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ひふみ神示を太陽(ミロク)原理、神の数学、『太陽のサイト』・『宇宙の真相』・『終末と太陽の検証』・『ひふみ神示黎明編』、世界の民の会より解読。

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一二三神示

解読編CONCEPT

冬の巻 第01帖 (770)

 宇宙は霊の霊と物質とからなっているのです。
 人間も又同様なのです。
 宇宙にあるものは皆人間にあり。人間にあるものは皆宇宙にあるのです。
 人間は小宇宙といって、神のヒナガタと云ってあるでしょう。
 人間には物質界を感知するために五官器があります。
 霊界を感知するために超五官器があるのです。
 神界は五官と超五官とを和して知り得るのです。
 この点を 誤らないでください。
 霊的自分を正守護神といい、神的自分を本守護神といいます。
 幽界的自分が副守護神です。
 本守護神は大神の歓喜であります。

 神と霊は一つであって、幽と現、合せて三です。
 この三つの神、幽、現は三にして一つの生命体であり、一つの生命体にして霊と現の二つであり、二にして神を中心に和した三であるのです。
 故に肉体のみの自分もなければ霊だけの自分もない。
 神界から真直ぐに感応する想念を正流といいます。
 幽界を経て又幽界より来る想念を外流というのです。
 人間の肉体は想念の最外部、最底部をなすものですから肉体的動きの以前に於て霊的動きが必ずあるのです。
 故に人間の肉体は霊のいれものと云ってあるのです。

 又 物質界は、霊界の移写であり衣ですから、霊界と現実界、又 霊と体とは殆んど同じもので、同じ形をしているのです。
 故に物質界と切り離された霊界はなく、霊界と切り離した交渉なき現実界はないのです。
 人間は霊界より動かされますが、又 人間自体よりかもし出した霊波は反射的に霊界に反影するのです。
 人間の心の凸凹によって、一は神界に、一は幽界に反影するのですよ。
 幽界は人間の心の影が生み出したものと云ってあるでしょう。

 総ては大宇宙の中にあり、その大宇宙である大神の中に、大神が総てを生み給ったのです。
 このことをよくわきまえて下さい。
 善のこと悪のこと、善悪のこと総てが神の働きであることが、よく判って来るのですよ。
 故に、人間の生活は霊的生活、言の生活であるのです。
 肉体に食うことがあれば霊にもあり、言を食べているのが霊です。
 霊は言です。
 この点が最も神示解読において大切なことですから、くどく云っておきます。

 死んでも物質界とつながりはなくなりません。
 生きている時も霊界とは切れないつながりがあることを、とくと会得しなさい。
 そなた達は神をまつるにも、祖先まつるにも物質のめあてつくるでしょう。
 それはまだまだ未熟な事なのです。

 死後に於ても、現実界に自分があります。
 それは丁度、生きている時も半分は霊界で生活しているのと同じなのです。
 自分の衣は自分の外側です。
 自分を霊とすると、衣は体、衣を着た自分を霊とすれば家は体、家にいる自分を霊とすれば土地は体です。
 更に祖先は過去の自分であり、子孫は新しき自分、未来の自分です。
 兄弟姉妹は最も近き横の自分なのです。
 人類は横の自分、動、植、鉱物は更にその外の自分なのです。
 切りはなすことは出来ません。

 自分のみの自分はないのです。
 縦には神とのつながりが切れません。
 限りなき霊とのつながりは切れません。
 故に、神は自分なのです。
 一切は自分なのです。
 一切がよろこびなのです。

 霊界に於ける自分は、殊に先祖との交流、交渉が深いのです。
 よって、自分の肉体は自分のみのものではないのです。
 肉体も先祖霊と交渉が深いのです。
 神はもとより一切の交渉が自分にあるのですよ。
 その祖先霊は神界に属するものと幽界に属するものとがあります。
 中間に属するものもあります。
 神界に属するものは、正流を通じ、幽界に属するものは外流を通じて自分に反応してきます。
 正流に属する祖先は正守護神の一柱であり、外流に加はるものは、副守護神の一柱と現われてくるのです。
 外流の中には、動植物霊も交ってくることもあります。
 それは己の心の中にその霊と通ずるものがあるためです。

 一切が自分であるためです。
 常に一切を浄化せねばならないのです。
 霊は常に体を求め、体は霊を求めているからです。
 霊体一致が喜びの根本であります。
 一つの肉体に無数の霊が感応し得るのです。
 それは肉体=霊であるが故にです。
 霊には霊の更に奥にある霊が感応します。
 又 高度の霊である太陽(ミロク)原理は無限に分霊するのです。

 二重三重人格というのは、二重三重のつきものの転換によるものであり、群集心理は一時的の憑依霊であると云ってあるでしょう。
 霊が元と云ってくどく知らしてあるでしょう。
 人間は現界、霊界共に住んで居り、その調和をはからねばなりません。
 自分は自分一人でなく、タテにもヨコにも無限につながっているのですから、その調和をはからねばなりません。
 それが人間の使命の最も大切なことなのです。

 調和を乱すのが悪です。
 人間のみならず、総て偏してはなりません。
 霊に偏してもなりません。
 霊も五、体も五と云ってあるでしょう。
 ですが主は霊であり体は従です。
 神は主であり、人間は従であるのです。
 五と五と同じであると云ってあるでしょう。
 差別則平等と云ってあるでしょう。(主と従を間違えなければどちらも尊いのです。)
 取り違いは禁物です。

 神は愛と現われ、真と現われるのですが、その根はよろこびなのです。
 神ミロクの子は皆よろこびです。
 よろこびは弥栄です。
 ですがよろこびにも正流と外流とがあります。
 間違えてなりません。
 正流の歓喜である太陽(ミロク)原理はひふみ解読【愛】の善となって現われて、又 真理【真】の信と現われるのです。
 外流のよろこびは愛の悪となって現れます。
 何れも大神の現れであることを忘れないでください。

 悪を抱き参らせて進むところにマコトの弥栄があるのです。
 神は弥栄なのです。
 これでよいということはないのですよ。
 大完成から超大大完成に向って常に弥栄しているのですよ。
 宇宙は総てに於ても、個々に於ても総てよろこびからよろこびに向って呼吸しているのです。
 よろこびによって創られてよろこんでいるのです。
 故によろこびなくして生命の活動【生き】はないのです。
 神と人との合一はないのです。

 愛は愛のみではよろこびでないのだと云ってあるでしょう。
 真は真のみでは喜びでないと云ってあるでしょう。
 愛と真と合一し、太陽(ミロク)の仕組が息する【ゝ】 するところに、陰と陽と合一があり、弥栄したところによろこびの太陽(ミロク)原理があるのです。
 この巻 冬の巻です。五月五日の佳き日。
 ひつく神。

年月日

昭和二十七年五月五日
 旧四月十二日(1952年)

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