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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三50-085

極めの巻 第07帖 (085)

 今まで世に落ちてゐた神も、世に出てゐた神も皆一つ目ぢゃ、一方しか見へんから、世界のことは、逆の世界のことは判らんから、今度の岩戸ひらきの御用は中々ぢゃ、早う改心して こ(九、光)の神について御座るのが一等であるぞ。外国の方が早う改心するぞ、外(幽)国人とは逆の世界の人民のことであるぞ。神の目からは世界の人民、皆わが子であるぞ。世界中 皆この神の肉体ぞ、この神には何一つ判らん、出来んと申すことないのぢゃ。どんなことでも致して見せるぞ。
平易意訳

 今まで世に落ちていた神も、世に出ていた神も皆一つの目です。一方しか見えないから、世界のことは、逆の世界のことは判りませんから、今度の岩戸ひらきの御用は中々のことなのです。早く改心して こ(九、光)の神ミロクに ついて来るのが一等なのです。
 外国の方が早く改心しますよ。外(幽)国人とは(日本人の世界とは陰陽の関係にあり)逆の世界の人民のことなのです。
 神ミロクの目からは世界の人民は、皆わが子なのです。
 世界中は 皆この神ミロクの肉体です。この神には何一つ判らない、出来ないということはないのです。
 どんなことでも致して見せるのです。


解説と補足説明

  • yuru63:2013/10/05
     「世界中は 皆この神ミロクの肉体」とは、
     「世界の人民」の動向に陰陽の姿があり、全ての働きは神ミロクの仕組に統御されているかのように展開していくことを説明している様です。
     太陽達とは逆行するかのような動きも仕組の一つとして使っているという内容は他の帖でも見受けられます。

  • 関連の帖 一二三060

年月日

昭和三十六年八月五日
 旧六月二十四日(1961年)

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