登場人物

渕上(ふちがみ)賢太郎博士
モテモテアカデミー及び夢を叶えるアカデミー主宰。数学、生命科学、行動経済学の博士号を持ち、人の心の動きを論理的に解明する。最近、「幸せ」について考える機会が多い。

山田君 
博士を慕う冴えない32歳。小さなIT企業に勤務する。博士の教えにより、彼女いない歴=年齢だったモテない人生に終止符を打った。特技はけん玉。人生の成功を願っている。

 
山田君 聖子ちゃんの結婚って略奪婚みたいです!

博士 そうか。

©2012 The Sankei Shimbun & Sankei Digital  再々婚を発表した歌手の松田聖子

山田君 6月21日発売の女性セブンに書いてありましたが、2年ほど前、聖子ちゃんは、番組の収録中に急に歯が痛くなって、診療所に駆け込んだところ、たまたま歯科医Kさんの担当日だった。最初は聖子ちゃんからのアプローチだったんだけど、最終的には、Aさんのほうが夢中になっていましたって、テレビ局関係者が言っているようです。

当時Aさんには、結婚生活15年に及ぶ8才年下の妻・B子さん(41才)とふたりの子供がいたが、その後約7ヵ月に及ぶ話し合いの末、2010年12月にふたりは離婚したって書いてあります。

博士 なるほど。

山田君 同じ女性セブンに、B子さんは(今回の結婚を)何も知らされておらず、聖子ちゃんとAさんの結婚をニュースで知ったみたいで。ショックでご飯も食べられない状態になり、友人が駆けつけて、なんとか平常心を保てたほどだったそうです!略奪愛ですよ、これは!!

博士 これが本当なら略奪愛かもな。

©2012 The Sankei Shimbun & Sankei Digital  妊娠5カ月の身重で、米ポートランドで挙式した長谷川理恵

山田君 でも、何でこんなに芸能人て、結婚、離婚に自由なんですか〜?

博士 芸能人をひとくくりにするのはよくないが、理由のひとつは経済力だろう。
ラジオの長寿番組「テレフォン人生相談」で「夫が浮気をしているので離婚したいけど、専業主婦だから経済的自立が難しい、どうしたらよいか?」という相談をよく耳にする。このとき、多くのケースで、弁護士は「経済的な自立が難しい場合、我慢して結婚生活を続けることが最善である」と助言する。実際、今日本にいるシングルマザーは108万人程度で、その平均年収は212万円と、全世帯平均の半分以下だ。しかも一度、専業主婦になった母親が再就職するのは難しい。(参考:あさイチ 5月7日放送

山田君 確かに、聖子ちゃんとは無縁な世界ですね。

博士 経済力のある人間は、ある程度世間のシステムにしばられず、自由に生きることが可能だ。そこに元来の自己中心的な天真爛漫さがあれば、それが抑えられることなく助長されるだろう。

山田君 自由に生きているといえば、長谷川理恵さんもそうですね。神田正輝とつき合っていると思いきや、「破局した」とブログで発表。その1ヵ月後に、カフェオーナーの楠本さんと妊娠&結婚報道が出ていましたもんね。

博士 破局の1ヵ月後に妊娠&結婚か...絶妙なタイミングだな。

豪邸に住んで高級外車を乗り回し、自由奔放に生きることが幸せ?

山田君 相手の楠本さんも今年の2月に離婚したばかりだそうですが、離婚成立前から関係があったのではという不倫疑惑や、神田正輝と同時進行だったという二股疑惑もあります。本人は否定しているらしいですが。結婚自体も、神田正輝さんが結婚してくれなかったため、楠本さんと子供をつくり結婚に持ち込んだという、神田正輝さんへの"あてつけ婚"と言われていたりします。

博士 そうか。

山田君 聖子ちゃんも、長谷川理恵さんも、自由奔放に生きていますよね。イヤになったり、うまくいかなくなったら、そこから逃げる。欲しいものは手に入れ、居心地がよさそうならそこに行くってうらやましいです。

博士 不安や苦痛から逃れ、安心や快楽に向かうように人は作られている。彼女たちの行動はある意味自然だ。それができるか、できないかだな。

山田君 ああ、そんな風に生きたい!お金持ちになって、世間のしがらみを気にせず、自宅にプールをつけて、水着のイイ女をはべらせ、高級外車にのって、高い酒飲みて〜!!

博士 お前は、成金ラッパーのPVか!!

山田君 そんなふうに生きられたら幸せ間違いなしじゃないですか!!

博士 どうだろう?そっちの方がかえって不幸かもしれないぞ。

山田君 またまた〜!いくら何でも、そんなわけないって!!

博士 今回は、自由に好き放題に生きられることのほうが幸せかどうか、考えてみるか?

山田君 お願いします。

影は不安や恐怖などのネガティブな心に現れる

博士 今回の話は2つある。まず1つ目だ。
『ゲド戦記』という世界的に有名なファンタジー小説がある。映画にもなったな。

山田君 映画は酷評されてましたね。

博士 映画が酷評されたのは、小説があまりに深く、映画での表現が不可能とされているからだ。小説『ゲド戦記』は世界中で高く評価されていて、ファンタジーという世界を通して、この世界の真実を語っていると思う。

山田君 ファンタジーに真実ですか?

博士 全6巻からなるゲド戦記の第1巻「影との戦い」には「影」という得体の知れない、恐ろしい、邪悪な存在が主人公のゲドという青年の前に現れる。どうして影が彼の前に現れたのかは小説を読んでもらうとして、ゲドは目の前に現れた影から逃げ、影を見ないようにする。しかし影はしつこくゲドにつきまとい、追いかけ続ける。そのつきまとい方は執拗をきわめる。一瞬は消えるかもしれないが、消えたと思った頃に再び現れる。決して逃げ切る事ができないんだ。ゲドはあるとき、影が何なのかに気づく。その説明は正確にされていないが、多分彼の行動を見れば、それはゲド自身のあらゆるネガティブな部分、たとえばそれは死、不安、恐怖、裏切り、ねたみ、不健康、悲しみ、怒りなどなのだろう。

山田君 深そうですね。

相手のネガティブな部分が見えないのは幸せ?

博士 僕の知り合いに占い師がいるのだが、面白い話を聞いた。最近彼女の元に訪れる女性は、タロットより、エンジェルカードを好むんだそうだ。

山田君 なんですか?エンジェルカードって。

博士 両方ともトランプのカードのようにシャッフルして、占う占いだ。その占い師になぜですか?と聞いたら「タロットにはネガティブなカードがあるけど、エンジェルカードにはないから」なんだそうだ。「死神」や「悪魔」、「タワー(破綻、災難、逆境などの意味)」などを見たくないようだな。

山田君 要は、ネガティブな結果を知りたくないということですね?

博士 また、女性の相談でときどきあるものに、複数の男性と同時につき合っている女性がいて、それらの女性に理由を聞いてみると「Aさんは楽しいけどお金がない」「Bさんは私にたくさん贅沢をさせてくれるけど、退屈」という具合に、いいとこ取りをしようとしているんだよ。また、ひとりとつき合っている女性の中にも、つき合ったとたんに急に相手のよくない面が見え、次から次へと乗り換える人が少なくない。

山田君 なるほど。

ネガティブとポジティブ、両面を受け入れないと幸せになれない

博士 ゲド戦記の著者アーシュラ・クローバー・ル=グウィンはこの第1巻の中で、ネガティブなことを見ないでいることも逃げることもできない、それを正面から認め、受け入れることで、ネガティブな存在が初めて消えると言いたいのだろう。

この世界はポジティブなもの、ネガティブなものが合わさってできている。タロットカードのように、死や破滅が世界の中に含まれている。我々自身もそうだ。個人の中に、ポジティブな面、ネガティブな面を含んでいる。どちらか一方だけでは存在しない。それに気づき、それを受け入れない限り幸せになれない、と著者は言いたいのだと予想する。

山田君 どれだけ不幸から逃げて、幸福を求めても、不幸が追ってくるってことですか?

博士 逃げている限り、追ってくる。

もうひとつの話をしよう。5年ほど前、僕は気づいたんだ。人間はあるアプリケーションを持っていて、そのアプリケーションに従って生きているため、不幸から逃げられないと。

山田君 アプリケーション??

2004年に公開されたドキュメンタリー映画『ダーウィンの悪夢』

博士 『ダーウィンの悪夢』という2004年に公開されたドキュメンタリー映画がある。数多くの賞をとり、第78回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画賞にもノミネートされた作品だ。

このドキュメンタリーは、「ダーウィンの箱庭」と呼ばれるほど豊かな生態系を持つ東アフリカのヴィクトリア湖を舞台に、そこに放流されたナイル・パーチという魚をめぐって起きる生態系と人々の生活の変化を描いたものだ。そこに暮らす人々の生活は貧しい。1日働いて得られる賃金は1ドルにも満たない。そこでいろいろな住民に「あなたにとって幸せとは?」と聞くと、その多くは「仕事にさえありつければ幸せだ」と答える。仕事についている我々は、その仕事に不満だらけなのに、彼らは「仕事にさえありつければ幸せだ」と答えているんだ。

それとは別に、2003年頃、NHKスペシャルで、超リッチな人たちを扱った『要塞町の人々』というドキュメンタリーを見た。このドキュメンタリーを簡単に説明すると、アメリカには高所得者とその関係者のみが入れる、高い柵と厳重な警備システムに守られた要塞町とよばれる町がある。このような町はアメリカに2万程度あるといわれているが、そのうちのひとつ、ロサンゼルスから南へ約100キロの位置にあるコト・デ・カザという町とその中の人々について扱ったものだ。

そこに住んでいる超リッチな人たちに「幸せか」と問うと、驚くべきことに「幸せではない」と答えるんだ。なぜなら、隣の家の方が自分よりいい家具を持っているからだという。また、その街で一番リッチな人にも同じ質問をすると、やはり「幸せではない」と答えた。なぜなら、生きがいがない、何のために生きているかわからないからだと言うんだよ。

さらに、最近やっていた、NHK『未解決事件 オウム真理教』で、元信者が、バブル絶頂期、「消費されるばかりの物質社会に幸せを感じられなくなり、オウム真理教に入信した」と言っていた。あのうらやましいバブル絶頂期、広告代理店でそれなりの成果を出していた才色兼備な女性にも関わらず、自分を不幸だと感じ、すべてを捨てて入信してしまう。

アフガニスタンの暮らしも日本の暮らしも幸福と不幸の度合いは変わらない

山田君 何をしても幸せになれないじゃないですか!!

博士 更に、もうひとつ。僕にとっては、これがそのアプリケーションの存在に気づいたきっかけだったんだが、もう何年も前、夜にひとり横になりながらぼんやりとテレビを見ていた。すると、どこかの放送局で、アフガニスタンで支援活動を20年以上続けている医師の特集をやっていた。

アフガニスタンでは水不足が深刻で、水がないためにみな病気にかかる。汚い水を捨てられず、飲み水にしたりするからだ。そのため、その医者が用水路の建設に尽力する...というものだったんだが、そこで彼が印象深いことを言っていた。

彼がアフガニスタンに来た最初のうちは、アフガニスタンに住む人の方が日本に住む我々よりずっと不幸だと思ったそうだ。とても不便だし、第一、水不足や長期的な戦争で、多くの人が簡単に死んでいく。

ところがアフガニスタンに20年住んでいて、彼は気づいたと言うんだ。
「ここに住む人々も我々日本人も、幸せの度合いは変わらない」ということに。

アフガニスタンの人々は食べ物や水が足りないことに悩んでいるが、日本人は、たとえば仕事がうまくいかない...といったことで悩んでいる。一方でどちらの人生にも、それなりの生活があり、それなりに幸せがある。つまり、どこにいても、悩みの対象が変わるだけで、幸福、不幸の度合いは変わらないと彼は言うんだよ。

山田君 なんと!

人間は足りないものがあると思うと、不幸だと感じる

博士 そして僕は気がついた。人間は次のようなアプリケーションに従っているのだろうと。

1)足りないものがあると思うと、不幸だと感じる
2)不幸と感じると、そこから脱しようとする
3)その不幸から脱すると次の足りないものを探す

この3つを一生の間ぐるぐると繰り返している。何が足りないかの対象は変わっても、このアプリケーションを持っている限り、心に起きる幸福と不幸の度合いは同じだ。そして、一喜一憂しながら、日々を送り、いつの間にか人生が終わる。

さらにいえば、

4)足りないものが見つからないと、退屈や、生き甲斐を失ったと感じ、足りないものが見つかるまで不幸と感じる

のだろう。コト・デ・カザ一番のお金持ちは、このモードに入っていた。

山田君 ずっと不幸じゃないですか!!

博士 そうだ。ただ、生物学的な視点で考えれば、当然だ。自己の維持のためには、このアプリケーションがないと生き残れないんだ。

山田君 そうなんですか?

博士 以前、僕は国のある研究所で働いていて、隣の研究室は「幸せ」の研究をしていた。

山田君 幸せの研究?

幸せな状態がつづくと、何もする必要性を感じない

博士 具体的には、ある麻薬物質を実験動物を用いた研究だ。その麻薬は幸せな気持ち、「多幸感」をもたらす。その薬を実験動物に打ち続けると何が起こると思う?
なんと、その動物は何もしなくなるんだ。幸せである状態がつづいているため、何もする必要性を感じない。

つまり、幸せな状態が続くということは、自己維持や子孫繁栄の見地から見るととても危険なこと、ということだ。人類が麻薬を取り締まるひとつの理由はそこにあると思う。

山田君 た、確かに...。だから僕たちは幸せになれないようにできている、というんですね。人類の繁栄のために...。

博士 そうだ。

山田君 どこにいても、何をしていても、そこから死ぬまで逃れられないんですかね?

博士 いや、このアプリケーションを起動しない方法がある。

山田君 それを教えてください!

博士 また、時間が来てしまった。もう文字数がない。

山田君 毎度じゃないですか?もう宿題でいっぱいですよ!!

博士 今回の助言は、この世界は、ポジティブとネガティブが同時に存在している。それを受け入れずネガティブなものから逃げ回っている限り、それに追われ続ける。そしてそれを受け入れた時に、幸せが近づくということを知っておくことだ。

さらに、普通の人は、先ほど述べたアプリケーションが起動しているため、足るを知ること、どんな生活をしていてもさほど幸福と不幸の割合は変わらないことを知っておくことだろう。これで、まあ、平穏な日々をすごせると思う。

山田君 たしかに、松田聖子や長谷川理恵のように、お金があって自己中心的で自由奔放に生きている人は、ネガティブなものから逃げ続けそうだし、そのアプリに気づきにくそうですね。

博士 彼女たちがそういう人かは断定出来ない。だが、冒頭で述べた通り、自己中心的で、自由奔放に生きられる人たちを返って不幸に感じることがある。貧困や挫折などで、ネガティブなものを受け入れる経験をした人たちの方が、今日述べたふたつのことに気づくことができ、幸福かもしれないということだよ。

山田君 ところで博士。今度は宿題をやってくださいね。

博士 芸能人が、そういうトラブルを起こしてくれることを期待しよう。

不幸から逃げ回っている限り幸福にはならない。なぜなら人は常に「ない」ものを探し、それを追い求めるアプリケーションだから。いま「ある」ものに意識を向け、それを大切にすることが幸せへの近道となる。