません、やればやれる時なのです。ヘタをすると世界は「ノアの大洪水」で泥の海です。神々様も人民様も心の目をひらいて下さい。「新しき太陽=太陽(ミロク)」は地上世界に昇っているではないですか。


解説と補足説明

http://18.pro.tok2.com/~solht0920070/sunmoon/50_07_five/five_07_126.htm
より
ロックさん

 我田引水的に、最後に新しい太陽と太陽に触れてますので、最初の「八のつく日に」とは、八=忠犬ハチ公にかけた洒落?でしょうか。八のつく日に注意しなさいと言っているとするなら、八の犬のくっついている太陽に注意しなさいとも読めるかも知れませんね。(前の帖で頭の体操、ヘソの体操大切って前振りがありましたので、そうやって考えてみました。へそはNO555の太陽への内容もあります。頭の体操だと物の言い方や読み方がポイントだと思いました)

 次に続く八とは岩戸が開くことなのですとは、八重にかかってくる仏教や神道関連の八だとすると、最後のあいつのかかった人物が出てくる時期も示しているのかも知れません。(前の帖で善も悪も同時に扱うというような解釈をしてますので、このあたりは同じ場を共有するという意味では、太陽もあいつも同じ時に存在するのかもしれません。)

 そうやってみると、八のくっつく犬が一緒にいる太陽という存在に注意していれば、岩戸の開いた時に出てくるあいつのかかった存在も容易にわかるのかも。それまでに悪を抱き参らせる姿勢などをきちんと学んでおけば、あいつが出てきても騒ぎ立てることなく冷静かつ平穏に暮らせて、楽し楽しで大峠を暮らせるのかもとも思いました。


年月日

昭和三十六年九月一日
 旧七月二十二日(1961年)

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