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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

メール124臣民の一二三・終末と太陽の検証

日本人の玄米菜食

yuru63:2013/08/23

 昔の人はとんでもなく元気で活発で健康的だった様です。
 その秘密の一つとして玄米菜食があげられるが、玄米を食べるとフィチン酸により栄養失調になるという意見もあり、本当はどうなのか解らなくなってしまいがちです。
 フィチン酸よりも農薬の方が悪影響の原因ではないかと考えますが、農薬の問題に関しても現代文明はまだまだ自然の理を正確に認識できていないという原因から解決には至っていないようです。
 無農薬の玄米であれば 健康的なのではないかと思っているところです。
 下記に参考になりそうな記事がありましたので紹介いたします。

参考資料





ーーー①ーーーーーーーー

http://www.maisen.co.jp/mailmaga/gendaishokuyojyo/mailmaga-gendaishokuyojyo-20.html

現代食養生 Vol.20

 こんにちは。玄米一筋20年、株式会社マイセン代表の牧野です。この度は
数あるサイトの中からマイセンをお選びいただき、誠にありがとうございます。

 現代食養生も20回を迎え、いよいよ佳境に入って参りました。情報がいろ
いろ氾濫する現代において、中には間違った知識や情報に混乱される方もいら
っしゃるようです。特に玄米の持つ「フィチン酸」や「アブシンジン酸」につ
いての学術的根拠のない中傷に困惑されたご質問をいただくことがあります。

 そこで、玄米食の歴史や安全性について私なりに考察したことをお伝えした
いと思います。

                      株式会社マイセン
                      代表取締役 牧野 仙以知
----------------------------------------------------------------------
(1)日本人の白米の歴史はせいぜい200年

 縄文時代に日本に稲作が伝わり、山の木の実からお米を主食にするようにな
って約2000年以上の時が経っていますが、白米を食べるようになったのは
江戸中期の頃からといわれ、せいぜい200年しか経っていません。

 それまではたいした精米技術もなく、ほとんど玄米に近い状態でお米を食べ
ていたと考えられます。戦国時代の武将たちの不眠不休の働きぶりやバイタリ
ティは玄米から来たものですし、事実、豊臣秀吉の一番の家臣であった加藤清
正の家訓には「米は玄米(くろごめ)にすべし」とあるほどです。(たぶんこ
の頃には、貴族や大名たちの間で白米を食べるものが出てきたのでしょう) 
庶民が白米を食べるようになった江戸中期ごろには「江戸わずらい」という病
気がはやったのはご承知の通り、玄米を食べなくなったことによるビタミン不
足による脚気(かっけ)です。

 『日本近代医学の父』と称されるドイツ人エルウィン フォンベルツ博士は、
明治9年に来日し、その時、彼は驚くべき経験をしました。

 彼は日光へ旅をした際、馬で行ったのですが、途中で6回も馬を取り替えな
ければなりませんでした。そこで、2回目の旅では人力車で向かったところ、
その車夫は一人で日光まで行ってしまったということです。馬よりすごい車夫
に驚き、彼はある実験を始めました。

 車夫を雇い、食事を調べながら毎日体重80㎏の人を乗せて40㎞走らせる、
というものです。博士は主に肉等を与えていたのですが、車夫の疲労が激しく
3日で走れなくなってしまい、「玄米食に戻して欲しい」とお願いされたそう
です。

 このように、長い日本の食の歴史の中でそのほとんどが「玄米食」だった
という事実は間違いありません。

(2)アメリカのマクガバンレポートより

 今から40年ほど前その当時アメリカでは心臓病の死亡率が一位で、癌は二
位でしたが、心臓病だけでもアメリカの経済はパンクしかねないと言われる程
医療費が増大していました。(1977年には1180億ドル―約25兆円)が、そんな財
政的危機を何とか打開しようということで、医療改革が進められたのです。

 そして、その一環として上院に「国民栄養問題アメリカ上院特別委員会」を
設置し、全世界からよりすぐりの医学・栄養学者を結集して「食事(栄養)と健
康・慢性疾患の関係」についての世界的規模の調査・研究が7年間の歳月と数
千万ドルの国費を投入して行なわれ、5000ページに及ぶ膨大な報告がなされて
いるのですが、それを「上院レポート」又は委員長の名前をとって「マクガバ
ンレポート」とも呼んでいます。

 そして、その『上院レポート』は「心臓病をはじめとする諸々の慢性病は、
肉食中心の誤った食生活がもたらした《食原病》であり、薬では治らない」と
決め付け、更に「われわれはこの事実を率直に認めて、すぐさま食事の内容を
改善する必要がある」として、7項目の食事改善の指針を打ち出していますが、
その内容を要約しますと、高カロリー、高脂肪の食品つまり肉、乳製品、卵と
いった動物性食品を減らし、できるだけ精製しない穀物や野菜、果物を多く摂
るようにと勧告しています。

 また、この『上院レポート』を補足する形で発表されたのが『食物・栄養と
ガン』に関する特別委員会の中間報告ですが、そのレポートで特に注目される
のは、「タンパク質(肉)の摂取量が増えると乳ガン、子宮内膜ガン、前立腺ガ
ン、結腸・直腸ガン、膵ガン、胃ガンなどの発生率が高まる恐れがある」とし
て「これまでの西洋ふうな食事では脂肪とタンパク摂取量との相関関係は非常
に高い」と述べています。

 そして最も理想的な食事は元禄時代以前(庶民が白米を食べる以前)の日本
人の食事であることが明記されているのです。元禄時代以前の食事と言います
と結局は精白しない殻類(玄米)を主食とした季節の野菜や海草や小さな魚介
類といった内容です。

 当時も、玄米のフィチン酸の良し悪しについいては、学術的にも議論された
上でのレポートであるはずです。

(3)私の体験

 私が玄米食を始めたキッカケは友人の社長がガンになって私の玄米を食べる
ようになったからです。それまで、私は玄米を食べるなんて信じられませんで
した。友人は、牧野のところの安全な玄米なら安心して食べられるといって玄
米食の素晴らしさを教えてくれたのです。以来、私も玄米の勉強をしてずっと
家族全員が玄米食です。

 当時二人の子供は小学生でした。特に次男は病弱で、毎月のように病院通い
だったのが、いつの間にか元気なり、病気知らずです。今では、私の背丈をは
るかに追い越し、180cmもあり、元気に東京の大学に通っております。長男
も大学4年間を応援指導部という厳しいクラブ活動の中、全く病気知らず。健
康そのもので、社会人となっています。二人とも、牛乳は飲んでいません。玄
米食のお陰で、すっかりあっさり日本食等で、マクドナルドもケンタッキーも
全く食べません。

 例の友人は一年ほどでガンも完治し、今も元気で会社経営の指揮を取っています。

 毛髪による体のミネラルバランスや体調を測定する予防医学検査があるので
すが、その毛髪検査でも理想的ミネラルバランスと、検査をされたお医者様も
びっくりされていました。

 玄米のフィチン酸(IP6)が、体内のミネラルを出してしまうというのが
本当ならば、私をはじめ家族全員ミネラル不足で、子供は背も伸びないという
ことになるはずですが、全くそのようなことはありません。

 ちなみに、私は肉は全く食べません。お魚をたまに食べる程度で、ほとんど
玄米と野菜だけ。子供も肉や魚類は全体の15%以内を目安にしています。

以上が、私の主観的な考察です。

(4)学術的考察

 次に、学術的な観点から申し上げます。以下に述べる論文は、1998年に
京都で開かれた「コメと疾病予防に関する国際シンポジウム」の発表論文をま
とめたものです。

フィチン酸(IP6)

 フィチン酸(IP6)は、細胞の成育に欠かせない物質として知られていま
す。最新の研究により、生体内でフィチン酸(IP6)が様々な生理活性作用
をすることが明らかになりました。がんの予防、脂肪肝や動脈硬化の抑制、心
臓血管病の予防、尿路結石や腎結石の予防、抗酸化作用など多岐に亘っていま
す。このフィチン酸は、アルカリと結合して中性の塩になる性質をもっている
ため、フィチン酸は鉄やカルシウムがあると、それと結合してフィチン酸塩を
つくってしまい、フェチン酸により体内のミネラルが排出されることから継続
的な玄米食は危険という意見もあります。

 しかし、メリーランド大学のシャムスディン教授らの動物実験で、フィチン
酸(IP6)が血液中のミネラル(Ca 2+ 、Fe 2+、Mg 2+、Zn 2+)の濃度に
影響を与えなかったことを立証しました。

 フィチン酸(IP6)の働きが発見されたきっかけは、米国メリーランド大
学医学部の医学博士・シャムスディン教授がフィンランドとデンマークのガン
発生率の差に着目したことにあります。

 従来の大腸ガン予防研究では、食物繊維にばかり重点が置かれ「食物繊維を
多くとればとるほどガンの発生率が低下する」と考えられていました。

 ところが、デンマークとフィンランドの人々の食物繊維摂取量を調査すると、
双方とも同じくらいの食物繊維をとっているにもかかわらず、デンマークのほ
うが大腸ガンの発生率が二倍も高いということが判明したのです。

 そこで、さらにそれぞれの食生活の違いをこまかく調べたところ、フィンラ
ンド人のほうがぬかや胚芽のついた穀物をたくさんとっていることがわかりま
した。つまり、IP6の多い穀物を中心に食事をしている人々のほうが、大腸
ガンの発生率が少なかったのです。

 その後、シャムスディン教授はこのフィチン酸(IP6)が大腸ガンだけで
なく、肺ガン、乳ガンなどの多くのガンを抑制する効果があることを、ラット
を使った実験によって確認しています。

 またフィチン酸(IP6)は、病気や老化のもととなる活性酸素の害を2/
5以下に抑えることもわかりました。これがフィチン酸(IP6)はガンだけ
でなく、生活習慣病の予防や改善にも有効に働くゆえんなのです。

 イノシトールとフィチン酸(IP6)には、コレステロールや脂肪など、体
内の汚れを除去する効果もあります。

 コレステロールがふえすぎる理由のひとつとして、体内の銅と亜鉛のバラン
スの崩れがあります。IP6は、この亜鉛と銅の比を正常化させ、コレステ
ロールを正常な状態に整える働きをします。実際に高コレステロール食で飼育
された実験動物にフィチン酸(IP6)を与える実験でも、フィチン酸(IP
6)を与えない場合にくらべて、コレステロール値が19%、中性脂肪値が6
5%低下するという結果が出ています。

 またフィチン酸(IP6)には、血管の栓の原因となる、血管壁の「石灰化
プラーク」をとかし、血液をサラサラにする作用もあります。

 現在、私たちはいくら注意しても毎日70~80種類もの食品添加物を体内
に入れざるを得ないのが実情です。何とか健康を保つためにも、解毒排泄力の
強い玄米を主食にすることが大変に有効であることがお分かりいただけたので
はないでしょうか。

 玄米に含まれる「フィチン酸」(IP6)は、細胞の成育に欠かせない物質
として知られていることは前に述べたとおりです。

 それに加えて、フィチン酸(IP6)は汚染物質の水銀やカドミウムなどと
化学結合して水に不溶性の塩となって排泄します。農薬のPCBその他の毒物
も排除します。

 つまり食品添加物や農薬、公害汚染物質などの毒を絡みこんで体外に排泄す
る作用があるのです。いわば体内の有害物質掃除人といえるでしょう。

 このフィチン酸(IP6)と玄米に豊富に含まれる食物繊維の相乗効果で強
力な解毒作用が生まれてくるのです。

 また、玄米に含まれる食物繊維の豊富さは昔から有名ですが、その中でも不
溶性食物繊維というものが大きな役割を持っています。水分を吸収して膨らん
だ玄米の不溶性食物繊維は、消化に時間がかかるために脳内の満腹中枢を刺激
し少量で満足を得られるという面があります。そのためにご飯の量を減らさな
くてもダイエット効果が生じます。

 また更に不溶性食物繊維は腸を刺激し排便を促すことから便秘解消の効果も
あり、まさに美容の味方。そのためビタミン・ミネラルをはじめとする各種栄
養素の吸収効率が高まり健康への好循環が生じます。

 食物繊維の素晴らしさはこれだけではなく、体内のゴミ掃除をしてくれる点。
体内の食品添加物やガン化の原因になるさまざまな有害物質を吸着し絡め取っ
て体外に排出します。

 食物繊維とフィチン酸の相乗効果が玄米の持つ解毒・排泄作用と呼ばれるも
のです。この作用が非常に高いために玄米は多くのガンの予防に効果的です。

 玄米を食べていた人が砒素ミルク中毒や水俣病、戦前には赤痢やコレラなど
の発症から免れたり症状が軽くて済んだという報告はかなり多数残っています。
これも玄米の持つ解毒・排泄作用のなせる業です。

 最近話題のダイオキシンは、発がん性や肝臓障害などを引き起こし、体内に
入ると脂肪組織に蓄積し、排泄されにくいものです。しかし、食物繊維と葉緑
素を多く含む緑黄色野菜がダイオキシンを体外に排出する効果の高いことを、
福岡県保健環境研究所の森田邦正氏らの研究グループがラットの実験で明らか
にしました。特に、玄米による排泄量が最も高かったことが明らかになりまし
た。

アブシジン酸

 なぜ玄米をはじめとして植物の種がアブシジン酸を持っているかというと、
一定の温度を積み上げないと発芽しないようにアブシンジン酸がコントロール
しているのです。逆に一定の温度が続くとアブシジン酸は消滅するという凄い
自然の仕組みがあります。

 いつでも、水分があれば芽が出てしまったら、冬でもいつでも芽が出て困る
ことになります。神様のお知恵としか言いようがないくらい正確無比です。

 一定の温度がかかるとアブシジン酸は消えて無くなり、芽が出ることが可能
になるのです。ですから春になると一斉に芽が出てくるのです。

 アブシジン酸は熱に弱い物質です。そいうわけで炊飯すると熱がかかります
と消滅します。ですから玄米御飯に炊飯した場合は問題ありません。

 長い間放置されていた植物の種が、条件が整ったとたんに発芽することがあ
りますね。これは、フィチン酸(IP6)やアブシジン酸が種子を有害な物質
や刺激から守り、発芽する力を維持できるよう、生命を守るという働きを持っ
ているからなのです。

 この、生命を守るという点が大切ではないかと私は考えています。ただの、
化学物質としてフィチン酸(IP6)やアブシジン酸を考えると、確かに、体
内の大切なミネラルを沢山排出してしまうのではないかという疑問が出ます。

 しかし、、体内ではまるで神の力が宿っているような、人間の知識では考え
られないような精妙な化学反応が起こっています。全てが、生命を守るために
最善が行われ、フィチン酸(IP6)も体内では生命を守るように働く大切な
パートーナーとなる機能性物質なのです。だからこそ、メリーランド大学のシ
ャムスディン教授らの動物実験の通り、フィチン酸(IP6)が血液中のミネ
ラル(Ca 2+ 、Fe 2+、Mg 2+、Zn 2+)の濃度に影響を与えなかったことを立
証できたのでしょうし、私の体内ミネラルも理想的バランスという結果が出た
のでしょう。

(現代食養生 Vol.20 完)






ーーー②ーーーーーーーー

http://blog.goo.ne.jp/miyakekazutoyo230910/e/5ec7918a1d7012162872a8d6cf19b114

健康な食生活の原点は“朝食抜きの玄米菜食”


2012年12月25日 | 食養


 理想的な食生活とはどんなものでしょうか。
 国際的に捉えると、食事内容で最も高く評価されたのは、日本の江戸・元禄時代以前の「玄米菜食」です。これは、1977年に「マクガバン報告」の中で書かれているのですが、米国政府が世界中から学者を集め、7年の歳月をかけて詳細に調査研究された結果ですから、玄米菜食は世界一健康的な食事であると言えましょう。
 そして、理想的な食事回数はというと、その当時にとられていた「朝食抜きの1日2食」です。ただし、大して体を動かさない現代にあっては、紀元前の大昔の1日1食の方が、より理想的でしょう。

 先に、食事回数の変遷を、戦国時代以降について簡単にみておきましょう。
 元禄時代というと、徳川政権が安定し、平和が訪れた時期でして、それ以前となると、武士から農民まで、朝食抜き1日2食という食生活でした。戦(いくさ)や野良仕事が十分にこなせる質実剛健な体づくりは、胃袋が空の状態ではじめて可能なのです。
 ところが、元禄時代以前であっても、肉体労働をせず、安定した地位にあった僧侶(たぶん公家も)は、暇でもあり、口寂しさから既に朝食を取る文化を持っていました。
 こうしたことから、元禄時代の到来をもって、武士の食生活も僧侶化してしまい、朝食を取るようになって1日3食となり、江戸町人もその真似を始めます。
 でも、地方や農民は、朝食抜きの1日2食を通しました。
 明治になって、農民からの徴兵が始まると、武士の1日3食が兵食となり、兵役を解かれた者が田舎へ帰って1日3食を要求し、これが全国津図浦々まで広がります。
 こうして、今日の日本人の食生活は、1日3食がよしとされてしまいました。
 そして、朝食を抜こうものなら、“朝食を抜くとは何事ぞ、健康に悪いに決まっている!必ず朝食を取りなさい!”と、国を挙げてバッシングされてしまいます。農林水産省、厚生労働省、文部科学省、皆、朝食キャンペーンをしていますし、栄養学者、医学者も、そうした主張をなさる先生方が多いです。
 でも、こんな国は世界広しと言えども日本だけです。
(朝食抜き1日2食ないし1食についての詳細は、朝食有害論の歴史的推移そして叩かれ続ける“朝食有害論”をご覧ください。)

 一方、食事内容も時代とともに変わってきます。元禄時代以前は、玄米菜食であったのですが、元禄時代になると、安定収入が得られる武士そして豊かになった江戸町人は、精米した白米を食べるようになり、一気にグルメ志向になります。遅れて大坂商人などにもこれが広まります。
 明治になって、兵隊募集の殺し文句の一つが、“1日3度白い飯が食える”でして、これによって農民層にも白米食が普及し始め、玄米食は姿を消します。もっとも、農民は、明治政府の富国強兵政策により、江戸時代よりきつい年貢が課せられたため、精米に麦や雑穀を多く混ぜた飯を食べるのが一般的でした。
 なお、完全な白米食になると、甘くて美味しいですから、おかずなしで、これを多食するようになって、江戸時代には“江戸わずらい”、明治時代は“かっけ”で悩まされることになります。ビタミンB1欠乏症です。
 白米食による最大の悲劇は、日露戦争における陸軍兵士の“かっけ”による病死者2万人で、軍医のトップにいた森鴎外がその真犯人であることは知られざる事実です。

 これを上回る食事内容の劇的変化は、第2次世界大戦後において起きたことは言うまでもないことですが、現在に至っては、毎食必ずと言ってよいほどに動物性たんぱく質が食卓に乗ります。そして、調理も同様に食用油が日常茶飯事的に使われます。
 加えて、腹八分がよしとされていますが、満腹になるまで飽食する傾向が強いです。
 これは、日本経済が成長して国民一人ひとりが豊かになり、洋風料理が一般化したことによることは、皆さん重々承知しておられるとおりです。
 しかし、ここでもまた、戦後暫くの間は、国を挙げて、動物性たんぱく質を取れ、油脂を取れ、日本を負かせた米国の食事が日本人の体にも一番良いものであると、一大キャンペーンが展開され、日本人は胃にもたれるのを我慢しつつ、洋風料理を食べさせられ続け、おかしな食い物に馴れさせられてきたのが、そもそもの始まりです。
 その結果、動物性たんぱく質も油脂も、今では度が過ぎてしまい、肉類は戦前の約16倍、油脂類は約19倍もが供給されるようになって、ほとんどの日本人の胃袋は悲鳴を上げている状態に陥っています。(その詳細については、油まみれの食生活、「油」断しませんか をご覧ください。)
 そして、このことに誰も気がついていないのです。皆の胃が弱くなると、弱っている状態が正常と勘違いしてしまい、それが普通とされてしまいますからね。中にはまれに丈夫な胃袋を持ち合わせておられる方がみえますが、そうした方はオバケ扱いされて、正常の範疇には入れてもらえないのです。
 日本人に胃ガンが突出して多いのは、胃が弱っているからですし、東南アジアなどへの旅行で、欧米人がどってことないのに日本人だけがコレラに感染するのも胃が弱いからです。なんせ、日本人の胃袋の厚みはドイツ人の3分の1しかない華奢な胃袋ですから、そこへ動物性たんぱく質や油脂がドカンと入ってきたら、胃袋はギブアップするしかないのは必然的なことです。また、胃が弱いから、たんぱく質が未消化となり、それが大腸で腐敗しますから、日本人の大腸ガンが、これまた突出して多くなってきています。

 現在の食生活を続けると、これから先、日本人の体はどうなるのでしょうね。
 世界一不健康な国民と言われるようになる恐れが多分にあります。
 それを小生が痛切に感じたのは、2ヶ月ほど前の葬式のときです。お寺の大お庫裏様が亡くなられ、寺役員として葬式の準備を行うことになりました。通夜は30分ほどで終わったのですが、門徒の大半は境内で立ちっ放しで、腰が痛くなったと訴える者が多く、翌日の葬式が1時間半かかろうということでしたから、門徒全員を立たせておく訳には参らぬと相成り、急きょ椅子を手配して、腰掛けて参列していただくことにしたところです。
 12年前に、小生は親父の葬式を出したのですが、そのときは家でやりましたから、参列者は庭で1時間立ちっ放しでしたし、その頃は、たいていの葬式がそうしたもので、それが当たり前であって、それでもって腰が痛くなったと訴える者はまずいなかったです。
 その後、10年近く前から、当地では、葬式は町民センターや民間のホールでやるようになり、1時間も立ちっ放しということがマレになり、そうしたこともあって、皆、楽をしたがるのでしょうが、10年前に比べ、いかにも腰が弱くなったものだと感じたところです。
 10数年前になりましょうか、ジベタリアンという言葉が登場しました。今時の若者はどれだけの時間も立っていることができず、すぐ地べたに座りたがるということから生まれた造語ですが、今では、1億日本人皆、ジベタリアンになってしまった感がします。
 これは、運動不足による腰回りの筋肉の衰えなり、飽食による肥満で腰にかかる荷重が大きくなっていることもありましょうが、近年、段々おかしな物しか食わなくなってきたことが最大の原因ではないでしょうか。

 もう一つ、小生が感じたことについて紹介しておきましょう。それは、幼少の頃のことですが、うちの小学校の児童は、ほとんどが農家の子弟であって、肥満児は一人もいませんでした。たぶん5年生の頃だったと思いますが、小学校が違う隣町(農家は少ない)にソロバン塾があり、そこへ通うようになったら、隣の席に肥満児が座りました。間近で肥満児を見るのは初めてでしたので、そのぽちゃぽちゃした体をまじまじと見て思ったのは、“こいつは病気か?”です。でも、明るく元気に動き回りますから、“よくもこんな肥満体であんなに機敏に動けるとは何とも不思議なものだ”と感心したところです。
 これは、半世紀前のことですから、肥満児であっても、けっこう活発に動けたのでしょうね。今の肥満児、甥っ子がそうでしたが、のそのそ動いているだけで、肥満児であっても半世紀も経つと、その動きが変わるように思われます。
 小生の数少ない経験からでは断言することはできませんが、半世紀前は肥満児であっても、かなりの健康体であったと思われてなりません。これは、よく動いたこともありましょうが、何よりも食生活が今よりずっと良かったからではないでしょうか。

 その1世紀前の明治初めとなると、日本人の健康度は格段に良かったと思われます。これは史実にあるのですが、開国によって日本を訪れた外国人が皆、日本人の元気さ、健康さに驚いています。そうしたことから、ある外国人は、東京から日光へ行くのに、馬に乗っていった方が速いか、人力車が速いかを競争をさせたら、何と人力車の方が勝ってしまったというから驚きです。
 さらにそれより3世紀前の戦国時代。戦の場面がテレビドラマでよく映し出されます。これは絵巻物などに基づき忠実に再現されていると思われるのですが、馬にまたがった武将の周りを足軽が並走していきます。実戦ではけっこうな距離を走ることになると思われるのですが、彼らは、いざ敵軍と会い交えても息が上がることは決してなかったことでしょう。史実としては、1583年の賤ヶ岳の戦いにおける羽柴秀吉の「美濃返し」が有名ですが、このとき、秀吉軍は、大垣から木の本までの丘陵地帯を含む52キロメートルを5時間で移動しています。足軽たちは、鎧を纏い、刀や槍を持って、上ったり下ったりしながら時速10キロで5時間も小走りしたのですから、その体力には驚愕させられます。

 半世紀前、明治の初め、戦国時代と、時代をさかのぼっていくにつれて、日本人の丈夫さが目立ってきます。日頃の体を動かす度合いについては、どれほどの差もないことでしょうが、はっきり大きく違うのは食生活です。
 半世紀前、小生のうちでは、田舎はどこもそうですが、麦飯で、おかずは芋かカボチャに野菜のおひたしといったところで、味噌汁が毎食付き、漬物が必ずある、というのが定番でした。動物性食品となると、時々イワシの目刺しが付き、秋にはサンマの塩焼き、冬にはまれにすき焼きで牛肉が少しだけ入るといったところでした。もっとも、どこのうちも鶏を飼っており、卵はまずまず口に入りましたし、老鶏は親父が潰してくれて家族皆で鶏肉やモツを食べることができました。蛇足ながら、鶏を潰す役割を担った方は、殺生の罪悪感から、鶏肉が食べられない方がけっこういらっしゃいます。
 明治の初め、江戸の人力車夫も似たり寄ったりの食生活であったことでしょう。違うのは、麦飯ではなく白米食であって体に悪かったでしょうが、卵や鶏肉、牛肉は口にすることがうんと少なかったでしょうから、差し引きプラスと考えてよいでしょう。
 そして、戦国時代となると、まさに玄米菜食であり、1日2食です。
 江戸時代の町人のようにイワシの目刺しやサンマの塩焼きが時々食べられたわけではなく、これらはごちそうとしてまれに口に入っただけと思われます。そして、白米は酒造に使われただけで、ご飯は玄米に雑穀を混ぜたものが定番となっていました。

 いかがでしょうか。雑穀米に、芋と野菜のおかず、味噌汁が付き、漬物がある、という食事、これが江戸・元禄時代以前の定番でして、今日、国際的に最も高く評価されているのです。さらにそれ以前となると、味噌は比較的新しい食品ですから味噌汁なしとなりますし、塩の流通が悪かった昔は漬物もなしであったことでしょう。そして縄文時代までさかのぼると雑穀米の代わりに木の実を食べていました。
 そして、世界で最も植生が豊かで人口密度も最も高かったであろう日本列島ですから、陸生動物は辺地へ追いやられ、これを口にすることはまれであったと思われます。もっとも、魚介類は豊富に存在しましたが、その昔に魚網があるわけはなく、その摂取量はたいしたことはなかったことでしょう。
 こうした動物性食品が少ない食生活をずっと続けてきたのが、日本人でして、その消化器官も、その食性に適したものになっています。そして、これは、ヒト本来の食性です。
 華奢な胃袋と長い腸を持ち備え、たんぱく質や脂肪の消化酵素はあまり出ず、でんぷん消化酵素がよく出せる体質をもっていたのが日本人なのです。
 その体質は半世紀やそこらで大きく変えられるものではありません。肉食傾向が強いヨーロッパ大陸の民族とて、数万年かけて、やっと今日の体質が身に付いただけですし、それでも、未だにたんぱく質と脂肪の摂取過剰による生活習慣病を抱え続けています。

 明治初めに開国によって日本を訪れた外国人が、日本人の元気さ、健康さに驚き、人力車夫の丈夫さにびっくりしたことを先に書きましたが、これには続きの話があります。
 その外国人は、人力車夫は普段は肉を食べていないから、彼に肉を食わせればもっと速く走るだろうと考え、車夫に肉を食わせたところ、車夫は“肉を食うと力が出ないから肉は止めにして欲しい”と訴えた、とあります。
 このように、体力を使う職業にあっても、今日言われるような“スポーツ選手はたんぱく質の補給が欠かせない”ということは決してないのです。これについては、いい実例があります。肉と油脂を制限した食事によって、46歳まで剛速球を投げることができた大リーガー、ノーラン・ライアンです。(その詳細は、46歳大リーガー、ノーラン・ライアンに学ぶをご覧ください。)

 ここまでくれば、日本人にとっての、それは国際的にも言えることなのですが、ベストな食生活というものはどんなものか、よくお分かりでしょう。
 玄米菜食とし、発酵食品(味噌、漬物)を毎日摂ることです。
 ここで、発酵食品について、簡単に触れておきましょう。戦国時代に兵糧(陣中食)として盛んに使われたのが、当時まだまだ貴重品であった味噌です。そして、鎌倉武士以降、出陣に当たっては梅干を食べるようになっています。
 生活の知恵として、味噌や漬物が体に良いことを知っていたのでしょうが、ヒトの体に発酵食品が合っているのは、次のように考えるとよいです。
 ヒトに近縁のゴリラは、草しか食べないと言ってよいほどの草食動物で、大腸で未消化の草をどれだけか発酵させて、口からは大して入らないアミノ酸や有機酸などの栄養を得ています。これを後腸発酵と言いますが、ゴリラの後腸発酵は不十分なものですから、彼らは糞食をすることが度々あり、未消化物を再度発酵させて栄養を得ています。
 ヒトはゴリラほどには後腸発酵が出来ませんが、菜食に徹すれば、ゴリラにどれだけか近い後腸発酵ができ、アミノ酸の大きな補給源となっていることが分かっています。また、でんぷん質が多くなる玄米菜食であっても、その便は酸っぱい臭いがし、後腸発酵がどれだけか進んでいることが分かります。
 よって、発酵生成物はヒトの体も求めている、ヒトの体にぴったりの栄養なのです。
 なお、後腸発酵は腸内善玉菌によって行われ、肉を食べると未消化のたんぱく質が悪玉菌によって腐敗し、腐敗による生成物で善玉菌の増殖が止められ、後腸発酵がほとんど出来なくなります。便が単に臭いだけで酸っぱさが感じられない場合がそうです。
 (後腸発酵や腸内環境改善については、食物繊維の一種であるオリゴ糖を中心にして記事にしていますから、左サイドバーのカテゴリー「オリゴ糖の働き」をクリックしてご覧ください。) 
 ヒトの後腸発酵の重要性について付言しておきましょう。
 後腸発酵により、大腸内は酸性に傾きます。すると、小腸で不溶性となっていたミネラルがイオン化されて大腸でミネラルの吸収が促進されるのです。ミネラル不足の日本人ですから、こうした面でも後腸発酵が重要性を高めています。(大腸でのミネラル吸収については、各種ミネラルの吸収(Ca:No.5)をご覧ください。)

 今日の食生活に慣れ親しんだ体では、いきなり玄米菜食に戻すことは不可能でしょうし、いきなり切り替えると健康を害する恐れもあります。
 健康が気になる方は、少しずつ玄米菜食を取り入れていくのが良いでしょうね。
 最後に、玄米食について非常に重要な注意点を上げておきます。
 玄米は生きていて毒になります。その毒を殺さねばなりません。これは簡単なことで、玄米を十分に水に漬けておき、玄米が発芽しようとする状態になれば毒は消えます。
 間違っても、水洗いして直ぐに圧力釜で炊くようなことはしないでください。
(玄米の毒性とその除去方法の詳細については、玄米VS白米論争をご覧ください。)

 さあ、あなたも食の原点に立ち返り、“朝食抜きの玄米菜食”へ向かって、その一歩を歩み始めませんか。
 お先真っ暗なこの世にあって、その閉塞感を打ち破るには、自らの力で自分を変えていくしかありません。そのためには、自分の体の健康の見直しを行い、元気で丈夫な体づくりをすることが基本となりましょう。




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