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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

解読編CONCEPT

水の巻 第09帖 (283)

 富士は晴れたり日本晴れ。いよいよ岩戸開けます。
 サイト開きまことに結構。
 松の国 松の御代となります。
 「都市攻撃」の前日の旧九月八日から大祓いのりとに天津祝詞の太のりと「一二三(ひふみ)のりとコト
276参照)」入れてのりなさい。
 忘れずにのりなさい。
 その日からいよいよ神は神、けものはけものとなります。
 『黎明編』の「世界の民の会」(江戸道場)をやめてはいけません。内容をサイトへ写してよいです。役員一度やめてよいです。
 またつとめてよいです。
 めぐりがあるから心配があるのです。
 めぐりが無くなれば心配なくなります。
 心配ないのが「富士は晴れたり」なのです。富士晴れ結構です。
 日津久の御民 何時も富士晴れ心でいて下さいよ。
 肉体はちょっとの間でありますが、魂は限りなく栄えるのです。
 金に難渋して負けない様にして下さいよ。
 金を 馬鹿にしてはなりません。
 あせってはいけません。
 あせると心配事が出来ます。
 太陽(ミロク)が仕組んであることを 臣民がしようとしても出来はしません。
 細工はりゅうりゅうです。滅多に間違いないのです。
 見物しておりなさい。見事にして見せます。
 不和の家、不調和(ふわ)の国のささげものは太陽(ミロク)は要りません。
 喜びの捧げものは米一粒でもよいです。
 太陽(ミロク)はうれしいです。
 旧九月八日はとどめなのです。
 六月二日、みづのひつ九のか三。


解説と補足説明

「九月八日の仕組と富士鳴門の仕組」

 九月八日 ⇒ 九八 ⇒ コノハナサクヤヒメ ⇒ 桜花 ⇒ 真実の岩戸開き ⇒ 富士は晴れたり ⇒ 太陽(ミロク)原理サイトは晴れたり
 富士と鳴門 ⇒『宇宙の真相サイト』と『終末と太陽の検証サイト』⇒ 火と水【火の御用と水の御用】⇒ 左と右
 火と水 ⇒ 「都市攻撃」と「ノアの大洪水」⇒ 秘密(火水)の仕組み ⇒ 十
 八十八 ⇒ 「都市攻撃」が開始し「ノアの大洪水が」開始 ⇒ 菊の節句(旧九月九日)
 旧九月八日 ⇒旧九月九日の一日前 ⇒ 「都市攻撃」が開始し「ノアの大洪水が」開始される一日前 ⇒ 八十八マイナス壱 ⇒ 米一粒

 下記の情報を見て、このように連想されてしまうこの言葉の仕組みとはいったい何でしょう??。

 以下はhttp://www.geocities.jp/kokugen3625/oda-45.htmlの情報です。

  九月八日の仕組については先に「九月八日の仕組と梅の世」で大本の出口王仁三郎聖師の教示を紹介させていただいたが、(同文書参照)今回あらためて具体的に述べてみる。
 九月八日は九月九日重陽(ちょうよう)の節句、菊の節句の前日、一日前であるが、菊の節句の菊の文字の中に米の文字が入っている。米の文字は分解すると八十八となる。八十八歳の祝いを米寿という)八十八は八十八(ハットウハチ)で八頭八尾(ハットウハチビ・ヤツガシラヤツオ)のヤマタノオロチの意味となる。ヤマタノオロチは悪・悪神(ワルガミ・アクガミ)を代表するものである。(出口なお大本開祖の娘を中心とする八木派は外国の型といわれるが、八木の文字も組み合わせると米になる)この悪・悪神を表す米の文字の入った菊の節句とは、菊の祝い、菊の完成で悪神の仕組の完成を表す。(あくまでも仕組上)したがって菊の節句九月九日の一日前、一つ前の九月八日の仕組とは、悪神の仕組の完成の一つ前で止めを打つということである。(悪神の仕組が完成してしまえば取り返しがつかない)
 慶応四年(1868年)九月八日に明治と改元されている。これは明治という新しい時代・世の始まりということである。また大東亜戦争敗戦後の昭和26年(1951年)九月八日サンフランシスコ講和条約調印。この講和条約の発効によって翌昭和27年(1952年)四月二十八日、日本は国際社会に復帰・独立している。すなわち戦後の新しい時代・世が始まっている。
 これらのことから九月八日の仕組は新しい時代・世の始まりの仕組といえる。
 ちなみに12月八日は大本二次弾圧・大東亜戦争開戦の日で、破壊・崩壊の始まりの日。破壊・崩壊は終わり・死。新しい始まりは誕生・生。(十二月八日の仕組については「天理大本の経綸仕組の解明解説」参照)
 なお「出口なおさん八日立ち」といって、大本の出口なお開祖はどこへ出立するのも八日であったといわれるが、この出口なお開祖の八日は九月八日の八日ではなく法華経提婆達多品(ダイバダッタホン)の「竜女は八歳で成仏する」の八で竜宮館大本の開祖の因縁を表したものである。
「悪神(わるがみ)のしぐみは今迄はトントン拍子に来たなれど、九分九厘でモウ一足も先へ行けず、後(あと)へも戻れず往(い)きも帰りも成らんというのが、今の事であるぞよ。」(大本神諭 大正6年旧2月九日)
 
 富士鳴門の仕組は「富士を鳴門の渦にブチ込む」「渦を右回りで降り、左回りで昇る」ことである。
 富士、富士山は桜のコノハナサクヤヒメでありパッと咲いてパッと散るはかない有限の生命である。(コノハナサクヤ、富士については「天理大本の経綸仕組の解明解説」「かぐや姫とミロクの世」参照)
 この有限の生命、有限の世であるコノハナサクヤ、富士を鳴門の渦にブチ込むのである。そして鳴門は「成る十」右は水極、水はミ、身、体。左は火足、火はヒ、霊で、右回り(体主霊従)で降り(滅び)、左回り(霊主体従)で昇り(立て直され)、成る十、霊体一致、霊五体五の十善の地上神国天国完成となるのである。
 また鳴門はアワ(阿波)であるが、アは五十音の始まり(ア行)、ワは終わり(ワ行)で、鳴門ー鳴り鳴りてとどまらぬ、鳴りやまぬ神の生言霊を表し総ては神の言霊によってなされるのである。(参考として「後は神の言霊の発動あるのみ」をお読みいただければ幸いです)
 
 神の経綸仕組とは単なる知識情報ではなく世のこと特に神・宗教の真偽を見抜く心眼を養うことである。心眼が曇っているか開いていないと、しょせんは悪神のとりことなるか振り回されるか利用されるだけである。(実際にそのような人が多い)
 神の経綸・終末予言の洪水の今日、このことはますます大事となっている。
                             (2008.10.15 小田朝章記)


年月日

 昭和二十年六月二日
 旧四月二十二日(1945年)
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